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二話




 外へ出た。

 漫画やアニメで見たことのある宿屋から一歩外へ出ると、同じく漫画やアニメで見たことのある店が商店街のように立ち並んでいる。鮮やかな色味の果実が一杯に積まれた木箱。見渡す限りに広がる物々。綺麗に裁かれた獣の毛皮が、一角の店に吊るされている。

 中でも博の好奇心をくすぐったのは、鎧が飾られていかにもといった武具屋だった。


 冷やかしのようにはなるが、この世界の通貨、その相場を知るには丁度いい機会だろう。情報を得るため、あるいは単純な好奇心で、博の足は既に武具屋へと赴いていた。


「……あんたが買えるような品はうちには置いてないぜ」


 歓迎の言葉はあまりにも辛辣だ。

 手厳しい言葉の通り博は現在、およそ通貨と呼ばれるそれらしき物を持ち合わせていない。この世界で目覚めてから着ているローブのような着衣の何処をまさぐってもこれと言った物は無かった。店の親父は察したのか、どうせ金は持ってないとばかりに顔を合わせすらしなかった。もっともそれは事実ではあるし、博自身我ながら貧乏臭いのは認めている。だが、頭ごなしに言われて引き下がっても欲しい情報は得られはしない。

 博は若干含む部分もありながら、参考程度に尋ねてみる。


「ちなみに、これはいくらぐらいします?」


 素人目にも分かる程度に立派な鎧は、博の見立てではあるがこの店で一番値が張ることだろう。店の中央でそれらしく目立っている。

 せっかくこんな世界に来たことだし手が届くような物ならいつかとも寄せていた博の期待は、ため息ひとつと気だるそうな低い声で済し崩された。


「あんたの収入五年分くらいだよ」


 店の親父が博をどんな人物と見ているかは知る由もないが、恐らくあまり裕福に見られていない。この世界の世界観も把握し切れていない博は、小ばかにした言い方をされても基準が分からなかった。偏見を大いに含んだ物言いに悄然とする。


 とはいえ、言葉端からも店の親父に良く思われていないことはなんとなく察した。若干未練を残した表情で立ち去る。背中から聞こえる深いため息は後ろめたい気持ちを押し殺した。

 そもそも、所詮は情報収集。肩を落とすのも見当違いだろう。

 博が開き直るのも時間は掛からなかった。



  ◆  



 散歩という名の情報収集で落ち込んだ気分も晴れた頃、また好奇心を仰がれた。何処の世界でも物珍しいことがあれば観衆が出来上がるらしい。何かを取り囲むように人々が群がっている。日本人離れした顔の人物と言語が通ずることに萎縮しなくなった博は、最後尾で必死に背を伸ばして視線を送る小太りの中年男性に声を掛けた。


「どうしたんですか、一体?」


 まだその目で話題の種を確認していないのか、男性は身体を左右に振って観衆の隙間を覗こうとしている。群がる観衆の密度はあまりにも濃く、男として少し物足りない身長の博が背伸びをしても見えた景色は観衆の後頭部だ。その博よりも低身長の男性は、諦めて額に浮かんだ汗をふき取り博の質問に答えた。


「何故かは知らんが、エルフの娘がいるらしい。こんな人間の住む街にエルフが現れたのは、半世紀も前のことじゃないか。なんでこんなところに居るんだ」


 どうやら宿屋の店主からも聞いた幻想的な言葉は、この世界でも珍しい存在のようだ。


 生前の壮絶な死を体験しているだけに命の大切さと言うものを誰よりも認知した博は、この世界では長生きしたいと思っていた。未だに根強く残る博の生前の常識の中で、彼らが口にしている存在はあまりにも異質である。それがこの世界でも異質と言うのは、ある意味安堵感も湧き上がってくる。

 博がこの世界で送る生活の中に、常識から外れる存在は入れたくなかった。

 それが長生きに繋がるなら好奇心も押し殺せる。


 ともすればこの場は立ち去るべきかもしれないが、如何せん他にすることもない。

 ちょっと見るだけだと、ほんの少し湧き上がった好奇心に負けるほど、博は楽観視していた。


「って、後ろからまた人が増えて押し流されるっ」


 博が観衆に興味を示したように、人の波は増えていく。なされるがままに押し流され、もみくちゃにされながら少しずつ話題の中央へ向けて前進している。引き返すにも人が多すぎて引き返せなくなった位のところで、博も波に乗じて覗いていく気になっていた。


 気付けば先頭に出た。

 ちょうど件のエルフと言う存在が見える場所。

 うまい具合に中年男性も流されてきて、博に解説を入れる。


「ほら、あの耳が見えるだろ? 尖ったように長い耳がエルフの特徴だ」


 得意げに語る男性が指差すのは、少女だ。男性の言ったとおり尖った耳は、それこそこの世界がファンタジーであることを証明するように漫画の中でしか見たことがない。誰もが想像するエルフの特徴だ。宿屋の店主がエルフの話をした時と同じ顔を、中年も見せている。


 少女は生前の博の娘に似ている。顔立ちも、小さな体躯も。あるいは、博が少女に娘を照らし合わせているだけかもしれない。ランドセルを背負って病室に訪れた、小学校に上がったばかりの娘と同じ年齢くらいだろう。ちょうどランドセル程度の大きさをしたバッグを背負う少女の姿は、制服を着た娘と錯覚してしまう。娘を失った、否、娘を置いて逝った博の目頭が自然と熱くなる。


 その少女が、俯いていた。

 物悲しそうに、顔を伏せている。

 どうして、なにがそんなに悲しいのか。なぜ下を向いているのか。

 少女の顔が次第に泣き崩れそうになっていく理由を、博は既に察していた。


「エルフのくせに人間の住む街に来るんじゃねぇっ」

「醜い種族は森に帰れよっ」

「お前らの居場所は与えてやっただろ」


 醜い暴言。

 聞きたくもないのに、観衆は口々に言い散らかす。差別の現場とは、第三者からしてみれば非常に胸糞悪い。


 博の頭が空っぽになった。

 あんな少女を、娘に似たあの子を、まだ子供なのに。

 目まぐるしく回る思考は全て悔しさをにじませている。


 種族の問題なのだろうか。博の生きた世界でも一昔前は似たような問題はあった。今でもその問題は各所に残っている。目の当たりにして、初めて悔しくなった。こんな差別が今でも存在することが、悔しかった。

 どうしようもない現状に、ただ絶望感が押しかかる。

 しばらく、観衆の暴言が飛び交っているのを、自分が受けるように聞き入れた。

 聞き入れることしか、出来なかった。


「帰れええいっ」


 少女に降りかかる数の暴力の中で、一際大きな怒声が鳴り響く。しわがれた老人の声だ。その声と同時に、山なりに石が投げ込まれる。

 遂に、物理的暴力が降りかかった。

 中空に弧を描いた石は少女まで届かず地面に転がり、完全に勢いを失ってコツンと少女の足に触れた。


「貴様らがわしらにした所業は、地獄の底まで忘れんからなぁっ」


 もはや怨念と化した怒りに観衆にも萎縮したものがいる。観衆からも注目を集めた声の主の老人に、博もつられて目線を合わせた。

 痩せ細った老人には青筋も浮き上がり、言外にも怒りを露にしている。

 足元から何かを拾おうとする仕草は観衆に埋もれて見えないが、石を投げ込むつもりだろう。元々肉付きも悪そうである老体では、また少女の足元に転がるだけだ。老人の怒りは少女には届かない。


 届かないから、何もしないのか。


 否、博の中の悔しさも、老人と同様に怒りへと変わっている。

 何も出来ない自分自身への怒り、観衆への怒り。異世界に来たばかりの訳の分からない状況で、博がこの状況に関係する部分は何もない。

 何もなくとも、蔑まれている少女が娘に似ている。

 それだけで十分だ。守りたいと、そう思っただけで十分だ。


 気付けば博の身体は、衝動に駆られた心事のままに動き出していた。


「――あなた達……こんな小さな子に、何をしてるんですか」


 抑えが利かず、博の声は震えている。

 既に投げ込まれていた老人の石は怒りを込められた分だけ勢いが増して、博の背中にぶつかって転がった。いくら老人の力が弱いとは言え、十分に激痛だ。激痛も気にならないほどの怒りだった。博が庇わなければ少女に当たっていただろう。怪我をしたかもしれない。

 老人の怒りがそのまま移ったように、博の頭には血が上っている。

 悔しさ、悲しさ、あらゆる感情が博の怒りを形成している。

 博の介入によって生まれた静寂も、博の頭を冷静にしてくれない。


 博が割って入ってきたことが気に食わない老人は、その牙の矛先を博へ向けた。


「お前は誰だ、人間のくせにエルフの見方をするのかぁ!?」


 老人の怒りは確かに博の胸に突き刺さった。反響する耳鳴りが老人の怒声を現している。静寂を破った声に触発され、博を否定する者も観衆の中から現れ始めた。


「小さな女の子が石を投げられてて、可哀そうだと思うことがいけないのかよ! 守ることの、何が悪いんだよぉ!」


 博の叫びは悲痛でしかない。これだけの観衆が居て、誰も聞く耳すら持たない。あるいは、探してみれば後ろめたさを押し殺している者も居るのかもしれない。

 差別とは、時として正しいことまで捻じ曲げる。

 この場において、悪として立っているのは博だろう。

 例え後ろで怯えるエルフの少女が博に助けられた礼を言おうとも、それは悪事なのだ。

 例えこの観衆の中に後ろめたさを押し殺して潜むものが居ようとも、それは悪事ではないのだ。


 それでも、少女を守ろうとする博の意思は変わらない。


 悪事と知って働く正義は、所詮自己満足の範疇に過ぎないのだろうか。正義と信じて働く悪事は、所詮許されないものなのだろうか。


 博の正義を否定されても、博はエルフの少女を救う。それこそ、与えられたばかりのこの命、掛ける覚悟も出来始めている。この世界で目覚めたときにした曖昧な覚悟ではなく、正真正銘命を張って守る覚悟だ。


 少女を守ることが罪滅ぼしだと思った。

 残してしまった娘と妻に、山下博らしい生き方を見せることが。


「――行こう」


 博の言葉に、泣き崩れそうになっていた少女の顔は呆然とした表情に変わる。有無を言わさずに引っ張った腕は、もみじのような小さく可愛らしい手の平をしていた。

 観衆のど真ん中を目掛けて駆け出した博の引く手についてくる、羽のように軽い体のエルフの少女。

 博が突っ込んでいくままに観衆が左右に割れて道が出来ていった。

 やがて観衆の中を抜け出して広い空間に出ると、自然と二つの荒げた息が耳に入る。少女と、他でもない自分の吐息だ。


 走るのなんていつ振りくらいだ。

 この世界に来て、この身体になって、たびたび感じる懐かしい感動。

 じっくりと楽しんでいたい心境を留めて、博は少女の手を握って走り続けた。



  ◆  



 この街の夜は暗い。元の世界と比べると、寂しささえ覚えてしまう。

 静寂の中に唯一聞こえるのは吐息の音だ。博とエルフの少女、二つの息は、どこか疲労の色を濃くして聞こえる。この世界ではランプが主な光源であるため、日が沈む頃には住人たちはそれぞれの家へ帰っていった。件の騒動が夕方間際だったこともあり追っ手らしい追っ手は少なく、裏路地に身を隠していた二人は運良く誰にも見つからなかった。

 そういえばと、少女の名前も聞いていなかったことを思い出す。今までずっと息を潜めていたせいで会話は少なかった。博は辺りに人が居ないことを念頭において、声を潜めて聞いた。


「そういえば、自己紹介もまだだったね。俺は山下博。ヒロシと、呼んでくれ」


 君の名前はと尋ねる博の声に、エルフの少女は身体を振るわせる。愛想良くしたつもりではあったが怖かったのかもしれない。人間にあんなことをされたばかりでは仕方が無いだろう。それでも誠意一杯の優しい微笑を続けて、数秒の沈黙の後、少女は何とか口を開いてくれた。


「……ファ=ルゥ……」


 少女の中では果てしない葛藤もあったことだろう。件の騒動でトラウマを植えつけた人間だが、助けてくれた恩人も人間である博だ。恐怖と感謝が入り混じり、結局搾り出した声も震えている。博は、その声を聞けただけでも満足だった。

 博が一際笑顔で少女の――ファ=ルゥの頭を撫でると、ファ=ルゥは笑顔を浮かべた。


「ところでファ=ルゥ。少し行きたい所があるんだけど、いいかな?」

「……うん」


 ファ=ルゥは少し戸惑う仕草を見せながら、コクリと頷いた。


 人の気配こそ無いが警戒しつつ、月の明かりを頼りに路地へ出る。

 記憶の通りにたどり着いた先は、最初の宿屋だ。結局また、店主の人の良さにあやかることになる。飯時は当に過ぎていて中から声は聞こえてこない。静かに押し込んだ扉は、僅かに立て付けの悪い音を立てて開いた。


「ヒロシ=ヤマシタ君……!?」


 店主はランプの明かりでなにやら作業をしていたようだ。扉から半分覗いた博の顔に、声を荒げずに驚いた。件の騒動で観衆の中に店主の顔は見なかったが、噂は届いているのだろう。店主の声はその体躯に似合わず小さく落としている。

 店主は博の後ろにくっ付く少女を確認すると、表情を歪めた。


「その子が、エルフの娘だな?」

「……はい」


 言い辛そうに、しかし素直に答える。


「あの……っ」

「いい、用件は分かっている」


 言い出そうとする博を、店主が食い気味に制止する。

 数秒、否、数十秒、あるいは数分。店主は考えに考え込んだ後、結論を出した。


「俺も、本当は快く泊めてやりたい。でも……でも、すまねえな」


 その謝罪が意味するところを、博は簡潔に受け止めた。不甲斐なさそうな表情だ。どうやら疲労のたまった身体は、その身のままで街を後にすることになりそうだ。

 博が一日の感謝を告げようとして、店主はまた食い気味に制止する。


「いや、太陽が昇るまでだ。それまで身体を休めていけ。譲ちゃんも、一緒に休んでけ。街が明るくなるまでに街の出口まで送ってってやる」


 博は店主の言葉に、感動すら覚えるのだった。




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