振り返れば……
ガロードは走った。
走って、走って、走って……。
やがて息が切れる。
後ろから、異形の者たちが追ってくる。
テッド。
コニン。
キャット。
そして……カンジェルマンと双子。
かつて命を奪った者たちが、怨みを持つ者が、異形の何かとなって追いかけてくる……
止めろ。
やめろ!
やめてくれえええ!
その瞬間、ガロードは目覚めた――
荒い息を継ぎながら、目だけを動かし、周囲の様子を見る。
「ガロード……夜中に騒いではいけないのです。夜は寝る時間なのです」
寝室にはルルシーが来ていた。
ベッドに座り、ガロードの顔を見下ろしている。
「嫌な夢だ……」
ガロードはポツリと呟いた。
「……ガロード、夜は寝る時間なのです。もう一度、寝るのです」
そう言いながら、ルルシーは手を伸ばし、ガロードの頭を撫でる。
「ルルシー……あいつ、亡者の声って言ってた……人は死んだら、どうなるんだろうな」
「私は、もう人ではないのです。それに……死んだらどうなるか、なんて知るわけないのです」
そう言って笑ったルルシーの顔は、寂しそうでもあった。
ガロードは、やっと思い出す。
彼女が人間ではないことを。ある意味、もう死んでいることを。
「あ、いや、その……そういう意味じゃ――」
「じゃあ、どういう意味なのです?」
ルルシーは悲しげな瞳で、ガロードを見つめた。
「う……あ、いや……」
ガロードは進退窮まり――
泣き出しそうな、情けない顔になる。
その顔を見たルルシーは、こらえきれずに笑いだした。
「ぷぷぷ……ガロードは相変わらず騙されやすいのです」
そう言うと、ルルシーはベッドに潜りこむ。
「仕方のない子です。さあ、お姉さんがお話をしてあげるのです。だから、早く寝るのです」
「な、何だそれ……こ、子供扱いすんなよ……」
翌日の昼間。
ガロードは買い出しに出かけ、ルルシーはエプロン姿で掃除をしていた。
「まったく……本当にガロードは、がさつで困るのです……帰って来たら叱ってやるのです」
顔をしかめブツブツ言いながら、ほうきをかけていたルルシーだったが――
外に人の気配を感じ、手を止めた。
続いて聞こえてきた、ドアをノックする音。
そして、聞きなれた軽薄な雰囲気の声。
「ガロ、オレだオレ。開けてくれ」
ルルシーは不快な表情になる。
掃除の時とは違う、心底からの不快な顔。
その表情のまま、鍵を開けた。
ドアはそのままで、また掃除に戻る。
キークはドアを開け、図々しく入り込み――
「いようルルシー、似合うじゃないかエプロン姿も……ガロはいないのか?」
「買い物に行っているのです」
ルルシーは不快な表情を隠そうともしない。
だが、キークの面の皮の厚さもなかなかだった。
「そうか……じゃあ、来るまで待たせてもらおうか。あ、何も出さなくていいからな」
そう言うと同時に、キークはずかずか入りこみ、リビングのソファーに腰を降ろす。
そして一言。
「いやあ、ここはやっぱり落ち着くな」
「……キークさん、この際だから聞いておきます。あなたは、奴ら全員の居場所を既に知っているんですよね?」
「……奴ら? 一体誰の事かな――」
「いい加減にするのです。でないと……」
ルルシーの目付きが変わる。
同時に犬歯が伸び、爪も鋭く――
「待て待て! 冗談だよ冗談。ああ知ってる。でもな、短期間であの人外を全員殺されると、こっちも困るんだ。だから小出しにしてる。そういう訳だ」
「やはり……あなたは、本当に薄汚いクズ野郎なのです」
ルルシーはそう言いながらも、牙と爪を収めた。
「……そう言うお前だって、奴らの居場所くらい調べられるだろうが。なぜ、ガロに教えてやらない?」
「私は……こんな復讐など止めて欲しいのです。いつか……ガロードが、自分の意思で止めてくれることを……祈っているのです」
その頃。
クリスタル・ボーイはジュドーに呼び出され、『ジュドー&マリア』の事務所にいた。
ボディーガードの愚兄弟は店に置いてきている。たぶん、調理師のリュウか、皿洗いのマリアと遊んでいるのだろう。
ふと、昨日のことを思い出した。
ったく、あのガキは……甘いことばっかり言いやがって……。
付き合いきれねえよ。
あんなんじゃ、いつか痛い目に遭うぜ。
昔のオレみたいに……
そんなことを考えていた時――
「ボーイ、待たせたな」
ドアが開き、ジュドーが入って来た。
「ジュドー……どうしたってんだよ。こっちはな、慣れない仕事やらされて疲れちまったよ。まいったぜ、本当に」
ボーイは本当に疲れた顔で、ジュドーを睨む。
「ボーイ……実は、ゴメスに呼び出された」
「はあ?」
「お前も一緒に来い、だとさ」
ボーイは表情を一変させる。
「ジュドー……そいつは無理だな。何でオレが行かなきゃならない? 用があるならテメエが来い、って言っといてくれ」
「ボーイ――」
「用ってのはそれだけか? なら引き上げる。タイガーに後金も払ってもらわなきゃならないしな」
そう言うと、ボーイは立ち上がった。
「なあボーイ。ゴメスが呼び出すってのは、よっぽどのことだ。それに……奴の機嫌を損ねても、良いことはないぜ」
「……」
「なあ、今日だけはオレの顔を立ててくれ。頼む」
ジュドーは深々と頭を下げる。
さらに、両手で拝むような仕草も見せる。
「お前にそこまでやられたら……行くしかねえだろうが……バカ野郎」
ボーイは呟くように言った後、天を仰ぎため息をつく。
「そうか、行ってくれるか……助かるよ。ところで、愚兄弟だが……ガロードの家に預けて――」
「ちょっと待て! 何であいつの家なんだよ! ここじゃダメなのか?!」
ボーイの表情が、また変わる。
今度は怒りの表情だ。
「あのなボーイ、あの二人がここにいたら仕事にならねえよ。何やらかすかわからんし。それにガロードと話さなきゃならんこともある。奴の家に預けるのが一番だ。愚兄弟はガロードを気に入ってる。ちょうど良いだろ」
「……」
ボーイは渋い顔になる。だが、ジュドーの提案は無視できなかった。
愚兄弟は放っておくと何をしでかすかわからない。それは確かである。
ケンカは恐ろしく強い。だが頭は凄まじく弱い。それこそが愚兄弟の大きな特徴なのだ。
自分がそばにいられない時……信頼できる誰かに預けられないかと思っていたのだ。
ガロードなら、愚兄弟とは仲が良い。しかも愚兄弟はガロードに対し、敬意を抱いている。ガロードの言う事なら聞くはずだ。ガロードの家に預けられれば、安心して単独行動できる。しかし……
「ふざけるな! 何でオレがあのガキに頼まなきゃならないんだ!」
「なあ、ガキじゃないんだから――」
「ガキはガロードだ! オレはあのガキに頭を下げるくらいなら、兄弟を野放しにした方がマシだ!」
「……お前、それ本気で言ってるのか?」
ジュドーの口調は柔らかかったが、顔から表情が消えている。
ボーイ相手には、めったに見せない顔だ。
「……わかったよ! 頼めばいいんだろうが!」
一方、ガロードが買い物から戻ると――
「なあルルシー……一応、オレは客なんだが……」
「あなたは客人とは呼べないのです。さっさと働くのです」
ソファーでテレビを見ながら、グラスに入った血液を飲むルルシー。
その横で制服の上からエプロンを着け、床の雑巾がけをしているキーク。
「……キーク、何やってんだよ?」
ガロードは声をかけるが――
「キークさんは我が家に入り浸って、家族ヅラしているのです。家族なら掃除するのは当然なのです」
ルルシーが代わりに答える。
「お、おいルルシー……キークは血を持って来てくれるんだから――」
「いいのです」
ルルシーの有無を言わさぬ態度に、困り果てた顔でキークを見るガロード。
「……人使いの荒い吸血鬼だぜ」
キークは誰にともなく呟いた。
掃除が終わり、キークもようやく一息ついた。
「ところで……ガロ、お前に頼まれていた双子だが、ジュドーの知り合いが面倒見ているらしい」
「……その知り合いってどんな奴だ?」
ガロードは神妙な顔つきになる。
「この辺の浮浪者を仕切ってる、タン・フー・ルーとかいう名の爺さんだ。浮浪者って言っても、タンが一声かければ、集まる連中は二十人はいる。かなりの大物だ――」
「そいつはギャングなのか? 二人を売り飛ばしたりしないのか?」
「しないよ。心配すんな。信用できる男だ。オレが保証する」
「そうか……あんたがそう言うなら安心だ」
ガロードは心底、ホッとした表情になる。
そのやりとりを見ていたルルシーは、軽蔑の眼差しをキークに向け――
「そうですねガロード、キークさんに任せておけば、大丈夫なのです。安心なのです」
皮肉と嫌みを込めた言葉を放つ。
しかし、ガロードにはわからなかった。
「本当だな、ルルシー」
ガロードはルルシーの方を向き、にっこりと微笑んだ。
その顔は、キークに対する信頼に満ち溢れていた。
三人の間に、妙な空気が流れ始めた時――
「おいガロード、オレだオレ。開けてくれ」
ドアをノックする音と同時に、聞き覚えのある声がした。
「ジュドーか? 今開けるよ」
ガロードが立ち上がり、玄関に行く。
ドアを開けると――
「ようガロード。いやー、タクシーすっ飛ばして来たんだが、途中でトラビスの奴、人を轢きそうになってビビったよ。入るぜ」
そう言ってずかずか入り込む。
その後ろから、ボーイが続く。
さらに――
「ガロード、ルルシー、遊びに来た」
「遊びに来た」
愚兄弟がニコニコしながら入ってくる。
「ジュドーさん……これは一体……」
ルルシーが体を震わせている。
怒りで震えているのが一目瞭然だ。今にも、爪と牙が飛び出しそうである。
「あ……とりあえず……申し訳ないんだが、この二人を預かってくれ。じゃ行くかボーイ!」
「お、おう! 行かないといけないな!」
二人は、血相を変えて出て行った。
「ちょっと待つのです! あなたたち!」
ルルシーが怒鳴り、二人を引き止めようと――
だが、二人は既に消え失せていた……
取り残された愚兄弟は、ガロードとルルシーを交互に見る。
そして――
「ガロード、遊ぼうぜ」
「遊ぼうぜ」
ガロードの両手を左右から掴み、引っ張る。
「い、いや……ちょっと待て! わかった!」
ガロードは、二人の手から強引に逃れた。
「いいかジョーガン、それにバリンボー、まずはお前たちの――」
「ガロード……オレたちの名前、知ってたのか!」
「知ってたのか!」
愚兄弟は突然、大声をあげる。
ギョっとして、立ちすくんでいるガロードの右手をジョーガンが、左手をバリンボーが、それぞれの両手で掴み、ぶるんぶるん上下に振る。
「ガロード、お前はいい奴だ。最高の友だちだ」
「最高の友だちだ」
愚兄弟はそう言いながら、ガロードを見つめる。
双子の顔……
別の双子の顔が重なる。
「何を言ってんだ……お前ら……」
下を向くガロード。
オレが、良い奴?
最高の……友だち……だと……?
オレは……
オレは、無慈悲な人殺しだ。
昨日も一人殺したんだぞ……この手で……
そして……幼い双子に……
お前らと同じ双子に……殺してやるって……
絶対に殺してやるって……そう……
ガロードの視界がぼやけた。
涙がこぼれる。
「ガロード、どうした? お腹でも痛いのか?」
「痛いのか?」
愚兄弟は真剣そのものの表情で、ガロードの顔をまじまじと見つめる。
「違うのです。あなたたちのせいなのです」
代わりに、ルルシーが答えた。
その顔には、さっきとはまるで違う表情が浮かんでいる。
心の底からの、本当に優しげな表情。
「え……ガ、ガロード、ごめんよ」
「ごめんよ」
愚兄弟はオロオロした顔で、ガロードに向かい何度も頭を下げる。
「ち、違う……お前らは悪くない……悪いのはオレだ……オレは良い奴なんかじゃない……」
言いながら、ガロードは泣き崩れた。
人目をはばからず、号泣した。
「お前はいい奴だ。みんなオレたちをバカ兄弟って呼ぶ。オレたちの名前、みんな忘れてる。なのにガロードは、オレたちの名前、覚えてくれた。お前、最高の友だちだ」
「最高の友だちだ」
そう言いながら、愚兄弟はガロードのそばに優しく寄り添う。
そしてルルシーは、まるで母親のような顔で、微笑みながら三人を見守っている。
キークは黙ったまま、その光景を見ていた。
自分がどうしようもなく薄汚い人間であることを、否応なしに自覚させられ、やりきれない気持ちにさせられ――
「バカ共が……」
思わず呟いた。




