錆びつくナイフ
エメラルドシティには、妙な人間が多い。
モヒカン刈りで、首から耳たぶのネックレスをぶら下げ、背中にロケットランチャーを背負い、なおかつ本を読みながら歩く、真面目なのかキチガイなのか判断に困る人が昼間から歩いていたりするのだ。
だから、その男が昼間からフードをかぶり、日光を避けるようにひたすら物陰を歩いていても、誰も気にもとめなかった。
その男は、レインコートのような上着を着て、フードをすっぽりとかぶり、巨大な棺桶を背負って歩いていた。
背は高く、百八十センチは超えるだろう。肩幅は広く、胸板は分厚い。鍛え抜かれた肉体をしていることが、コートを着ていても一目でわかる。
そして腰の周りからは、ガチャガチャと何かがぶつかり合う金属音が聞こえている。
物騒な物をたくさんぶら下げていそうだが、コートで隠れて見えない。
男は歩いていくうちに、ケン地区の地下道入口前を通った。
足を止める。
後戻りし、地下道をのぞきこむ。
いきなり、男の鼻を異臭が襲った。
異臭はするが、人の気配は無さそうだ。
男は、慎重に地下道を降りて行った。
地下道の中は、昼間だというのに陽がさしていない。真っ暗闇だ。
中の異臭は、とにかく凄まじい。様々な不快臭を全て混ぜ合わせたかのような臭さだ。
そして、周囲から聞こえてくる小動物や昆虫の蠢く音。
そんな状況の中、男は背中の棺桶を降ろした。
そして、蓋を開ける。
「ガロード……何ですか、この匂いは! こんな臭い場所に連れてくるとは、新手の嫌がらせですか?」
棺桶から声がした。
若い……いや、幼い少女の声だ。
「陽がささないし、人目もないからいいかと思ったんだ。お前だって、ずっと棺桶は嫌だろう」
ガロードと呼ばれた男は棺桶に言う。
「こんな臭い場所にいるくらいなら、棺桶の中の方がマシです。早く、別の場所を探すのです」
「……オレだって、ルルシーのためを思って――」
「あなたはとんでもない勘違いをしているのです。私のためを思うのなら、棺桶の中でそっとしておいて欲しいのです。そんなことでは、いつまで経っても彼女ができないのです」
「……余計なお世話だ。子供扱いするな。だいたい、お前みたいな貧乳に言われたくない」
「な、何です――」
ガロードは棺桶の蓋を閉め、背中に背負う。
暗い地下道を、慎重に歩き始めた。
「ブッ飛ばすのです……後でガロードの奴をブッ飛ばすのです……」
ルルシーがブツブツ呟く声は、しばらく止まなかった。
ガロードは歩いた。
巨大な棺桶を背負い、ただひたすら歩き続けた。
日が暮れれば、ルルシーは外に出られる。
それまでは何がなんでも、ルルシーを守らなくてはならない。
彼女のために、ガロードは何もかも捨てた。今や失うことのできるものは、自分の命と彼女くらいしか残されていない。
だが――
そんなガロードの前に、男たちの集団が現れ、道をふさぐ。
「よお、お兄さん。見ない顔だねえ……しかし、いい体してるな。こっちには来たばっかりかい?」
「そうですが、何か?」
話しかけてきた一人の男に対し、ガロードは丁寧な口調で応対する。
こんな場所で、しかもこのタイミングで、余計なトラブルを起こすつもりはない。
「オレたちはゴメス一家の者だ。どうだい兄ちゃん? ウチで働かないか? 兄ちゃんのガタイだったら稼げるぜ〜」
「いや、今日のところは遠慮しときます。こう見えて忙しいんです。また今度、お願いします」
「……そうかい。まあいいや。あ、一つ言っておく。この道をまっすぐ行くとな、デカい塀がある。その先はな、Z地区っていう場所だ。そこに行ったら最後、生きて帰れないぞ。気をつけな」
そう言うと、男はやけにあっさりと引き上げて行った。
その男の態度に、ガロードは妙な違和感を感じた。
なんだ、あいつの態度は……。
やけにあっさりと引き下がったな。
絡んでくるかと思ったのだが。
「道の真ん中で立ち止まるのは良くないのです。通行人の邪魔なのです」
ガロードの思考は強制中断させられた。
背中の棺桶から、ルルシーが文句を言っている。
「おい、棺桶の中にいる時は黙ってろ」
「……ぶっ飛ばすのです。後で絶対にぶっ飛ばしてやるのです。ガロードを泣かしてやるのです」
ガロードは棺桶からのブツブツ声を無視し、また歩き始めた。
歩きながら考える。
どうやら、このまま行けばZ地区という場所に行くらしい。
そこは地元の人間も寄り付かない、非常に危険な場所のようだ。
しかし、そこなら誰にもルルシーを見られずにすむのではないか。
そこでなら、二人で平和な生活がおくれるかもしれない。
やるべきことを終わらせて、二人で平和な生活を……。
そこまで考えた、次の瞬間――
「よう、そこのあんた」
後ろから声がする。
ガロードは一瞬、どうしようか迷った。
次の瞬間、素知らぬふりをして歩き出した。
しかし――
「おいおい、ガロード・アリティー元伍長。シカトは良くないなあ、シカトは。失礼だよ」
ガロードは、ゆっくりと後ろを振り返る。
そこに立っていたのは――
治安警察の制服を着た、二十代後半から三十代前半の男だった。
しまりのない、軽薄そうな顔つき。口元にへばりついているニヤニヤ笑い。ボサボサの金髪。体格は中肉中背。ありていに言って、警察の制服がなければ風俗店の客引きか、あるいは飲み屋でくだまいている客にしか見えなかった。
だが、どんな軽薄そうな顔つきであれ、警官は警官だ。
ガロードとルルシーは、大陸で指名手配犯となり、ネバーランドに逃げてきた身である。
しかも、この男はガロードのことを知っている。
どう考えても、マズイ状況だ。
だが、目の前の男はニヤニヤ笑いを崩さない。
「まあ、そう固くなるな。オレはお前さんをどうこうしようなんて気はない。ただ、お前さんと仲良くしたいと思ってな」
「仲良く?」
ガロードは身構えながらも、ジリジリと下がっている。
できるだけ間合いを広げつつ、いざとなったらさっさと逃げる。それが、ガロードの基本的な戦い方である。
例え目の前の男を倒しても、仲間がどこから出てくるかわからない。ならば逃げる。それこそが、お尋ね者のセオリーだ。
しかし――
「オレが信用できないってワケか……ま、無理もないわな。実際、今さっきのやりとりだけでホイホイ付いて来たとしたら、逆にオレの方がお前を信用できないよ。とりあえず、挨拶代わりだ。ここにケータイと金を置くぜ」
男はそう言って、ケータイらしき黒い何かと、数枚の紙幣を地面に置いた。
「このケータイはな、二ヶ月の間は使える。オレの番号も登録してあるから、何か困ったことがあったら連絡しろ。あと、金は十万ギルダンある。宿屋に泊まり、飲み食いしても三週間は持つだろう。その間に、オレが仕事を紹介してやる。どんな仕事がしたい?」
「……殺しだ」
ガロードはためらいながらも答えた。
「殺しか……」
「今のオレには、それくらいしか出来そうにない。特に、稼げる仕事はな」
「……いいだろう。本音を言うとな、オレもお前さんには裏の仕事を頼みたかったんでな。いずれ連絡するから待ってろ。じゃあ、オレはそろそろ失礼する。サボっているのがバレると、うるさいんでな」
男は、ガロードに背を向けて歩き出した。
「待ってくれ……あんた、名前は?」
ガロードが背中に呼びかける。
「ああ、そうか……まだ名乗ってなかったな。キーク・キャラダインだ。キークと呼んでくれ」
「キーク、何でオレに……いやオレたちに親切にしてくれる?」
「それはだな、お前さんが良い手駒になりそうだからだよ」
ガロードに別れを告げた後、キークはそのまま歩き続けた。
やがて、ガロードが先ほど出てきた地下道の入り口に着き、立ち止まる。
さりげない仕草で周りを確認し、そのまま地下道に降りていく。
ケータイを取り出す。
「あ、私です……まだ断言はできませんが、これで手駒は揃うと思います……ええ、タイガーの懐、とまではいきませんが……わかりました……はい? 私がですか……なぜ私なんです? ……わかりました。引き続き、任務続行します」
キークはケータイをしまった。
そして、壁に思い切り蹴りを入れる。
「……クソが!」
ガロードは宿屋にて、ようやく腰を落ち着けた。
恐ろしく陽当たりの悪い上に狭く汚い一階の部屋であったが、そんなことは気にしていられない。
いや、逆にその陽当たりの悪さこそ、彼の望むものだったのだ。
念のため、窓を厚手の布で覆う。
そして、棺桶を床に降ろし、蓋を開けた。
不機嫌そうな顔のルルシーと目が合う。
ルルシーは、ゆっくりと体を起こした。
そして手を伸ばし、ガロードの頭をはたいた。
「何をする。止めろ」
「貧乳は罪ですか? 貧乳であなたに何か迷惑をかけましたか?」
ルルシーは口をとがらせて、ガロードを責める。
「根に持つ奴だな。それより、血は大丈夫か?」
「……まだ大丈夫、なのです」
「盗ってくる」
ガロードはそう言って立ち上がるが――
ルルシーに腕を掴まれ、引き戻される。
「盗ってくる、とはどういうことです?」
「外にいる親切な人からもらうんだよ」
「……それは暴力を行使する、ということですね? ダメなのです。私は動物の血を吸うからいいのです。人の血は吸わないのです。いいですね?」
「……わかった」
「まったく、初めて会った時のガロードは本当に可愛かったのに、いつの間にこんな不良少年になってしまって」
ルルシーはガロードの頭を撫でた。
「……止めろ」
その頃。
キークは街をパトロールしていた。
少し前、ベリーニという警官が一人でパトロールしていたところを襲われ、原因不明の自殺体となって発見されて以来、パトロールは必ず、二人一組で行うことになっている。
しかし、キークは筋金入りの不良警官として知られていた。
何せ、遅刻早退は当たり前。トランク署長の目の前で犯罪者に賄賂を堂々と要求し、ぶん殴られたこともある。
周りの警官からも、鼻つまみ者であった。
したがって、キークの場合は一人でのパトロールが当たり前であった。
もっとも、キークにとってそれは非常にありがたい話ではあったが。
キークは、バー『ボディプレス』に入った。
「あらいやだ、キークの旦那さんじゃないですか。久しぶり」
巨大な壁が話しかけてきた。
いや、壁ではない。
バー『ボディプレス』のママ、アンドレだ。
身長二百二十センチ超、体重は二百キロ近く……の女装家である。と同時に、上の階にある売春宿の娼婦たちを束ねる役目も果たしている。
「ようアンドレ、相変わらず粋だねえ」
キークは適当なことを言いながら、カウンター席に腰を降ろす。
「何よ、その粋って……またツケで飲む気? 署長にチクるわよ」
アンドレは渋い顔をしながら、キークの前にビールが並々と注がれたジョッキを置く。
「今日はツケじゃないんだな。それに、今までのツケも払うよ」
「まあ〜珍しい!」
「ところで、最近ジュドーは来るのかい?」
キークは数枚の紙幣を渡しながら尋ねる。
「ジュドー? あいつは最近、顔を見せないわね……何たってほら、タイガー姐さんとケンカ別れみたいな形で……その……あ〜! もうわかるでしょ!」
「まあ、一応、噂は聞いたことがあるがな……詳しいことは知らないな」
タイガーとは、この辺りを仕切っているギャングの女ボスである。百八十センチ近い身長と広い肩幅、全体的に肉付きのいいガッチリした体つきは、大抵の男を圧倒できる。
だが、それ以上に会う者を圧倒するのが、顔に刻まれた縞模様の傷だった。
切れ味の悪い刃物を高温に熱し、それで顔を何度も切りつけたかのような傷痕がはっきりと残っているのだ。
その傷のせいなのか、普段は表に出てこない。
よほどのことがないかぎり、は。
その「よほどのこと」をしでかしたのがジュドーだった。
ジュドーはかつてタイガーの下で働いていた何でも屋であり、店番から殺しまで何でも請け負っていた。ところが、タイガーと協定を結んでいたギャング組織を、ジュドーの部下が叩き潰してしまったのだ。
結果、ジュドーはその責任をとる形でタイガーのもとを離れた。
その後、しばらくは行方不明だったのだが――
最近、またエメラルドシティに戻ってきたらしいのだ。
それも、生まれ変わった部下を連れて。
「で、その時にタイガーはボディーガードの死神を連れて外出したんだよな。タイガーにとっちゃあ、一大事だったわけだ」
キークはジョッキに口を付けながら、アンドレに話しかける。
「そうねえ……はっきり言って、タイガー姐さんはジュドーのこと、凄く気に入ってたのよ……アタシもだけど。アイツは本当にバカでさ……顔だって、お世辞にもイケメンとは言えない……だけど、本当にイイ男だった……アンタなんかとは大違いよ」
「こりゃ、手厳しいねえ。まったく」
苦笑いするキーク。
「で、その噂のタイガー姐さんとは、どうしたら会えるんだい?」
「……アンタ、やめといた方がいいわよ。本当に地獄に落ちるから」
一方、ガロードは宿屋で冷たいシャワーを浴びていた。
わざわざ冷たくしているわけではない。ただ、お湯が出ないだけなのだ。
ガロードの肉体を見た者は、大抵の場合慌てて目を逸らす。
それは、筋肉の量が常人離れしているためでも、あちこちにある刀傷や銃創のためでもない。
胸に刻まれた、下手くそな刺青のせいだった。
あたかも、錆びたナイフで無理やり刻んだかのような、醜い文字がはっきりと胸に残されている。
よく見ると、それは人名だった。
永遠に帰れなくなった者たちの名が、ガロードの胸に刻まれていた。