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六話




 博がエルフの森で目覚めて一週間が経った。

 村長の意向で食事も恵んで貰い、命は繋がっている。この中世的世界観を考えると食事はかなり美味かった。エルフという種の味覚か、あるいは単なる病院食か、いずれにせよ博好みの薄味に仕上がっている。


 食事のおかげもあって、博の怪我は既に立ち上がることが出来るくらいには回復していた。


「早く歩けるようになるといいね」


 そうだなと、自分の事の様に付き添うファ=ルゥに相槌を打つ。本日の予定は歩行の練習だ。

 博は上手く歩けない感覚に若干の胸のつかえを覚えて、その手に持った補助器具まじまじと眺めながら改めて考えた。


「(やっぱり、似てるよなぁ)」


 細かい部分こそエルフ仕様に出来ているが、どうにも既視感に近い記憶が引きずり出される。

 およそリハビリ機器として博の記憶に残る前世の産物。

 脇に挟み込むようにして歩行の補助となる杖に、博はその手の機器を『松葉杖』と形容した。


「ヒロシ、どう?」

「ん? これか? まぁ、支えになってくれて使いやすい……というか、なんというか……」


 ファ=ルゥが使い心地を聞いてくるが、前世で十分お世話になっているだけに、語尾が曖昧になっていく。もしもこの世界でエルフ特有の技術だとすれば下手に使ったことがあるとは言えない。それがファ=ルゥの目にはハイカラな技術に触れた田舎者にでも映ったのだろう。無論そこまでの言い方はしないのだろうが、ファ=ルゥは言葉を足した。


「ほら、杖って知ってるでしょ? それは『マツバヅエ』って言ってね、怪我した人や病気の人を歩けるようにしてくれるんだよ」


 博の知る使用法と一寸違わず、健気に解説を入れてくるファ=ルゥが微笑ましく見えてくる。

 自慢げに語るファ=ルゥの姿に湧き上がる胸の和みが、博のやる気を押し上げる。人はそれを親バカと形容するのだろうか。否、この微笑を前にして胸に何も湧き上がってこないという者は変人か狂人だけだ。と言うのは、博の談だ。

 要するにただの親バカである。

 博は誤魔化すように感心する素振りを見せて、リハビリに励んだ。


 ここ一週間、博の生活範囲はこの病室だけである。

 狭い空間は不便ではあるが、一つの発言でこの身の自由が左右される以上文句は言えない。

 つまるところ軟禁だ。

 そもそも出歩けるほどの体力も回復していないが、やはり博を簡単には開放できないのだろう。

 前世を思い出すとまだましではあるが。

 一週間が経過し、村長は未だに葛藤しているのだろうか。

 以来一度しかしていない対談で、里で会議を開くと言っていた。

 いつかの如く、良い結果を信じて身を委ねることしか出来ないのは、少々不甲斐なかった。


「――っと、もうこんな時間か」


 リハビリの成果らしい成果も見当たらない中、気がつけば一日も半分を消化し時刻は昼ごろ。

 博は病室の壁に掛けられた時計を眺めて呟いた。相変わらず異世界の数字は分からないが、体内時計と真上を指す針は正午を示す。


 そういえば腹も減ってきたなと、ぼんやり呑気なことを考えていた博に、ファ=ルゥの発言は言いようのない焦慮を与えた。


「あれ。ヒロシ、時計が読めるんだ」


 一瞬数字が読めることを尋ねられたかとも思い、現代人らしく当たり前のように自然と読んでしまった時間は見当外れな思考を引き戻す。

 ファ=ルゥの疑問とは博が時計そのものを読めたことに他ならない。

 無論、博は難しい漢字は読めなくとも時計くらいは読める。

 問題は、人間の街の記憶を巡っても、時計というものが見当たらなかったということだ。

 博に言い訳があるとすれば、前世と良く似た病室の風景にここが異世界と言うことも忘れてしまったと、実にしょうもない戯言だけである。

 数字を読めないと思っていた博と、時計を読めないと思っていたファ=ルゥの思考が入り乱れ、少々拙い会話のずれを生み出した。

 もっとも、博の一方的な墓穴ではあるが。


「お、おう。実は俺の遠い故郷にも似たような物があってだな……」


 分かりやすく慌てふためく博に、ファ=ルゥの純粋な瞳が突き刺さる。ファ=ルゥは博の言葉を鵜呑みにするように質問を重ねた。


「へぇー。ヒロシの故郷はどこにあるの?」

「それはもう、遠いところさ」


 具体的な表現こそ避けてはいるが、如何せんファ=ルゥの瞳に真実を語ってしまいたくなる。

 博の話を聞けるのが楽しいようで、ファ=ルゥは次々と質問を並べた。思えば街からエルフの森への移動の時も、楽しそうに博の話を聞いていた。

 異世界、日本。思考では懐かしき故郷を思い浮かべながら答えていく。


「どんなところなの?」

「なかなか、良いところだったよ」


 正直なところじわじわと追い詰められている気分だ。徐々に言い訳が辛くなっていくが、ファ=ルゥの子供心の好奇心を無碍には出来ない。

 内心では誰かに助けを求めて、二人きりの病室に逃げ場は逃げ出してしまったことを悟る。

 語る口がしどろもどろになりつつある博を救ったのは、とば口を控えめに叩いたノックの音だった。


「失礼……します」


 その声も同様に控えめで、というか、どこか不安に揺らいでいるか細い声は柔らかな女性の声をしている。入室してきたのは、肩まで伸びる金色の髪を流麗に靡かせた、淑やかな女性だった。露出した尖っている耳の以前として、この里に居るという事実は彼女をエルフと物語っている。ファ=ルゥや村長と同じく身に纏うローブは、エルフの民族衣装でもあるのだろう。エルフと言う種の特徴とも言える華奢な体付きと、眉目秀麗で端正な顔立ち。

 見事に種の恩恵を受け継いだその顔には、僅かな陰りが映っていた。


 博は一週間の中でファ=ルゥと村長以外に見ることがなかった突然の来訪者に戸惑う。否、正確に言うならば、とば口の向こうまで毎日この時間に客人が来ていたことは気付いていた。

 ファ=ルゥがとば口の先で対応し、そして顔は出さずに立ち去る。

 博は扉の先の人物――初めて顔を見せたこの女性に兼ねてからの礼を用意してたが、つい、その美貌に呆気を取られた。


「――お母さん!」


 ファ=ルゥがすぐさま駆け寄る。

 ファ=ルゥの面影が見えるというか、ファ=ルゥに面影が残ったと言うべきか、言葉の通り彼女はファ=ルゥの母親と博にも分かる位には似ていた。

 彼女にファ=ルゥが似ていると言うことは、ファ=ルゥも将来美人になり、そしてファ=ルゥに似た博の娘も将来美人になるはずだと、親バカならではの方程式が成り立つ。無論、妻も綺麗な女性だったと、博は胸を張って言えた。

 その手に持ったシンプルなバスケットには、博も見覚えがあった。


「ヒロシ……さん、ですよね? 初めまして。この子の母、ムウ=ルゥです」

「あっ、初めまして。山下博です」


 やはり、当たり障りないはずの自己紹介ですら、ムウの声には不安が見えた。エルフと言う種として人間を恐れているのだろう。

 ムウ個人としての好意的な姿勢こそ伺えるが、恐怖が先行し、ほとんど虚勢に近かった。


「あの、ヒロシさん。お礼を言わさせてください。いつもこの子がお世話になっていることと……その、助けてくださったこと」

「いや、礼なんていいんですよ? こちいらこそお世話になってる立場ですし、それに、当然のことをしただけです」


 博はムウの下げようとした頭をとめた。なおも頭を下げようとするムウに、博も折れてその礼は素直に受け取る。

 博自身人助けなんて柄にもないとは思っているが、娘に似ていたと、それだけではあるがそれ以上に必要もない理由を持っていた。まさに当然のことをしたまでだ。結局深々と腰を曲げるムウに居た堪れなくなって、博は頭を上げることを促すように話を振った。

 それこそ、まだ会って数分ではあるがエルフが人間に頭を下げると言う屈辱もないだろう。ムウがどう思っているかは博には読み取れないが、あの村長ならば頭を下げる行為もプライドが許さないことだ。


「俺も毎日、この時間に来る差し入れ、楽しみにしてるんですよ。いつもめちゃくちゃ美味くて。だからその礼、言いたかったんですけど、なかなか会えなくて」

「その、それは、ごめんなさい。今まで、ヒロシさんとこうして話すまで、人間が……怖くて……」


 ゆっくり上げた顔は申し訳なさそうにしている。口では言いながら、内心現在も博を恐れていることだろう。

 ムウも、一つの決心の下にこの場に立っている。

 博も染み付いた先入観はそう簡単には拭えないと、ムウの心境を察した。


「そのお礼と言うわけではないですけど、これ、いつもの差し入れです。大した物をお出しできなくて申し訳ないですが、良かったらこの子と一緒に召し上がってください」


 謙遜しながら差し出すバスケット。香ばしい香りが博の鼻を抜ける。毎日同じバスケットに詰められた料理を、博は楽しみにしていた。いつの日からか、リハビリに疲れる日々の一日の楽しみになりつつあった。

 美味いのだ。

 このバスケットの中身には、それだけの価値がある。


 博はお世辞もなく本心から礼を言って受け取った。


「それでは、失礼します」


 ムウは再び頭を下げて踵を返す。

 一週間こそ掛かりはしたが、博に礼を言えた事はムウにとって胸のつかえが取れたことだろう。病室に入ってきた頃よりも多少晴れた顔で扉の持ち手に手を掛けた。開きかけたところで、博が声を掛ける。


「あ、あのっ」

「はい?」


 振り返るムウの、遅れてついてくる流麗に輝く髪に見蕩れながら、博は搾り出す。なんというか、自他共に認める草食系男子の博は、美人に声を掛けるというのも緊張してしまうものだ。自分の胸の動悸にも更に緊張を煽られつつも、博は言葉を出した。


「ムウさんも一緒に食べていきませんか?」


 良いんですかと、目で問うムウに、博は精一杯の笑顔で肯定した。



  ◆  



 博とファ=ルゥがベッドの端に座り、ムウが対面するようにいすに座る。

 ムウの膝の上に開けられたバスケットには、一杯にサンドイッチが詰められていた。


「たくさんあるので、好きなものをお選びください」


 談笑を交えたことで打ち解けつつあるムウが微笑む。

 真っ先に好きな物を宣言したのは、ファ=ルゥだった。


「これが美味しいんだよ。ヒロシも食べてみて?」


 ファ=ルゥが頬にパンを付けながら薦める。どれも美味そうに見えて選びあぐねていた博は、ファ=ルゥの笑顔に負けて注文した。


「あっ、じゃあムウさん。俺も同じものをお願いできますか」

「はい……どうぞ」


 受け取る瞬間、緊張している自分に気付いた。

 誘いはしたが、本心は否定したかったのではないかと、何故か思考が後ろ向きになっている。受け取るとき、指が重なってムウが声を小さく上げた。その小さく上げた声の意図を考えるのが怖い。


 ふと、博は思った。――思ってしまった。

 もしかしたら、ムウは今日、村長の命令で博を見極めるために着たのではないか。


 考えてみれば、ファ=ルゥとの関係で、もっとも自然に送り込める。

 考えすぎなのだろうか。あるいは、この世界で垣間見た偏見と言うものに、博も毒されてしまったのだろうか。

 博は自分の中に生まれてくる疑念が怖かった。


 異世界の人間が故に、世界の歴史を知らないが故に、博は疑心に揺らぐ。

 異世界の人間だからこそ、偏見をなくして話せると思っていた。

 それなのに、それで揺らいでしまう自分がどうしようもなく情けない。


 少なくとも博は、この場で葛藤する姿を、見せるべきではないと思った。




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