野球地獄
今すぐ野球を大嫌いにしてやる、引退したいと思わせてやる……つばめの言葉でペンギンズベンチは凍りついた。
「な……なんだそりゃ?脅しのつもりか?そんなホラにビビるほど俺は甘くねーぞ!」
「ホラではない。野球地獄に落としてやる」
つばめは敵対する人間を確実に不幸にしてきた。ヘッドコーチを失脚させ、ライバルチームの主力たちを不振、故障、退場といった事態に陥らせた。実際には少し違うが、海田鉄人を無期限の懲罰降格、新聞記者の後村三恵を左遷させていることにもなっている。
「仮にあなたが地獄から生還することができたら、その根性に敬意を払おう。褒美を与えてやる」
「……フン。いらねーよ……と言ってやりたいところだが、何をくれるのか楽しみになってきたぜ」
大きな衝突はなく、市川はマウンドへ戻っていった。六回裏、ペンギンズの攻撃はオズマから始まる。同時にこれが野球地獄の幕開けでもあった。
「ヴェッ!!」
『ポール直撃っ!ペンギンズ、勝ち越し!』
オズマのホームランで1点のリードに変わった。そしてここからが本番だった。
「セーフ!」
『連打連打連打!7対5、しかし交代の気配なし!』
6番から8番まで連打し、2点差。
『大きな外野フライ!三塁ランナーゆっくり生還!』
代打の町田が犠牲フライで3点差。
『飯館ホームイン!二者連続タイムリーツーベース!ライトスタンドのお江戸音頭が止まりません!』
「うぐっ………」
飯館、秦野も続いて5点差。二桁得点となった。
「がはっ……!」
『入ってしまった!このイニング2本目!』
とうとう7点差。ラムセスがとどめを刺した。
「12対5……これが地獄……」
「まだまだ生ぬるい。こんなもの地獄とは呼ばない」
敵ながら市川に同情する者が出てきた。ところがつばめはそれすらも許さなかった。
『空振り三振、スリーアウト!ホームランで流れが止まったか、池村とオズマは連続三振でした』
両チームのファンが市川に拍手を送るなかで、つばめは怒っていた。守備に向かう池村とオズマを呼び止めた。
「あなたたちは交代だ!手心なんか加えるとは……市川のような負け犬にも劣る奴らめ!」
座っていた武雄と青山にそれぞれサードとファーストを守るよう命じた。巻き込まれたくない2人はすぐに準備をして、ベンチから飛び出していった。
「ちょ……ちょっと待ってくれ!確かにほんの少し、かわいそうだなと思っちまったが……」
「オズマはこの回、先頭打者としてホームランを打ちました。それなのに交代なのですか?」
池村とオズマの通訳が弁明しようとするも、つばめはますます怒るだけだ。一切耳を傾けなかった。
「シーズンが終わってから後悔しろ!ここで手を抜いたせいで、節目の数字や出来高契約の条件にあと1本届かなかった……そうなる呪いをかけてやる!」
「呪い……か、勘弁してくれ!俺たちが悪かった!」
つばめに呪われたらほんとうにそうなってしまいそうだ。オズマはホームラン19本や打点79でボーナスに届かず、池村はシーズンの安打数が99本……そうなる未来が見えたので、2人は必死に謝った。
「ふん……間違いに気がついたのなら許してやろう。今日はここで交代するが、明日もスタメンで使ってやる。呪いの話もなしだ」
「……あの………」
つばめが落ち着いたのだから余計なことを言わなければよかったのに、打撃コーチは口を挟んでしまった。
「もう打つ必要はないのでは?大量点を取った次の日はなかなか得点できない……監督が以前に話しておられたことですよ」
「……あ?」
「これで明日1対0で負けたりしたら……」
あんなに打たなければよかったのにと言われてしまうだろう。正しい意見に聞こえたが、つばめを再び怒らせることになった。
「あんな屑、バッティングピッチャーと同じだ!どんどん打て!地獄へ落とせと言っただろう!」
「……っ!」
「やつだけではない!シーズン真っ盛りのこの時期にふざけた真似をした連中全員を懲らしめるんだ!」
選手を酷く扱う者たち、勝敗を無視した起用をよしとする首脳陣や選手もつばめは許せなかった。龍門ルチャリブレを断罪するために、圧倒的な勝利が必要だった。
「鬼!人でなし!」 「あの悪魔を退治しろ!」
七回もペンギンズ打線が爆発した。手を抜けばつばめに何を言われるかわからないので、全員全力だ。容赦のない攻撃にペンギンズの応援団からもヤジが飛ぶ。
「放っておけ。やつらは私のやること全てが気に入らないのだろう。もし手加減したら今度は『敵に遠慮するな』と怒鳴るに違いない」
「それもそうだな。しかしいつまで投げる気だ……いや、最後まで市川だろうな」
七回はなんと10点を追加して22対5。派手に炎上することが多かった市川だが、最後の試合でキャリアワーストを叩き出すとは誰も予想できなかった。いや、市川本人とつばめはこうなるとわかっていた。
「ヴェッ……ヴェッ……オエッ」
「や、やっと九回……あれ、思ったより……」
まだ鳴り物での応援が許される時間だった。ペンギンズは36安打で28得点と豪快に打ちまくったが、早いカウントから打っていったので試合のテンポは早かった。
『八回も6点を失った市川、もはやベンチへ歩く体力も気力も……おおっ、しっかりとした足取りだ!』
「市川さん……」 「市っちゃん!」
チームメイトやコーチに拍手で出迎えられた市川だが、彼らではなく天に向かい叫んだ。
「もっと……もっと野球がやりて―――っ!!」
野球はもう十分なんて気持ちは全くない。まだまだ足りないようだ。そのまま試合は終わり、花束贈呈や胴上げなどは行われなかった。
『28点……もちろん今シーズン最多得点での圧勝です。しかし市川投手の心を折ることはできませんでしたね。引退したいとは思っていないようです』
『そうだな。地獄から帰るどころか、そもそも落ちてすらいなかった……大した男だ』
『確か監督は『根性に敬意を払い、褒美を与える』と話していましたよね。どうするおつもりですか?』
試合はペンギンズの大勝利だったが、つばめ対市川の戦いは市川が勝ったと考えることもできる。つばめが用意した報酬は皆の想像を遥かに超えていた。
『龍門ルチャリブレに対し、市川寛一を無償トレードで獲得する意思を伝える。任意引退選手になる前にペンギンズの選手になってもらう』
「えっ!?」 「市川を獲るだって!?」
会見場は騒然とした。28失点したピッチャーなど、投手不足のペンギンズですら不要なはずだ。しかしつばめは彼を必要な戦力と見ていた。
『序盤はいい球を投げていた。明らかにバテていた終盤でもテンポよく投げ続け、最後まで無四球だった』
『確かにフォアボールはありませんでしたね』
『市川には敗戦処理をやってもらう。大差がついているのにコントロールが定まらず、しかもダラダラ投げる連中よりずっといい。バッティングピッチャーの適性もあるので、長く活躍できるだろう』
ペンギンズはコーチだけでなく、裏方のスタッフもほとんどペンギンズのOBだ。他球団の優秀な人材を呼ばず、引退する選手の再雇用を重視する。
今のうちに市川を拾っておけば、コントロールに優れたタフな打撃投手を確保することに繋がる。つばめはそこまで考えていた。
『今日の試合は最終テストだった。ペンギンズの投手陣はすでに何人もそのラストチャンスを逃したが、彼は合格した。明日にはもう入団が発表されるはずだ』
本来つばめに他球団の選手を獲得する権限はないが、ここまで話が大きくなってしまってはペンギンズの編成部も動くしかなかった。つばめが目をつけた選手はほとんど活躍していることもあり、すぐにトレードを申請した。
主力の離脱ラッシュ、将来性の欠片もない若手たち、独立リーグレベルの投手陣……今年もヤクルトは駄目そうですね。夢の100敗もあると思います。




