盗まれた過去
その日、ガロード宅では大勢の人間が出入りしていた。
キークに発見され、そして運び込まれたガロードは、ひどい熱を出し寝室で寝込んでいる。まだ意識はない。
傍らにはルルシーが付き添い、ガロードの様子を見守っている。ルルシーの顔からは、いつもの天真爛漫な様子がない。ずっと虚ろな表情のまま、ガロードの顔を凝視していた。
リビングでは、キークとジュドーがソファーに座っている。
先ほどまでは、医者のロドリゲスがいた。ロドリゲスの話では、命に別状はないだろう、恐らくは……とのことだった。
そしてクリスタル・ボーイや愚兄弟、さらにはジュドーの部下であるアイザックまでもが訪れた。
夢の中――
幼いガロードは、ひたすら歩き続けていた。
既に夜はふけている。
月明かりの下、周りに見えるものは……ガレキ、廃墟と化した建物、血だらけの人、そして肉片と化した人体……
自分がどこにいるのか、わからない。
どうすればいいのかも、わからない。
もう、十歳になったというのに……
ぼく、迷子になっちゃったの?
どうしよう……
周りの人はみんな……死んでる……
お母さんはどこ?
どこに行ったの?
お母さんも、死んじゃったの?
いやだ……
誰か来て!
ぼくを……助けて……
「おやおや、生き残った坊やがいたのですね。大丈夫ですか?」
背後から声がした。
女の人の声?
ガロードは振り返る。
そこにいたのは――
見たこともない不思議な女だった。
紫色の髪、透き通るような白い肌、大きな瞳、人形に命を吹き込んだのでは、と思わせるような、整った顔立ち。
そして、赤い――血の色の――ドレス。
その瞬間、ガロードはさっきまで感じていた不安や恐怖といったものを忘れていた。
女の顔から、目が離せなかった。
「坊や、お名前は何というのです?」
「……」
ガロードは答えることが出来なかった。
月明かりに照らされるガレキと死体の中に出現した少女は、あまりにも場違いで、異様かつ幻想的な風景を作り出していた。
少女は、そんなガロードをしばらく見つめていたが――
不意にしゃがみこんだ。そして、手のひらでガロードの頬を優しく包む。
「お姉さんは怖くないのです。坊やのお名前――」
「ガ、ガロード! ガロード・アリティー!」
ガロードはうわずった声で叫んだ。
同時に、顔が一気に熱くなり、耳まで赤くなる。
女はクスリと笑う。
ガロードはさらに恥ずかしくなり、パッと飛び退いた。
女は、クスクス笑いながら立ち上がった。
「私の名はルルシーなのです。さあ、一緒に行くのです」
ルルシーは手をさしのべた。
不意に、ドアを乱暴に叩く音がした。
キークがドアを開けると、ボーイが立っている。
「おいジュドー! んなガキほっといて、さっさと行こうぜ! ったく、本当にタフな野郎だぜ。しかし強化人間だったとはな。どうりで――」
不機嫌そうなボーイは、いつものようにガロードを罵るが――
ジュドーの表情に気付き、言葉を呑み込む。
「そうだ。ガロは強化人間だよ。だからこそ、キングコブラ並みの猛毒にも耐えられたんだ」
キークはのんびりした口調で言い、ジュドーの表情をうかがう。
ジュドーは黙ったまま、下を向いていた。
その表情は暗かった。
「お、おい……ジュドー、行くぞ! こんな湿っぽい家にいるくらいなら、タイガーの所の方がずっとマシだ!」
ボーイはずかずかリビングに入り込み、ジュドーの腕を掴む。
そして強引に表に連れ出そうとした。
「わかったよボーイ。キーク、後でまた来る」
そう言い残し、ジュドーはおとなしく従った。
ジュドーとボーイが去った後、キークはそっと寝室をのぞいた。
ルルシーは無表情で座ったまま、ベッドで眠るガロードを凝視している。
キークはリビングに戻ろうとしたが――
「キークさん、こちらに来るのです」
ルルシーの冷たい声。
キークは寝室の扉を静かに開け、入っていった。
そして、ベッドで寝ているガロードの顔をのぞきこむ。
ガロードは苦悶の表情を浮かべ、眠っていた。
「もしガロードが、あいつに殺されていたら……私はあなたを確実に殺していたのです。ガロードに感謝するのです」
ルルシーの声は冷えきっていた。
「……ガロに感謝すべきだな、オレは」
キークがそう言ったとたん――
急にガロードが苦しみだした。
そして、うわ言。
「い、行かないで……行かないで……」
「行かないで! お姉ちゃん!」
ガロードは泣きながら、ルルシーにむしゃぶりついた。
「……ワガママを言ってはいけないのです。お姉ちゃんはよそに行くのです。あなたは……ここにいるのです」
「いやだ! ぼくもお姉ちゃんと一緒に行く! お姉ちゃんと一緒がいい!」
ガロードは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ルルシーから離れようとしない。
「ガロード……私は言ったのです。メルキア国に着いたら、お別れだと……あなたも、うんと言ったはずです」
「いやだいやだいやだ! 絶対にお姉ちゃんと一緒に行く!」
「本当に、あなたは世話の焼ける子なのです……いい加減にしないと、私は怒るのです!」
ルルシーは、ガロードを無理やり引き剥がし、突き飛ばした。
突き飛ばされたガロードはよろけて――
後ろに倒れる。
しかし、すぐに立ち上がった。そしてルルシーに抱きつく。
だが、またしても――
無理やり引き剥がされ、地面に叩きつけられる。
「あなたみたいな弱い子、私は嫌いなのです」
「うなされているな……えらく嫌な夢を見てるみたいだが――」
「あなたは知らなくていいのです」
「そうか……オレはリビングにいる。何かあったら、いつでも呼べ」
「待つのです。まだ話は終わっていないのです。私には、あなたが何を企んでいるのかわからないのです。しかし、どんな人間かはわかるのです」
ルルシーは、キークの方を向いた。
その瞳には、冷ややかな殺意があった。
「キークさん、ガロードはあなたを信じているのです。あなたの事を恩人だと言っていたのです。私はガロードをこれ以上傷つけたくないのです。だから、ガロードの夢は壊したくないのです。あなたが何を企んでいようが、私は構わないのです。ただ、あなたにもガロードの夢を壊して欲しくないのです。それができないなら――」
ルルシーは静かに立ち上がった。
「あなたには、死んでもらうのです」
普段のキークだったら、はぐらかすか、その場から立ち去っていただろう。
だが、今日はそんな気になれなかった。
「……ここで殺り合う気かい? どうしても、ってんなら表に行こうぜ」
キークがそう言ったとたん――
「止めろ……止めてくれ……」
また、ガロードが苦しみだした。
いったい何が起きているんだ?!
これは悪夢なのか?!
「あなたみたいな弱い子、私は嫌いなのです」
施設に預けられたガロードは、その一言を忘れなかった。
強くなるために、ひたすら努力する日々。
周りからは避けられるようになった。
そして十五歳になったガロードは、軍隊に入る。
自立し、強くなり――
いつか、あの人を探し出すために。
強くなった自分を見てもらうために。
そして四年後。
ガロードたちは訓練のために、山奥にある廃村に入った。
ただのサバイバル訓練、のはずだったが……
夜中に突然、何者かの襲撃を受けた。
ガロードは見た。
目の前で、何者かに殺されていく仲間を。
目の前で、何者かに喰われていく仲間を。
地面を覆う血だまり。
無造作に散らばる臓器、そして手足……
悪夢でしか聞いたことのない、奇怪な雄叫び。
蠢き、そして貪り喰らう黒い影。
その時ガロードの心を支配していたのは――
怒りでも悲しみでもなく恐怖だった。
目の前で仲間が喰われているのに……
ガロードは、ただただ恐怖の虜だった。
彼は震えながら、逃げ出した。
ひたすら逃げた。
仲間を見捨てて、逃げ出したのだ……
だが、その時――
目の前に、一人の少女が現れた。
紫色の髪、白い肌、赤いドレス……
お姉ちゃん……
「お姉……ちゃん?」
ガロードは思わず呟いていた。
「あなたは……あの時の……」
少女――いや、ルルシーも驚愕の表情を浮かべている。
お姉ちゃん……
ダメだ……
ここにいたらダメだ!
「お姉ちゃん逃げて!」
ガロードは叫ぶと同時に、振り返る。
そして小型のハンドガンを抜き、得体の知れない何者かに突進して行く。
そして狂ったように吠えながら、ハンドガンを乱射する。
恐怖よりも強い感情が、ガロードの肉体を支配していた。
お姉ちゃんだけは……
ルルシーだけは、絶対に殺させない!
命に換えても守る!
だが次の瞬間、ガロードは太いムチのようなものの一撃を受け――
意識を失った。
「なあルルシー、殺り合うのはいつでもできる。今は、オレを生かしておいた方が得だと思うぜ。せめて、復讐が終るまではな。オレがいなけりゃ、奴らを探しだすのは難しいぞ」
キークの口調は、いつもと変わらずのんびりとしていた。
しかし、表情はいつもと違っている。
「あなたの言う通りなのです。生かしておくのです。ただし、復讐が終わったら……ガロードの前から消えて欲しいのです」
「考えておこう」
気がつくと、ガロードは軍の施設にいた。
強烈な一撃を受け、意識が飛んだ。
覚えているのは、そこまでだ。
他の者は全員、死んだのだ。
そして、ルルシーを守れなかった……
「お姉……ちゃん……」
翌日から――
ガロードは自ら志願し、様々な薬を投与された。
筋力強化剤、免疫力増強剤、さらにはナノマシンまで……
それらの投与により、ガロードの体を構成する細胞は変化を遂げる。
筋力はさほど上昇しなかったが、持久力と免疫力、そして体の修復能力などの数値は、凄まじい上昇を見せたのだ。
そしてガロードは鏡の前に立ち、錆びついた小型ナイフを握りしめた。
あの、悪夢の一夜……その時、ポケットの中に入っていたナイフ。自らの流した血に染まり、錆びついてしまったナイフ。
そのナイフの切っ先にインクを付け、顔をゆがめながら刻んでいく。
帰らぬ奴らを、胸に。
「私があんなことを言わなければ……ガロードは平和に暮らしていたはずなのです」
ルルシーは呟くような口調で語る。
「何を言ったんだ?」
「あなたには言いたくないのです」
ルルシーは再び、ガロードを見つめた。
「私がガロードの人生を狂わせたのです……」
ガロードの目の前に広がる光景――
信じられなかった。
地下の研究室。
何気なくのぞいたら――ルルシーが拘束されていたのだ……
周りには、白衣を着た男たちが集まり、何やら作業をしている。
やがて、一人の男が注射器を手に取り――
ルルシーの腕に突き刺した。
注入される薬。
突然、ルルシーが叫び出した。
悲鳴……やがて咆哮に変わる。
吠えながら、凄まじい勢いで暴れ出す。
拘束用のベルトが、今にもちぎれそうだ。
その横で、冷静に作業をする男たち。
ガロードは、その場で暴れだした。
強化ガラスの窓を叩き割ろうと、殴りつけ、蹴りを入れる。
警備の兵士たちに取り押さえられ、連れて行かれるまで、暴れ続けた。
警備兵から真相を教えられたガロードは、ただ呆然とするばかりだった。
ルルシーは吸血鬼だったのだ。
そして、軍の施設に瀕死のガロードを運びこんだのもルルシーだった。
さらに――
ガロードの治療と引き換えに治験体、いや実験動物となることを承諾したのだという。
次の日の夜。
施設の複数箇所が爆破された。
そのドサクサに紛れ、ガロードとルルシーは逃亡した。
「私は疲れていたのです。吸血鬼にされてから、何年経ったのかさえ忘れてしまってのです。人の命を奪うのも、嫌になったのです。あの場にいて、ガロードと再会して……何もかも嫌になったのです。いっそ、あそこで殺して欲しかったのかもしれないのです」
ルルシーはガロードの顔を見ながら、ポツリと呟いた。
「なあ、何でガロを助けたんだ……あ〜、言わなくていい。オレは向こうに行くよ。何かあったら呼べ」
キークは寝室から出ていこうとした時――
「私のことを覚えていてくれてたのです。私を守るために、戦おうと……」
あとの言葉は、よく聞き取れない。
聞く必要もないのだ。二人の間のことだ。
それに、聞いてしまったら……。
キークは何も言わず、寝室をそっと出て、リビングに戻った。
自分のしていること、そして、しなければいけないことを考え――
やりきれない気分になった。
その頃。
ボーイはどうにか仕事を競り落とし、タイガーの部屋の前にいた。
いつものように、ドアをノックする。
「入れ」
男の声。
ボーイは静かにドアを開け、入っていった。
相変わらず殺風景な部屋に、死神とタイガー。
だが――
「にゃんぱす〜、なんつって」
とぼけた声が、室内に響き渡った。
ボーイの顔が一気にひきつる。
「ジュドー、久しぶりだな……にゃんぱすとは、どういう意味だ」
タイガーは相変わらず冷酷な表情で、ボーイの後ろにいるジュドーを見つめる。いや、睨みつけると言った方が正しい目つきだ。
「いや、何となく……それにしても、タイガーさんは相変わらずダイナマイトボディですね。それと……久しぶりだな死神。相変わらず白いな」
ジュドーはヘラヘラ笑いながら、タイガーの視線と言葉を受け流す。
ボーイは、ジュドーという男の図太さに感動さえしていた。
「ところで……貴様がここにいるということは……貴様もボーイの仲間であると解釈して構わないのだろうな?」
「ええ、もちろんです。ボーイの部下一号ですよ、はっはっは――」
「黙れ」
タイガーの冷たい、感情の欠片も感じられない声が飛ぶ。
「はい黙ります」
ジュドーは口を閉じ、一応はもっともらしい表情を作る。
「ボーイ、バカな部下を持つと大変だな。ところで……今回の的だ」
タイガーはそう言うと、数枚の写真を取り出す。
その写真を、死神がボーイに手渡した。
「今回の的は能力者と、そうでない者……少々厄介な連中だぞ」
ガロードは、ようやく目を覚ました。
ふと横を見る。
ルルシーが椅子に座り、物思いにふけるような表情で下を向いている。
「ルルシー……」
ガロードは弱々しい声で、ルルシーを呼んだ。
ルルシーは、視線を上げる。
そして手を挙げ――
ガロードの頭を拳で小突いた。
「今度こんな真似をしたら、必ずブッ飛ばすのです。いいですね」
リビングにいたキークの耳に、かすかな会話の声が聞こえた。
そっと寝室をのぞく。
ガロードはベッドから上体を起こし、ルルシーの話を聞いている。
時おり、弱々しいながらも笑顔を見せる。
ルルシーも今日初めて、笑顔で話している。
心の底からの笑顔。
一方、キークの心は痛みを感じ――
やりきれない思いで、その場を離れた。
そして、自分に聞いてみる。
オレは、この二人を殺すことができるだろうか?
今はわからなかった。
だが、わかっている事が一つある。
命令が降れば、例えキークが殺らなくても――
組織の誰かが殺る。




