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やさしい朝を、ふたりで  作者: 長野智


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最終話

 そういえば、晴の予定を確認していなかった。

 それに気付いたのは、晴が一人暮らししているマンションに着いて、オートロックに反応がなかったときだった。

 ずっと走っていたから呼吸が整わない。酸素の回らない頭では冷静になれなくて、もう一度オートロックのチャイムを鳴らす。

 しかしやはり反応はない。

 もしかしたら、授業が入っていたのかもしれない。

(話すときに一時間って言ってたし、そっか、授業……)

 晴はあの男の子とは違う。だから無視をされているわけじゃない。弱気になりそうになったときにはすぐに千早を思い出して、前向きな気持ちになれと言い聞かせていた。

 おかげで今のところ、後ろ向きに考えることはない。

 一旦エントランスホールを出て、マンションを囲うようにある生垣に軽く腰掛ける。スマートフォンを取り出して晴とのトークルームを開くが、そこでピタリと指が止まった。

 晴のことだ。ここで呼び出せば、忙しくても来てしまうのではないだろうか。

 そんなことに気付いて、このまま待つかと切り替えた。

(勝手に来ちゃったし……)

 晴とのトークルームを閉じた。

 このメッセージアプリに登録されている友達は少数しか居ない。晴と千早と、あとは家族や親戚だけである。それでも寂しいとは思わなかった。寂しいと思うどころか、これを増やしたくないとすら思っていた。

 晴と千早が居なければ、自分はもっと卑屈で暗くて、ひとりぼっちの人間になっていただろう。


 晴に会って、一番に何を伝えようか。

 伝えたいことを頭の中でまとめながら、ぼんやりとスマートフォンを見下ろす。

 

 すると、いくら経った頃だろうか。

 バタバタと騒がしい足音が遠くからやってきたかと思えば、大きな声で名前を呼ばれた。

 反射的に顔を上げる。

 慌てた様子で帰ってきたのは、私がずっと待っていた晴だった。

「あれ? 早かったね」

「早かったねじゃなくて! いや連絡くれよ、びっくりした、いつから待ってんの!」

「いつからだろ……ちょっと前だと思う」

「嘘つくな。はー……ごめん、気付かなくて。家、上がる?」

 最後は少し躊躇いながら伝えられたが、晴はすぐに「いや、タンマ」と掌をこちらに向けて、ストップと言わんばかりの仕草を見せる。

「普通にダメだよな、家とか。どっかカフェとか入ろうか。こっからだったら……一番近いところで、ちっさいけど喫茶店が、」

「晴の家でいいよ」

 おそらく喫茶店の方角を見ていた晴がピタリと止まり、ムッと眉を寄せて私を見下ろす。

「いや、ダメだろ」

「ダメだったら来てない」

「そうかもしれないけど、そうじゃなく……普通に心配なんだけど、簡単に家に上がるとか言うの」

「……今更じゃない?」

「そうだけど……あー、もう。あのさあ、俺たちもうセフレじゃないんだよ。そんで、俺は牧野が好きなの。そんな状態で家に来るとかダメだって」

 少しばかり戦ったが、結局勝ったのは晴だった。

 晴に案内されたのは、ひっそりとしたところに構えられた、小さな喫茶店だった。

 ボックス席がいくつかあり、あとはカウンターのみ。入れる人数もごく少数と限られているが、今日は平日の昼間だからか、店内には誰も居ない。落ち着いたジャズの音と、大きなプロペラ。入ってすぐに、コーヒーの匂いに包まれた。どうやら豆にこだわっているお店のようだ。

 店主に「お好きなところにどうぞ」と言われ、私たちは一番奥のボックス席に腰掛けた。

「ここ、良いだろ。たまに一人で来るんだよね。レポートするときとか集中できる」

「そうなんだ……知らなかった」

「話したことなかったもんな。オススメはやっぱコーヒーだけど、牧野はコーヒー飲めないよな。お茶にする?」

「……あ、うん。烏龍茶で」

 晴はすぐに、店主に紅茶と烏龍茶を注文していた。

「……どうして私がコーヒー飲めないって知ってるの?」

「見てたら分かる。言っただろ、牧野は意外と顔に出るんだよ」

 ニラの件と似たような感じで気付いたのだろうか。意図的にやっていないために、自分ではまったく分からない。

「……さっき、大学で初めて伊澄さんに会ってさ。なんでここに居るんだって怒られた」

「え、千早が? 珍しいね、私たち校舎遠くて会わないのに」

「牧野が心配だったんだろ。伊澄さん、俺が牧野と居ると思ってたっぽかったから、早く探せって蹴飛ばされた」

 空手茶帯の蹴り……それは結構痛そうだなと、心の中で晴に謝罪した。

「それで、急にどうしたの? 俺、まだ時間が欲しいんだけど」

 ようやく本題に入るらしい。少しばかりトーンが落ちて、晴は気まずげに目を逸らす。

 同時に、紅茶と烏龍茶がやってきた。にこやかな店主はそれだけを私たちの前に置いて、何かを察したのか、店の奥に姿を消す。

「……私、晴に謝りたくて」

「……なにを」

 聞かれるより早く、テーブルにつきそうなほど深く頭を下げた。

「ごめんなさい。無神経なこと言った。千早に失礼だよって言われるまで、分かってなかったから」

 重たい間が落ちた。

 しかしすぐに空気が揺れて、晴から「ん?」と気の抜けた声が飛び出す。

「……待って、何に謝ってる?」

「だから……その、私が『セックス以外の時間にメリットがない』って思ってたことを伝えて、晴を傷つけた、から……」

 おそるおそる顔を上げると、晴は思ったよりも驚いたような顔をしていた。

 想像をしていなかった反応だ。もっと怒るか、悲しむか、そんな顔を想像していたのだけど。

「……晴?」

「あ、いや、ごめん。まさかそんなことを言われると思ってなくて……改めてフラれるのかと思ってたから」

「私が晴をフる? どうして?」

「どうしてって……」

 言いたくない。そんな感情が透けて見える苦い表情を浮かべた晴は、一度紅茶を口に含む。そのタイミングで、私も烏龍茶で喉を潤した。

「牧野、俺のこと好きなわけじゃないだろ。俺のことは恩人だって言ってたし……体の関係だって、そんな俺に迫られて仕方なく続けてただけなんだろうし。……でもまぁ、独占してた自覚はあるんだ。俺が怒るのはお門違いだよな」

 私は確かに晴を恩人だと思っているけれど、だから仕方なく体の関係を許したわけではない。

 それが伝わっていないことに驚いて、どう言えば良いのかと思考を巡らせる。

 そこでふと気がついた。

 そういえばいつも、こうして考えているうちに会話が進み、伝えたいことの半分も伝えられていないのではないだろうか。

「まあ、そんなこと牧野は気にしないでよ。俺が勝手に、」

「違う! 待って、あの、聞いてほしい」

 思ったよりも、強い声が出た。

 するとそれに驚いたのか、晴もびくりと姿勢を正す。目をまん丸にして、「そんなふうに強く言えるのか」とでも言いたげだった。

「あの、私、いっぱい考えちゃう癖があって、気がつけば会話が進んでいくことがほとんどなの。だけど今日は、ゆっくりになるんだけど、聞いてほしくて」

「……う、ん……ごめん。分かった」

 勢いに負けたのか、晴は今度こそ聞いてくれる姿勢に変わった。

 あとは、私が頑張るだけだ。

「……私、虐められてたって、知ってるでしょ? なにされたとか、言われたとか……」

「聞いた。胸糞悪い話ね」

「そのときのね、私に告白してくれた男の子の言葉が、ずっと頭から離れないの。だから私なんかに時間を取らせるのも、付き合わせるのも申し訳なくて……私との時間なんて、体を重ねることくらいしか価値がないんだって、思ってた」

 晴がぎゅっと眉を寄せる。私の話なのに、晴のほうが痛そうだった。

「晴は恩人で、優しくて、私にとって大切な人だったから、晴がしたいことは全部叶えたいと思ったの。他の人だったらしてないよ。本当に」

 晴は理解したのか、先を促すように数度頷く。

「……高校二年の夏休みのあの日、きっかけを作ったのは私だった。私が顔を近づけたから、晴がキスしてくれただけ。それから、始まっただけだった。……私、多分、晴のことを独り占めしたかったんだと思う。だけど私にはなにもないから、体を使ったのかも」

 カチャン、とカップとソーサーが乱暴にぶつかった。反射的に視線を上げる。

「その言い方は好きじゃない。使ったとか言わないでよ」

「……ご、ごめん……」

「……俺は嬉しいよ。独り占めしたいと思ってくれたんだって」


 晴の周りには、常に人が居た。

 だからこそ、晴が私だけのそばにいるなんて未来はありえないと思った。

 これから先もずっと一緒にいられる保証もない。

 学校が違う。生活が違う。大学に進学すれば、その違いはどんどん大きくなるだろう。

 

 大学に進学して、就職して……それから私は、どれほど晴のそばに居られるだろうか。

 そんな漠然とした未来への不安が、ずっと心の中にあった。

 

 だからあの日、顔をほんの少し近づけた。

 キスをすれば何かが変わるかもしれない。

 優しい晴なら、責任をとると言ってずっとそばに居てくれるかもしれない。

 

 そんな浅ましいことを考えながらも直前で踏みとどまったのは、晴が思ったより落ち着いた目をしていたからだ。


「……私、晴のことを恩人だと思ってるから仕方なく関係を続けてたわけじゃないよ。それも、伝えたかった」

 一つひとつ、私なりに伝えていく。間違えた言い方をしなかっただろうかと時々晴の表情を窺うが、晴は穏やかな顔をしていたから、緊張していた心がゆっくりと解されていくようだった。

「それで……その、晴の告白、本当に嬉しかったんだけどね。同時に、不安があって」

「……不安?」

「晴、私のことが好きって気付いたきっかけ、距離が離れたからだって言ったでしょ? だから、単に違和感を埋めれば恋愛じゃなかったって気付くんじゃないかって……つまり、勘違いなんじゃないかって、思えてたの」

「あー……だから、友達でいいんじゃないかって言ったのか」

「うん。……両思いで嬉しくて付き合っても、そのあと『やっぱり違う』って離れていくのは嫌だったから」

 ごめんなさい、と小さく付け足した。聞こえたかは分からない。なんとなく晴の顔を見ることも出来なくて、目の前に置かれた烏龍茶のグラスに目を落とす。

「いや、俺も言葉足らずだった。そうか、そうやって聞こえるのか。そうだよな……」

「……いや、晴が言葉足らずなことはないよ。私のほうが対人関係下手だし、慣れてないからうまくいかなくて、」

「俺が悪いでいいんだよ。コミュニケーションは一定じゃないし、人によって違うのなんか当たり前だろ。何より、俺が一番コミュニケーションを取りたいのは牧野なんだから、牧野とすれ違ってたんじゃ意味がない」

 ゴホン、とわざとらしい咳払いをして、紅茶を飲む。落ち着いた仕草でそれをこなした晴だったが、その目は紅茶から帰ってこなかった。

「まじで情けない話なんだけど……藍田さん、居るだろ。伊澄さんの彼氏の」

「あ、うん。バイト先が同じの」

「そう。俺さあ、結構ちゃんと『恋愛』って感じの恋愛してる人って、周りで藍田さんくらいなんだよ。だからみんな本気になったらああなるもんだって勝手に思っててさ……」

「『飲み会に行っても気にならない』とか『別の人と話てても気にならない』とか、具体的なシチュエーションあげてたの、それでだったんだ」

「まさにその通りで……藍田さんは、それら全部気になるって言ってたんだよ。だから恋愛ってそういうもんなのかって、ふとしたときに俺と牧野に当てはめちゃって。俺はそのときまで牧野が好きだと思ってたんだけど、そういえば決定的に『好きだ』って思ったことないなとか、藍田さんが気になること全部俺は気にならないなとか、なんとなくそう思い始めたら、この関係良くないんじゃないかと思えてですね……」

 それで『セフレやめない?』という言葉に繋がったのか。

 いきなりだったからただ私の体に飽きただけかと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。

「で、セフレをやめたらやめたで変に距離が空いて……牧野が何してるのかとか、誰と何があったのかとか把握できなくなって、それにヤキモキし始めたって感じ」

「……把握、するようなこと話してた?」

「話してたよ。俺の家行く前に、ご飯食べながら話しただろ。俺は結構あの時間で牧野の近況情報を得てたらしい」

 思い返せば、大学での話や、千早のこと、アルバイトで何があったとか、話していたかもしれない。

 あまり記憶に残っていないのは、自分の情報なんか興味ないだろうなと、極力晴に喋ってもらおうとして、聞かれるまで喋らなかったからだろうか。

「……その時間がなくなって、結局俺が一番気になってんの。牧野今なにしてんだろとか、誰か俺みたいなやつと出会ってないかなとか。『今日なにがあったの』ってメッセージ打とうとして、さすがにキモいかなって我に返ることもあったし」

「なんか意外。晴は友達が多いから、一人くらい居なくなっても気にしないと思ってた」

「牧野じゃなかったら気になってなかっただろうな。牧野は俺の中で友達じゃなかったんだから」

 少し前よりも落ち着いて、晴は真っ直ぐに私を見た。

「俺は、牧野のことを全部把握していい権利がほしいって思ったから自覚した。例えば今日なにがあったとか、誰とどんな話をしたとか、そういうことを聞いて、その人とは関わらないでほしいとか、男の人の連絡先は消してほしいとか、そういうことを言ってもいい立場になりたかったから」

 やけに、清々しい表情だった。

 普段から爽やかではあるが、今は普段以上に綺麗に思えた。

 晴はもともと、名は体を表すとは晴のためにある言葉とも思えるほど、晴れやかな晴天の青空のように清々しく、爽やかな人である。

 晴はいつも輝いている。私の世界を照らしてくれる、唯一の人。

「……それってなんだか、恋みたいだね」

 思っただけのつもりだったのだが、どうやら口から出ていたらしい。

 晴は苦笑を浮かべて「だから恋って言ってるだろ」と眉を下げる。

「牧野のきっかけは独占欲だった? さっきさらっと『両思いで嬉しかった』って言ってくれたけど」

 一拍遅れて、言われた意味に気がついた。

 驚きのあまり自身の口元を押さえる。しかしそれが肯定となったようで、晴はやけに楽しそうに笑った。

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