市川寛一
市川は緊急登板や敗戦処理でのロングリリーフなど、様々な場面で投げてきたのでスタミナには自信がある。今年は二軍戦にもほとんど出ていないので、体力は有り余っている。
『打った瞬間確信した!センター飯館も一歩も追わない、完璧なホームラン!吉岡の第4号ツーランホームランでルチャリブレがリードを再び3点に広げた!』
おそらく五回ぐらいまで市川は投げるだろう、そう考えるルチャリブレのチームメイトたちは、彼を勝ち投手にするために必死で得点を重ねる。能登を攻略した昨日以上の迫力があった。
「普通に投げていれば勝てたのにもったいない。あなたが得るはずだった白星は他のピッチャーに与えられることになる」
「………」
『ペンギンズの攻撃は小山からですが、出てきたのは山内!小山は3回5失点でノックアウト!』
小山のほうが先に降板することになった。これ以上離されるわけにはいかないので、復調の気配がないピッチャーを代えるのは当然だった。
「ぎゃっ!!」
『ライトスタンド一直線!突き刺さった!』
山内と飯館は凡退したが、秦野がソロホームランで球場の空気を変えた。3人で終わりそうなところを得点まで入れたのだから、秦野の働きは大きかった。
「素晴らしい一発だ。これはただの1点ではない。逆転勝利のきっかけとなるホームランだった」
「ははは……まだ2点負けてますよ?」
すでに勝ったかのような言い方のつばめに、秦野や周りの選手たちは苦笑いだ。しかしつばめは時々このような予言の言葉を語り、それはほぼ成就する。今日は勝てると皆が思うようになった。
『2番手の口田、ピシャリと抑えました!』
ルチャリブレは毎回得点していたが、このイニングは初めて無得点に終わった。ペンギンズに傾きつつある流れを変えるにはピッチャーを交代するのが一番だが、四回裏も市川が投げる。
「ルチャリブレの選手たちに戸惑っている様子はない……今日は市川のやりたいようにやらせるということでしょうね」
「チーム全体で暴走を後押しか……ふふっ」
退職金代わりとはいえ、試合を捨ててまで個人のわがままを認める愚かさをつばめは笑った。市川が何を言おうが金を渡して終わりにするか、そもそも枠に余裕がない今年は育成選手の昇格を諦めるべきだった。
「おっ……思った通りの展開になってきたぞ」
球場が大きくどよめく。高めのストレートを見逃さなかった池村の超特大アーチだ。
『ホームラン!これでとうとう1点差!』
「ぐぐぐ……!」
打たれた瞬間、市川は膝をついた。しかしすぐに立ち上がり、心はまだ折れていないことをアピールした。
「まさかあいつら、監督と同じ考えなのでは?監督は昨日、能登を五回まで無理やり引っ張って勝ち投手にしました。チームに勢いを与えるためです」
「……………」
「ルチャリブレも市川に有終の美を飾らせることで悪い流れを変えようとしているのかもしれません。仮に負けたとしても、その姿から学んてもらおうと……」
シーズン全体を考えて、浮上のきっかけとして市川を使っているのだとコーチは言う。しかしつばめは鼻で笑った。
「くだらない。超一流の能登とあんなのをいっしょにするな。影響力がまるで違う」
「……はい。失礼しました」
つばめを不機嫌にさせても何一つ得はない。素直に頭を下げるしかなかった。
「ああ〜〜〜っ………」
「ここまでか……よくやったほうだ」
五回裏、あとアウト一つで市川は勝利投手の権利を得ることができたが、ラムセスの打球はレフト前に落ちた。ランナーがホームを踏んで同点となり、通算7勝目が消えていった。
『久々の登板、とうとう力尽きたか!ベンチからコーチが出てきますが……』
誰も肩を作っていないので交代ではない。励ましに来ただけだった。しかしルチャリブレの救援陣はウォームアップを始めている。
「市川がいつ降板してもいいように相手も動きましたね。まあこの回まででしょう」
「……………」
市川は5失点しているが、実は球数は多くない。ペンギンズ打線は、甘い球を逃すなというつばめの命令に忠実だった。今のところ無四球でもある。
『五回終了時恒例、今日のクイズは特別編!市川選手に関するものです!今日の成績は含めずに、5打席以上対戦したペンギンズの現役選手で一番市川選手相手に……』
「はい!海田鉄人!」
『打率が高いのは海田選手ですが、長打率が高いのは誰でしょうか!』
「ウゲッ!引っ掛けかよ!」
「はい、オズマ選手です」
今日のクイズ対決もペンギンズ博士の完勝で、無敗記録を伸ばした。その裏で、両チームのブルペンでは2人ずつ投球練習をしている。
『六回は阪田がいきます!今日はクローザーの安岡がベンチにいないペンギンズ、どのような継投になるのか!』
リリーフの中では信頼の置ける小西や星野ではなく、点差が開いた時に投げるピッチャーたちが準備している。これはつばめの指示だった。
「勝つ気がないのか?今日は温存の日か?」
「つばめ監督も華を持たせようとしてるのか?」
つばめが安岡を休ませ、小西たちを温存している理由はシンプルだった。彼らを出す必要がないからだ。
『センターフライ!あと少し飛距離が足りずスリーアウト!そして六回裏のマウンドも……』
市川が上がった。それを見たつばめは、彼に聞こえるように大きな声で自軍の選手たちに檄を飛ばした。
「おい、もういいだろう!いつまでやつを投げさせる気だ!そろそろ終わらせてやろうではないか!」
「………」
「あいつはまだ7月なのに現役続行を諦める負け犬だ!きっと金や地位を約束されたに違いない。だからこんな時期の引退を受け入れたゴミ野郎だ!」
季節外れの引退を拒否しても、どの道シーズン終盤には戦力外になっていたのは確実だった。それならここで去ったほうが賢明なので、市川は球団の言う通りにしたと考える者は多かった。
「プロ野球選手の立場を簡単に捨てるゴミ相手に何を遠慮している。さっさと……」
つばめの罵倒に我慢の限界を超えたか、市川がマウンドを降りてペンギンズベンチの前までやってきた。それを見たつばめもベンチの最前列に立った。
「どうした?思い出作りにつきあってくれてありがとうございますと礼を言いに来たのか?」
「………!」
市川はプロ野球選手にしては小柄で細身だが、つばめよりは絶対に力が強い。つばめのそばにいる国村や若手の選手が、いつでも止められるように構えていた。
「俺は……野球が好きだ!金や地位なんていらない!この身体が動く限りプロ野球選手でいたい!」
これはつばめだけに向けられたものではない。外苑球場、そして中継で観戦している全ての人々に自分の思いを叫んだ。
「だが、いつかは終わりが来る。チームのためにと苦しみ抜いて決断した俺の心がお前にわかるか!肩も肘も悪くないのにもう投げられない無念がお前にわかるのか!」
怒りよりも悲しみが勝る絶叫だった。しかしつばめは怯むことなく、市川を睨みつけた。
「屑が……それなら引退ではない。契約解除を申し入れ、ウェイバー公示をしてもらえばよかった。ペンギンズ戦で最後の花道などという邪念のせいで間違えたのか?」
「はっ……!」
「もしくは引退も自由契約も拒否し、シーズン終了まで居座ればよかった。あなたにはその権利がある。とはいえ2ヶ月程度延命するだけだがな」
市川が自由契約になっても拾うチームはないだろう。引退を拒否すれば戦力外だ。それでも今日引退することに比べれば、一縷の望みはあった。
「野球が好きだと?だったら大嫌いにしてやろう。今すぐ引退したいと思わせてやるから、泣いて喜べ」
ベイスターズ、惨敗!ベイスヲイジメヌンデ……




