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五話




 初めての死後からの目覚めは驚愕を隠せなかった。

 病気に蝕まれていたはずの体がすっかり健康体となって、久しく味わった心地良い感覚に感動したものである。逆に覚悟した死との相違に若干含む部分もあった。


 それが二度目となってしまっては、流石の博もどういう反応をすれば良いのか分からない。


 徐々に覚醒してきた意識で目を開いた先には、例のごとく知らない天井。

 前ほどベッドの布団もごわごわしてなく、博にとって慣れ親しんだ病院の布団に近い。

 おかしなもので、そんな物懐かしみたくもないのに、おばあちゃん家のような感覚の懐かしさがある。

 ふと視線を這わせてみると、窓から眩しい陽が差し込んでいた。カーテンは働きたくないようだ。博は眩しさに目を細めた。


 白を貴重として部屋全体に清潔感がある。

 漂う薬品の匂いが病院っぽい、というか、そこはもはや病室だった。


「えっ、まさか夢オチ?」


 驚いてとっさに起き上がろうとしても、気付けば体が異様に重たい。脇腹に激痛が伴って、嫌な感覚を思い出させる。病床について以降、一人では簡単に起き上がることが出来なかった。その感覚が、額に汗を滲ませた。


 エルフの少女との冒険は夢のような体験だったのだろうか。

 ファ=ルゥとの思い出は、夢のような一時だったのだろうか。


 夢と言われれば、確かに納得できてしまうような世界だった。だが、夢というにはあまりにも鮮明な記憶だ。戻れるものならば、戻りたい気持ちはある。

 博は逸る動悸を抑えつつ、改めて視線を恐る恐る這わせてみた。


「――ヒロシッ!」


 そこには、健気で、それでいて幼く、娘に良く似ている、耳の尖った少女の姿があった。

 目が会うとすぐさま飛びつくように抱きついてくる。


「ファ=ルゥ!」


 目覚めるまでの間、ファ=ルゥが看病してくれていたのだろうか。

 博の隣に置いたいすに座って、ファ=ルゥの頬についた跡がベッドに寄りかかって寝ていたことを物語っている。その手には寝汗を拭き取るためのタオルが握られている。

 どうにも身体は本調子ではないらしい。

 博はファ=ルゥの抱擁を嬉々として受け入れたかったが、脇腹を襲う激痛に悶え苦しんだ。


「そうか……俺、死に掛けたんだった……」


 苦悶を吐露しながら、だんだんと記憶が現実に呼び戻される。ファ=ルゥの抱擁が直撃した場所は、ちょうど獣に抉られた患部だ。なんとか命は繋がったようだが、傷跡はこの身体に一生残るだろう。今は布団の下に隠れる傷跡だが、想像しただけで血の気が引いてくる。

 申し訳なさそうにするファ=ルゥに、もう一度生死を彷徨うところだったが、悪気があったわけではない。若干引きつった苦笑いで水に流す。


「ヒロシ、何日も寝てたんだよ。私ね、ずっと看病してたの」

「そうか。ありがとな」


 自慢げに話すファ=ルゥに礼を言って頭を撫でると、えへへと笑った。

 心なしか饒舌に語る姿は、やはり娘の笑顔に似ている。嬉しそうに、楽しそうに、博とまた話をできて喜びが爆発したといった次第か。博がこの世界に来てから日が浅いはずであるにも関わらず、その姿には懐かしさを感じてしまう。生前では入院の日々に、妻や娘と毎日顔を合わせることが出来たわけじゃない。懐かしさと同時に博の胸に引っ掛かるのは寂しさなのだろうか。もう会えないのだと、改めて考え直してしまうと目頭が熱くなる。


「大丈夫、どうしたの?」


 博は自分の頬を伝う涙に気付いていなかった。ファ=ルゥが博の涙を心配そうに聞いて、自分の頬の一線の冷たさに気付いた。涙を手で拭き取って顔を上げる。


「いや、大丈夫だ。ただ、こうして生きてるのが、嬉しくってさ」


 博の涙は娘を残してしまった後悔に他ならないが、博が口にしたこともまた事実だ。

 前の世界でもこの世界でもきっちり一度ずつ絶望した命はまだしぶとく転がっている。


「でも本当に、どうやって生き残れたんだ?」


 博はあの傷では出血が多すぎて、我ながら生き残れるとは思えなかった。ましてこんな世界だ。医学は前の世界ほども進歩していないだろう。今回ばかりは疑問を抱かざるを得ない。今回もと言うべきか、当たり前に目覚めることに戸惑いを覚えるというのは、何か腑に落ちない気がした。


「――それはエルフの医学力のおかげだ、人間」


 不意にとば口が音を立てて入室を許した者は、エルフの男性だった。口にする言葉に棘を含みながら、ファ=ルゥとは対象的に侮蔑した目で博を見据える。さほど広くもない個室で、入り口から悠然と歩いて博を見下した。


「人間の頭では理解できない技術を駆使して、貴様を助けてやった」


 続ける言葉にも棘が抜けない。その辛辣さからも、恩義を押し付けたいわけではないのだろう。助けてもらっておいて礼儀知らずでもあるが、博の疑問に答える言葉は鬱憤を駆り立てる。


 博は特別医学に詳しいわけでもないので間違ってはいない。ただ、この世界の人間と比べてみれば博は病院漬けの日々で得た知識も多少はある。せいぜい生活の知恵程度の知識だが、現代日本に残された知恵はこの世界の人間も知らない事実があるだろう。無論男性は博が異世界からの来訪者とは知らない。

 こう上から目線をされては、悔しいというか、何か張り合いたいものがあった。

 博は腹に来るものがありながら、極力それと悟られないように気を遣って素直に礼を言うことにした。


「そうだったんですか。それは、ありがとうございます」

「……ファ。この人間が目覚めたらすぐに私を呼べと言ったはずだ」


 男性は博の謝礼に一瞥も下さず、ファ=ルゥを叱咤した。


「すいません、村長……」

「我々の技術の一部を見た人間を野放しにする訳にはいかないのは、ファも理解しているはずだ。その怪我では動くことすらままならんだろうが、万が一にも逃げ出されてはならない」


 ごめんなさいと、ファ=ルゥはまた頭を下げる。博の目からしてみれば反省の色は十分に見えたが、男性――村長と呼ばれた彼は、なおも並々ならぬ表情を見せた。博を、人間を前にして苛立っているのだろうか。博はファ=ルゥを庇うように村長を制止する。


「待ってください、俺は今目覚めたばかりなんです。ファ=ルゥが報告しに行く間も無くあなたは入室してきました」


 脇腹の痛みから満足に身体も動かせず、横になったままだ。それは理解しているのだろうが、村長は気に食わないとばかりに博を見据えた。エルフの種族の決まりに口を出されて、それが忌むべき人間では仕方がない。


「貴様も見た、いや、使ったのだろう? あれは銃と言ってな。低能な人間風情によく使い方が理解できたものだと感心するよ。貴様を襲った獣は、ファが渡した銃よりも威力が高い狩猟用の銃で私が仕留めさせてもらった」


「それは前の世界でも同じような物があったから」とは、この不満顔の前で口が滑っても言えない。


 とはいえ、流石の博も察する。

 この世界の人間の常識に銃という物は存在しないが、エルフはその技術力を持って開発した。他にもこの病院のような部屋も独自に作り上げてきたのだろう。現代日本を知る博だからこそ細部に見劣りもするが、街の様子を見てもこの世界の人間とは遥かな技術をエルフは要している。


 それを使ってしまった博を、村長は口封じしようと言っているのだ。

 最悪の場合、処刑も考えられる。


「ということは、あなたが助けてくれたんですか」

「無論、不本意だったがな」


 無論と言い切る、そこには人間への忌みが含まれているのだろう。博への態度からも、エルフと人間の確執は博の想像よりも大きく深刻なものだ。


 博にはエルフを嫌うと言った感情がない。むしろファ=ルゥのおかげで好意的ですらある。

 この場において村長の嫌悪は一方的なものだ。

 自分が人間と言う意識はあるが、この世界の人間とは違う存在でもあると思っていた。

 だが、村長からしてみれば同じ人間なのだろう。

 この風当たりは街を出ると決心した頃から予測は出来ていた。


「さて、つまるところ貴様の境遇だが……」


 村長が重々しく紡ぐ言葉に生唾を飲み下す。

 博とは別に鳴った喉の音はファ=ルゥから聞こえた。

 博の不安を共有するのはファ=ルゥだけだ。


「――村長!」


 不意に、ファ=ルゥが声を上げる。

 思わせぶりに悩む素振りを見せた村長に、居ても立っても居られなかったのだろうか。ファ=ルゥは不安に声を震わせた。


「あのね、ヒロシはね、私を助けてくれたの。街の中でも、獣の前でも、私を守ってくれたの。だから、だからね……ひどいこと、しないで……?」


 ファ=ルゥはその小さな体ごと震わせて、涙を浮かべる。子供ながらに村長の意気を察して、今度はファ=ルゥが博を庇った。


 この世界で触れた、数少ない優しさ。

 エルフと人間。二つの種族は極端な存在であるが故に、偏見を抱き続けてきた。

 街で出合った宿屋の親父のように、優しい人間。

 武具屋の親父のように、端から偏見で見比べる人間。

 そしてエルフも、ファ=ルゥと村長のように優しさと偏見が入り混じっている。

 どちらの種にも偏見が蔓延し、偏見が互いを別つ。

 寂しいと、博は思う。


 ファ=ルゥの涙には博までつられて、じわじわとこみ上げてきた。

 村長はファ=ルゥの涙に込められた思いを汲み取ったのか、悠長に語った。


「我々エルフは、人間と比べて長寿な種だ。一定の年齢を過ぎれば体の老化は訪れず、数百年を悠に生きる。それが故に、元来エルフの繁殖機能は乏しく、この里にも子は少ない。私は叡智であり孤高であるエルフの繁殖に害を成す人間を嫌っている」


 淡々と述べていくエルフの生態。種の繁栄を追い求めてきた歴史。

 人間とエルフが嫌い合う決定的な理由は他にあるだろう。博はエルフと人間の因果に無知な自分が歯痒かった。

 村長は訝しげに顔を歪めて、ファ=ルゥの肩に手を置いた。


「里の子を、この子を、悲しませるわけにはいかない」


 エルフにとって子供とは唯一無二に大切な存在だ。

 ファルゥの肩に置かれた手から、言外にも決意の強さがにじみ出ている。

 村長の怪訝とは、やはり博にあるのだろう。

 人間を救ったという屈辱。そしてその処分。

 当然ファ=ルゥが村長に助けを求めていなければ、そもそも見殺しにされていた。これは助けてしまったが故に生まれた問題だ。

 本来人間ならば有無を言わさず処分されるのだろうが、ファ=ルゥが悲しむ。

 エルフの掟と、エルフとしての決意のジレンマ。


 数秒の沈黙の後、村長は大きな葛藤を終え答えをひねり出した。


「人間よ……ヒロシと言ったな。お前はまずその怪我を治せ。治るまでに、処分はこちらで決めておく」


 つまりは保留であると。なんというか、辛辣な言葉を繰り返す彼らしくない答えだと博は思った。

 訝しい顔のまま踵を返した背に、何も言葉が出てこない。あるいは、命を乞う言葉くらい出した方が良かったのだろうか。

 博もまた、葛藤を抱えている。やはり人間と言う存在はエルフに認められていない。

 博がエルフの森に訪れて、ファ=ルゥにも迷惑を被っているのではないか。

 博を招いたファ=ルゥの立場はどうなる。

 いくつもの問題が残りながら、村長はそのまま部屋を後にする。


「どうしよう、ヒロシ」


 ファ=ルゥが心配そうに聞いてくる。


「俺がどうするもこうするもないだろうな。いずれにせよ決定権は村長さんにある。少なくとも、処分されてしまうような振る舞いには気をつけるよ」

「私、ヒロシが居なくなっちゃ嫌だよ」


 大丈夫だよと、博はファ=ルゥの頭を撫でる。


 博本人も気付かない不安を、ファ=ルゥはその手に感じた。




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