何ができただろう?
Z地区には、古い地下鉄跡があり、様々な種類の人間が住んでいる。まあ、大半は金がなく、原始人のような暮らしをしているのだが。
もともとZ地区はエメラルドシティでも外れの、ギャングも治安警察も近づかない、正真正銘の無法地帯である。なぜ近づかないのかと言えば、ただ単に不便だから、なのであるが。何せ、電気ガス水道といったライフラインが全てストップしているのだ。
その地下鉄跡に、一月ほど前から、奇妙な一団が住み着いていた。
声が聞こえる。
これまでに殺してきた、亡者たちの声だ……
泣いている。
叫んでいる。
苦しんでいる。
…………
声に耐えきれなくなり、思わず剣を抜く。
そして一閃――
宙に浮かぶ、声の主たちに斬りつける。
声は止んだ。
声の主たちは、悲しそうな表情で消えた。
「おじさん、大丈夫?」
少女が尋ねる。
傍らにやって来て、心配そうに顔を見上げる。
「どうしたの?」
もう一人、少女がやって来る。
二人の顔は、瓜二つだった。
「大丈夫だ。心配するな。剣の練習をしただけだ」
そう言って、カンジェルマンは微笑む。
安心させるため、二人の頭を撫でる。
二人の幼子を心配させるわけにはいかなかった。
ヒロム・カンジェルマン……一晩で三十人以上を斬殺した男。
クメン国の王家剣術指南役を務めていたカンジェルマンはその日、山での修行のために山奥の小さな村に泊まっていた。
深夜、かすかな物音――そして異様な殺気――を感じ、目を覚ます。
音がする……。
遠くの方で、何やら騒ぐ声が聞こえる。
いや、それよりも――
この異様な殺気は何なのだ?!
この殺気……戦場のもののようだ……
こんな山奥で?
まさか……熊でも出たのか!
カンジェルマンはすぐに剣をつかみ、表に出た。
物音、そして殺気の源へと走る。
だが、そこでみたものは――
剣の達人であり、心技体ともに極限まで鍛え抜かれているはずのカンジェルマンが、一瞬ではあるが我を忘れてしまうような光景だった。
全裸の少女が二人、身を寄せあい震えている。
まだ幼い。恐らく十歳になるかならないか……。
二人とも瓜二つの顔をしている。背丈もほぼ同じ。双子なのだろう。
その双子の周りを、村人が取り囲んでいる。
村人たちは全員、石を持っている。
カンジェルマンは一瞬、迷った。
だが剣を片手に、村人たちをかき分けて進む。
そして、少女たちを守るように、村人たちの前に立ちはだかる。
村人たちを睨みつけ、一喝した。
「貴様ら……一体何をする気だ?!」
「あなたのようなよそ者には関係ない話じゃ。さっさと帰って寝なされ」
村の長老が前に出て、静かな口調で言う。
「帰れだと? こんなものを見逃せるか!」
カンジェルマンは長老を睨む。
だが長老は怯まない。
平然とした表情で、静かに口を開いた。
「この村の伝統なのじゃ。双子は呪われておる。十歳になるまでに、どちらかが死ねば見逃すが……両方とも生きて十歳を迎えた時は、石打ちの刑に処さねばならない……でないと、いつかはこの村に破滅をもたらすと言われておる。これは伝統の儀式なのじゃ……カンジェルマン殿、何も見なかったことにして、宿に帰ってくれんか」
「嫌だと言ったら?」
「あなたには死んでもらうことになる」
長老がそう言うと、同時に村の男たちが石を捨て、棒や農機具などを手に取った。
「これは村にとって、大事な儀式……カンジェルマン殿、いくらあなたでも、この人数を相手にしては……仮に我ら全員を討ち果たしたとしても、あなたはその後どうなるか……あなたは王家剣術指南役。あなたも損得はおわかりになるであろう?」
「……」
カンジェルマンは下を向いた。
怯えたわけではない。彼は剣術修行の一環として、様々な修羅場を潜り抜けてきた。
儀式という言葉が、彼の心に響いたのだ。
儀式なのか。
伝統と因習……
私も伝統と因習に生きてきた身ではないか。
端から見れば、非常識な儀式を幾つもこなしたではないか……
馬鹿馬鹿しいと否定するのは簡単だ。
しかし、ここで生きる人々にとっては、計り知れない意味をもつのだ。
部外者である私に、立ち入る権利があるのか?
彼らの伝統の儀式を邪魔する権利が、よそ者の私にあるのだろうか……
だが次の瞬間――
「お願いです! ケイは……妹は助けてあげてください! 殺すなら、私だけにして!」
悲痛な……あまりにも悲痛な叫び。
カンジェルマンは、見えない力に動かされるように、顔をそちらに向けた。
少女が、決死の直訴をしている。
死への恐怖に全身を震わせ、怯え、顔を涙と鼻水とでグシャグシャにしながらも……
妹を守るために、死への恐怖に屈せず、自らの命を差し出そうとしている。
こんな少女が……
自らの命と引き換えに、妹を救おうというのか。
大の男ですら、死を前にすれば惨めに命乞いをするというのに……
カンジェルマンの心は決まった。
彼は上着を脱ぎ、少女に優しく掛けた。
さらにシャツを脱ぎ、もう片方の少女にも掛けてあげた。
鍛えぬかれた、たくましい上半身が露になる。
狂気に近い空気に支配されていた村人たちも、カンジェルマンの肉体を前に、わずかながら動揺しているようだった。
カンジェルマンは長老の方を見た。
「長老よ……あなたは何も感じないのか? この幼子の必死の訴えを聞いて……こんな年端もゆかぬ小さな体で、妹を守るために雄々しく死に逝こうとする、この幼子を見て、何も思わないというのか?」
だが長老は首を振る。
「カンジェルマン殿……それを許せば、これまで村のために死んでいった他の双子に申し訳がたたない。これは掟じゃ。伝統なのじゃよ。この村に生まれた者の運命じゃ……カンジェルマン殿、おとなしく引き下がってもらえぬか……」
「長老……無理だ。この幼子の命がけの訴えを、私は聞いた。聞いてしまった以上、見て見ぬ振りはできない。どうしても、と言うのなら――」
カンジェルマンは、自らの半身とも言える愛刀を抜いた。
何人もの血を吸った、両刃の長剣。
「貴様ら全員、死んでもらう」
その夜、村の男たちが三十二人死んだ。
女子供は逃げ去った。
カンジェルマンの評価は一夜にして暴落した。
王家剣術指南役から、大量殺人鬼に――
だが、カンジェルマンに後悔はなかった。
彼は双子と、そしてもう一人を連れ、ネバーランドに渡った。
「ユリちゃん、ケイちゃん、ご飯よ」
女の声がする。
ユリとケイは、嬉しそうに隣の部屋へ行った。
「カンジェルマン様も、いらしてください」
「わかった。今行く」
カンジェルマンは隣の部屋に向かった。
隣の部屋では、焚き火を囲み、三人が楽しそうに夕飯を食べている。
川でとれた魚とパン、塩で味付けしただけのスープなど、粗末な内容であるが、それでも双子は美味しそうに食べていた。
カンジェルマンも、輪の中に加わる。
「カンジェルマン様、どうぞ」
白い肌、長い黒髪、そしてどこか悲しげな瞳が特徴的な若い女がカンジェルマンの隣に座り、スープの皿を手渡す。
「いつもすまないな、キティアラ」
カンジェルマンは皿を受け取る。
スープをすすりながら、双子と楽しそうに会話するキティアラの横顔を見つめた。
その顔には、刺青が彫られている。
左の眉から口元まで、稲妻のような模様が彫られている。
その刺青は奴隷の印であった。
また、魔女の印でもあった。
夕飯を食べた後、双子はすぐに眠った。
幸せそうな顔で、双子が眠っている。
相当、不便な生活であるはずなのだが……
双子からは、辛さが微塵も感じられない。
「二人は楽しそうだな」
カンジェルマンは思わず呟いていた。
「そうですね……でも、私も楽しいですわ、カンジェルマン様……」
キティアラは微笑み、カンジェルマンを見た。
「キティアラ……いい加減、そのカンジェルマン様というのは止めないか」
「……カンジェルマン様は私の――」
「お前はもう、奴隷ではない。そもそも、私は奴隷などと言うしきたりが大嫌いだ。そういった下らんしきたりこそが、クメンの近代化をどれだけ遅らせたことか……」
カンジェルマンは吐き捨てるように言った。
「……」
「もう一度言う。キティアラ、お前は今は奴隷ではない。私はただのお尋ね者、人殺しだ。私はお前の主人では――」
「私の仕えるべき方は、あなただけです」
キティアラの口調は静かなものだった。
だがその目には、はっきりと強い意思をにじませていた。
「キティアラ……」
「あなたは、私を人間として扱ってくれました。それに……あなたのしたことは、間違っていません。あんな村は滅びるべきだったのです。下らないしきたりのために、これまで何人の双子が死んだのか……」
キティアラの言葉には、はっきりとした怒りがこもっていた。
「私はあなたのしたことを誇りに思います。それに……あなたが私を頼ってくれて、本当に嬉しかった……あなたが私を訪ねて来てくれて……あなたの役に立てて……」
「ありがとう。そう言ってもらえると、少しは気が楽になる」
翌日の夕方。
地下鉄の跡地で、カンジェルマンは剣の素振りをしていた。
双子は外で遊んでおり、それをキティアラが見守っているはずだ。
日は沈み、暗くなりかけている。
そんな中、カンジェルマンは素振りを続けた。
いつもの習慣、のはずだった。
だが妙な違和感を感じ、素振りを中断する。
何かが変だ。
何が変なのだ?
…………
声だ。
あの亡者どもの声を全く聞いていない。
運命を一変させた、あの日……
それから毎日のように聞こえてきたはずの亡者どもの声を、今日は一度も聞いていない。
どういうことだ?
カンジェルマンは妙な胸騒ぎを感じ――
急いで三人の所に向かった。
「カンジェルマン様、どうしたのです? そんなに慌てて」
キティアラは微笑みながら言った。
向こうでは双子が、二人にしかわからないルールに支配された遊びに興じている。
確かに、微笑ましい光景ではあった。
しかし――
「キティアラ、荷物をまとめてくれ。どうも嫌な予感がする」
カンジェルマンの真剣な表情に、キティアラの表情も変わる。
「わかりました。すぐに出発しましょう。ユリ! ケイ! 二人とも戻ってらっしゃい!」
「いや! まだ遊ぶ!」
「もっと遊びたい!」
双子は明らかに不満そうだ。
「ワガママ言わないの! 早く戻って――」
「キティアラ、私が連れて来る。お前は荷物をまとめておいてくれ。頼む」
「わかりました……あ、あの、カンジェルマン……早く連れて来て……くださいね」
「やっと、様を付けずに呼んでくれたな」
カンジェルマンは一瞬ではあるが、今の緊迫した状況を忘れた。
キティアラはすぐに地下鉄跡に行き、荷物をまとめにかかるが――
人の気配を感じ、振り向く。
治安警察の制服を着た男と、野球帽を被った細身の若い男。
警察の制服を着た男――キークである――が口を開く。
「キティアラだな……死んでもらう」
カンジェルマンは双子のそばに行くが――
「やだ! もっと遊びたいの!」
「もっと遊ぶの!」
双子は走って逃げる。
が、カンジェルマンにあっさりと追いつかれた。
「お前たち、頼む……嫌な予感がするのだ。もしかして――」
だが、その瞬間、カンジェルマンは異様な殺気を感じた。
素早く振り返る。
大柄な若者と、小柄な幼さの残る少女が並び、ゆっくりと歩いてきた。
キークはゆっくりと右手を挙げる。
と同時に、左手は腰に下げた拳銃に伸ばす。
クリスタル・ボーイはすでに、改造拳銃を構えている。
「お前たち……殺し屋か……」
キティアラは低い声で、呟くように言った。
「まあ、そういうことだ。さっさと死ね」
その言葉を言い終わると同時に――
ボーイの改造拳銃が火を吹く。
一発では終わらさず、続けざまに何度もトリッガーを弾く――
一人の女を殺すには、あまりに多い銃弾を撃ち込まれたキティアラ。
即死……のはずだった。少なくとも、ボーイの経験上は。
しかし、火薬の匂いと硝煙のたちこめる中――
キティアラは、平然と立っていた。
バラバラ……という音を立てて、キティアラの足元に転がる銃弾。
ボーイは目を丸くし、一瞬ではあるが動きが止まった。
キティアラは冷酷な表情で、右手の人差し指をボーイに向ける。
何やら、奇妙な言葉の羅列。時間にして二秒あるかないか……
次の瞬間、キティアラの人差し指が光り始め――
ボーイめがけて、光が放たれる。
ボーイの体を貫くかと思われた、その寸前――
キークが凄まじいスピードでボーイの首根っこを掴み、ダッシュしていた。
かろうじて光をかわすことに成功する。
キークは、その体からは想像もできないほどの腕力で、細身のボーイを引きずりながらダッシュ、物陰に身を隠す。
「何だあいつは……」
ボーイの声、そして体は震えていた。
ガロードはカンジェルマンに向けて、ショットガンを構えたが……
後ろに双子がいるのを見て、ショットガンを腰に戻す。
そして、大型ナイフを抜く。
「そこの子供たちをさっさと逃がせ。でないと、まとめて皆殺しにするぞ!」
カンジェルマンに怒鳴りつけるガロード。
「……いや、お前たちはここにいろ。よく見ておくのだ」
カンジェルマンは双子に優しく語りかけた。
そして、ガロードの方を向く。
「さあ来い。お前は真っ直ぐな目をしている。お前のような男になら、討たれても悔いはない。だがな、私もただでは死なん。私の剣の腕が、どれほどのものか見せて――」
「ふざけるな!」
ガロードは凄まじい目で睨みつけた。
「こんな子供に……人殺しを見せたいのか!」
「私は……生きた証を見せたいのだ……この子らに……お前たち、良く見ておくのだ!」
カンジェルマンは剣を抜く。
そして、ガロードに突進した。
カンジェルマンの打ち下ろされた一太刀。
だが、ガロードも左手のナイフを逆手に構え、カンジェルマンの太刀を受け止める。
そして、右のストレート一閃――
瞬間、カンジェルマンは飛び退き、長剣の間合いに戻す。
さらに剣の一撃。
ガロードは避けきれず、腹をかすめる。
防刃のはずのベストが、ぱっくりと斬り裂かれていた。
キティアラはゆっくりと歩く。
その表情は、あくまで冷静だった。
じっくりと慎重に戦えば、自分が負けるはずがなかった。
だが、物陰からの声――
「おいあんた、今メール着たがな、カンジェルマンは死んだぞ」
「何?!」
瞬間、キティアラの鉄面皮が崩れた。
「う、嘘をつくな!」
キティアラがそう言った瞬間――
物陰から、キークが飛び出す。
横に走りながら、左手のハンドガンを連射する。
しかし、キティアラもただ者ではない。
すぐさま反応し、物理的攻撃に対する魔法の障壁を張る。
キークの撃った弾丸は、全て防がれ――
だがキティアラは、キークの右手を全く見ていなかった。
キークの右手首の時計から放たれたワイヤーは、カーブのような軌道を描き、キティアラの首に飛んで行った――
ワイヤーはキティアラの首に巻きつく。
キークは右手に力を込めて一気に引いた。
「カンジェルマン……」
キティアラの最期の言葉は、キークの耳にも聞こえた。
「キティアラ?!」
カンジェルマンは短く叫ぶ。
ガロードとの死闘……その最中、一瞬ではあるが、カンジェルマンの手が止まった。
ガロードはその隙を見逃さなかった。
カンジェルマンの腹に、ナイフを突き立てる――
カンジェルマンの口から洩れる、押し殺したような声……
「すまぬ……だが……他に何ができたのだ……」
「貴様……なぜ隙を見せたんだ! オレに情けをかけたつもりか!」
ガロードの咆哮。
だが、カンジェルマンは――
「聞こえる、か……」
「何!」
「聞こえる、か……あの笑い声が……」
カンジェルマンは、すでにガロードを見ていなかった。
その死に逝く瞳に映ったものは……
笑っている亡者たちだった。
「聞こえるであろう……あいつらが喜んでいる……私が来るのを……喜んでいる声だ……」
「オレに聞こえているのはな……お前の体から流れ落ちる血の音だけだ……」
そう言うと、ガロードはカンジェルマンの長剣を拾い上げた。
「忘れるな……お前にもいつか聞こえる日が来る……地獄の亡者の声が……そして、聞こえなくなる時が……きっと来る!」
カンジェルマンはニヤリと笑い、ガロードを見上げる。
カンジェルマンの、それまでの武人そのものの立ち振舞いからは、あまりにかけ離れた不気味な表情だった。
それを見たガロードは、我を忘れた。
そして、思い切り長剣を振る。
カンジェルマンの顔は、不気味な表情を貼り付けたまま――
体から離れ、飛んでいった。
「お、お前たち……オレと一緒に来い。オレが面倒を見てやる……」
全てが終わった後――
傷だらけのガロードは、双子に声をかける。
だが……
「あんたの世話になんか……絶対にならない……」
「よくも……よくも……おじさんを……」
双子は凄まじい目つきで、ガロードを睨みつける。はっきりとした、殺意のこもった目だった。
「ガロード……止めるのです。私たちがこの二人にしてあげられることは何もないのです」
黙っていたルルシーが初めて口を開いた。
「しかし……」
ガロードが何か言いかけたとたん――
「お前たちの世話になんか絶対ならない! おじさんを殺したお前たちの世話になんか!」
悲痛な叫び。
ガロードは暗い表情で立ち上がった。
双子に背を向け、歩いて行く。
あたりはすっかり暗くなっている。
「人でなし! いつか……絶対に殺してやる!」
「強くなって……必ずお前を殺してやる!」
双子の叫び声が、夜空に響き渡った。




