心が冷えていく
クリスタル・ボーイとジュドーの二人は今、マンションの前に立っていた。
マンションと言っても、四階建ての小さなものである。エメラルドシティの建物の例にもれず、このマンションも外壁は汚いが、窓ガラスは割れていない。
しかも、入口には防犯カメラらしきものが設置されている。
さらに、大柄な人相の悪い男が二人、銅像のように立っている。
恐らくは門番なのであろう。入口の扉の前で、じっとこちらを睨んでいる。
だが、ボーイも負けてはいない。
ずんずん大股で歩き、門番のすぐそばで止まる。
「おい門番さんよう、さっさと通してくれねえかな。オレたちはゴメスに呼ばれてんだよ」
そう言って、下から睨みつけた。
門番の表情が変わる。
だが――
「おいお前ら、オレはジュドー。こいつはボーイ。クリスタル・ボーイって言えばわかるだろう。ボスのゴメスに呼ばれているんだ。通してくれ」
その言葉を聞いた門番は、無表情で扉を開けた。
すると、ボーイは門番から視線を外し、さっさと薄暗いマンションの中に入って行く。
そして、ジュドーが後から続いた。
薄暗い建物の中を歩き、そして階段を上がる。
四階にたどり着き、一息ついた。
階段の天井部分に設置された防犯カメラを睨みつけるボーイ。
「ふざけやがって……こっちは昨日、化け物と殺り合って疲れてんだよ。エレベーターくらい――」
「行くぞボーイ。もう、すぐそこだ」
ジュドーはボーイを促し、四階を歩く。
そして、一番奥の部屋の前で立ち止まった。
「ジュドー……久しぶりだな。それに……お前がクリスタル・ボーイか。噂には聞いていたが、顔を見るのは初めてだな」
ゴメスの、ドスの効いた声。
室内には、テレビが二台乗った事務机と椅子、さらには大型の金庫などがあるが、虎の会の事務所と同じく、無駄な物は置かれていない。入り口の両サイドには、小山のような体格の男が二人、無表情で立っている。
そして……トレホとゴメス。
トレホは立ったまま、ボーイを睨みつけている。ゴメスは椅子に座っており、視線はテレビに向けたままだ。
一方、ボーイはトレホの視線を完全に無視し、ゴメスを見つめている。タイガーの所にいる時とは、完全に違う態度である。
そしてジュドーは、普段と変わらずヘラヘラ笑っていた。
「ゴメス……さん、堅苦しいあいさつは抜きにしましょうよ。用件は何なんですか?」
ボーイも、彼らしかぬドスの効いた声で言った。
トレホの目つきが鋭さを増す。
ただでさえ怖い顔が、より一層怖くなる。
一方のゴメスは、
「まあ、そう言うな。お前とは色々あったが、全て水に流そうじゃないか、と思ってな。これからは仲良くやろうぜ」
そう言って、ニヤリと笑った。
横にいるジュドーは、ヘラヘラ笑っている。だが、頭の中では別のことを考えていた。
ゴメスは仮にも、エメラルドシティの三分の一ほどを仕切るギャングの大物である。頭もキレるが、基本的には凶暴な男である。
そのゴメスがここまで譲歩する……ゴメスという人間をよく知るジュドーからみれば、あり得ない話なのだ。
ゴメスの奴、何を企んでる?
その時、ドアをノックする音がした。
「入れ」
ゴメスが応える。
入って来たのは――
灰色の髪をして、細身の体を体をクネクネさせている不気味な男だ。
「トレホの兄貴〜、大変ですぜ〜ボルタックの店とポンチャックの店で、もめ事らしいですよ〜。早く来てくださいって言ってますぜ〜、早く行ってください」
男は入ってくるなり、特徴的な話し方でトレホを急かした。
「なんだと……ゴステロ、お前が何とかしろ。オレはここを――」
「いや構わない。トレホ、お前が行け。ついでにやってもらうこともある。そこの二人も連れていけ」
トレホの言葉を遮ったのは、ゴメスだった。
「いや、しかし……」
「トレホ、オレの言葉が聞こえなかったのか?」
ゴメスの低い、ドスの効いた声が響く。
「……わかりました」
トレホは釈然としない表情をしながらも、大男二人を引き連れ出ていった。
「さて、面倒な奴がいなくなったところで、本題に入ろうか」
ゴメスがそう言うと、残っていたゴステロが動き、金庫を開ける。
そして中から、札束を二つ取り出す。
ゴステロは、その札束をボーイとジュドーに手渡そうとした。
「何です、これは……」
さすがに、ジュドーもボーイも受け取ろうとはしない。
ボーイなどは、不信感を露にしている。
その反応を見て、ゴメスは笑みを浮かべた。
「そんなに嫌うな。お前らに一つ、仕事を頼みたいだけだ。一体、この街で何が起きているのか……調べてくれ」
「はあ?」
ボーイがすっとんきょうな声を出す。
「ゴメスさん……何言ってんのか……わからないんですけど?」
さすがのジュドーも、唖然としている。
一方、ゴメスは――
「お前らだって気づいているだろう。最近、妙なことになってる。ウチのマークが死に、そして虎の会のジョニーが死んだ。どう見ても、これはただ事じゃないってのはわかるな?」
ここで言葉を止めた。
ジュドーとボーイは、ようやく話を理解する。
「つまり、その二人を殺した奴を探せ、と?」
ジュドーが尋ねる。
「そうだ」
ゴメスはそう言うと、現在の状況を語り始めた。
エメラルドシティは今、無法地帯から脱しようとしている。
タイガーとゴメス。エメラルドシティにおける二大勢力のボスである、この二人にしても、その変化には気づいている。
そこで二人は、密かに協定を結んだ。お互い、つまらん縄張り争いや小競り合いはやめようと。それよりも、お互いに協力し、街の発展に力を尽くそうと。そして得られる利益を山分けする方が得策だと――
だが、そんな矢先、ゴメスの部下マークと、タイガーの部下ジョニーが相次いで殺された。
しかも、マークを殺したのは虎の会の者だという噂が流れている。
さらに、ジョニーを殺したのはゴメスの手の者だという噂も――
「トレホなんか、完全に頭に来ちまってる。あいつは血の気が多いからな……オレにまで逆らう始末だよ、最近は……」
ゴメスはそう言うと、頭を振る。
「このままだと、トレホはトチ狂ったマネをしかねない。万一、そんなことをしでかしたら、オレは奴から、ケジメをとらなきゃならん……」
「まさか……あんた、トレホを守るために、オレたちを雇う気で?」
ジュドーが意外そうな表情になる。
「そう言うことだ。頼まれてくれるか?」
ゴメスは、その岩のようないかつい顔を向ける。
「あのねゴメス……さん、オレはあんたのせいで、商売ができないんですよ。おかげで、今じゃタイガー……さんの下で殺しをやらなきゃ食っていけません。そんなオレが、あんたの仕事を受けるとでも?」
敵意を隠そうともせず、とげのある言葉を放つボーイ。
「……ならば今後、お前のクリスタルはウチが買い取る。それでどうだ? ただし、無事に解決できたなら、だがな」
「それ、本当ですか?」
ボーイの表情が変わる。さっきまでの怒れる若者から、商人の顔になる。
「ああ本当だ。ついでに言うと、前金は二百ずつ、合わせて四百。しかもこれは、犯人を見つけられなくても返さなくていい。さらに成功報酬は六百だ。引き受けてくれるな?」
ゴメスは、いかつい顔に笑みを浮かべる。
ジュドーは視線を逸らせた。
断るのは、非常に難しい状況ではある。
だが、ジュドーの商売人としての勘は、引き受けるな、と言っている。
さて、どうするか……
しかし――
「やりましょう」
返事をしたのは、ボーイだった。
さっきまでの反抗的な様子から一転、卑屈さこそないものの、妙にフレンドリーな態度になっている。
ジュドーは小さくため息をついた。
その頃。
キークはガロード宅を出て、街を歩いていた。
何とも言えない気分だ。
さっき見た、あの光景……
号泣するガロード。
(ガロード、お前は最高の友だちだ)
愚兄弟のセリフ。
その三人を優しい目で見守る、吸血鬼のルルシー……
てめえら何なんだ……
人殺しと、売人のボディーガードと、吸血鬼のくせしやがって……
キークは今まで、悪党ばかりを相手にしてきた。組織の犬として、様々な場所に行き、色々な任務をこなした。
だが、こんな気分になったのは――
「キーク! ちょっとキーク! 聞いてんのかい! さっさと来なよ!」
「ああ聞こえてる。姐さん、そう急かさないでくれよな。しかし、姐さんからデートに誘われるなんて、光栄だよ」
キークの前を歩くのは、女警官のゾフィー。
ガロードの家にいたキークのケータイに、突然ゾフィーからの着信が入ったのだ。
そして――
(悪いんだけど、今すぐ出て来てくれない? 大事な話があるんだよ)
何のために呼び出されたのか……
恐らくは、金をせびる気なのだろう。
キークはこれまで、情報収集のために女用の留置場に出入りしていた。情報を知っていそうな女を逮捕し、留置場に泊め、そしてじっくりと脅す。そうやって情報を得ていた。
その留置場の担当がゾフィーであり、キークはゾフィーに金を渡して、出入りを見逃してもらっていたのだ。その際は「いやあ、オレも溜まってんだよ」などと言いながら、下卑た笑いを浮かべる。そうやって、キークは留置場を風俗代わりに使うゲス野郎を演じていたのだ。
そんなゲス野郎は彼一人ではなかったため、上手くごまかせてはいたが……
「ちょ、ちょっと姐さん、どこに行くんだ?」
前を歩くゾフィーに尋ねるキーク。
だが、ゾフィーは振り返らずに歩く。
キークは気づいた。
これはただの小遣い稼ぎではない、と。
やがて、ゾフィーは立ち止まる。
人通りのない、ガレキと廃墟に囲まれた場所。
ゾフィーは振り返り、口を開いた。
「あんた……とんでもない奴だね」
「あ、ああ……オレも女好き――」
「とぼけんじゃないよ。あたしは初めから変だと思ってたんだ。あんたは、留置場の女に手を出すゲス野郎にしては、妙に小綺麗なんだよ」
「小綺麗? オレが? ご冗談を――」
「確かに、あんたも汚い野郎だよ。でも、女好きなゲス野郎の汚さとは根本的に違う。匂いも違う」
ゾフィーはゆっくりと拳銃を抜いた。
「あんたの汚れは血の色だよ。それに、あんたからは血の匂いがぷんぷんする。とんでもない食わせ者だね、あんた」
キークは天を仰いだ。
そして目をつぶり、口を開く。
「姐さん……どこまで知ってる?」
ゾフィーは、左手をポケットに入れ、小型レコーダーを取り出した。
スイッチを押す。
すると、キークの声が――
(おい姉ちゃん、マークの連絡先を教えてくれよ)
ゾフィーは一旦、レコーダーを止めた。
そしてまた、スイッチを押す。
(ジョニーの居場所を教えろ。どこをうろついているかもな。でないと……あんたを男の留置場に放り込むぜ。いいのか?)
ここで、レコーダーを止めた。
ニヤッと笑う。
「盗聴機を仕掛けといたんだよ。あんたも知ってるよね? 明日から、監査官が来るんだよ。これがバレたら、クビじゃすまない。しかも、この二人の女はあんたがパクったんだよね? さらに……マークとジョニーは何者かに殺された。一体、これはどういう事なのか……調べられたら、ヤバいよねえ? とりあえずは百万よこしな!」
「姐さん……金か? 金が欲しいのか? 今までだって、金は渡してきたろうが……どうして欲を出し過ぎるのかねえ、人間って奴はよう……何でみんな、お前らみたいに生きられないんだ? なあガロ、ルルシー、それに愚兄弟……そう思わないか?」
キークは突然、天を仰いだまま呟きだした。
まるで親友に語りかけるかのように。
「な、何言ってんだよ、あんた……誰に話してるんだよ?」
ゾフィーの表情が、おびえたものに変わる。
拳銃を握った右手が震え出す。
「姐さん、今度来る監査官はオレの仲間なんだよ。だから密告されても握り潰すだけ……署長に密告した方が……いや、それも無駄なんだけどね。あんたとは上手く、仲良くやっていきたかったが……」
キークはそう言って、右手をゆっくり上げる。
「姐さん、あんたは知らなくていい事を知った。可哀想だが、死んでもらう」




