最後の勝負
『龍門ルチャリブレの市川寛一投手がシーズン途中での引退を決意しました!いま最も注目されているつばめ監督率いるペンギンズとの戦いを野球人生の集大成にすると語ったようです!』
選手の枠を空けるために引退することになった市川だが、野球に詳しくない人々はその事情を知らない。ベテランに最後の花道を用意した球団は粋なことをすると褒め称えていた。
野球ファンなら真相がわかっている。いくら負け役の市川とはいえ、こんな扱いで球界を去るのは気の毒すぎる。ネット上ではルチャリブレを非難する書き込みが殺到した。
「こんな仕打ちをするなんて……龍門ルチャリブレ、許せません!」
「そうか?この程度の選手がここまで生き残っただけでも奇跡だ。こうしてテレビで取り上げられて、野球を知らない連中にも名前と顔が広まったんだ。給料は全額貰えるだろうし、本人に不満はないだろう」
憤るみのりに対し、つばめはとても冷静だ。プロ13年目の35歳、6勝しかしていないピッチャーがどうなろうが構わないという態度だ。
「引退試合ということは、最初の1人、もしくは1イニングだけ投げるのでしょうか?」
「さあな……しかし明日の試合は消化試合やオープン戦ではない。市川に遠慮するやつがいたら、私がそいつを引退させてやる」
真剣勝負で打ち砕き、完全燃焼させるのも礼儀だ。選手たちにも本気でいけと伝える予定だった。
「7月にやるから珍しいだけだ。これから入る選手に席を譲る……秋にはよく見る光景だ」
「それが実力主義の世界ではありますが……」
つばめに暗黙の了解は通用しない。相手の事情や境遇に配慮することもしない。 実力の足りないピッチャーが出てきたら攻めまくり、そこから崩すだけだ。
「よし……寝るか」
「はい。ゆっくりお休みください」
連敗が止まり、今日はつばめが荒れることはない。もし一昨日と同じことになればまた胸を吸われていたかもしれないので、みのりは準備だけはしていた。
(あれは素晴らしい体験でした。しかしそのためにはつばめさんが極度のストレスを感じる必要が……)
つばめの不幸を願うわけにはいかない。葛藤しながらみのりも眠った。
「市川頼むぞ―――っ!」
「『終わりよければ全てよし』を見せてくれ!」
試合前から市川に大歓声が飛ぶ。普段なら彼が投げる試合はほぼ負けなのでルチャリブレファンのテンションは低いが、引退するとなればやはり寂しい。敵地であることを感じさせない声量だった。
「愛されてるじゃないですか、市川さん」
「………」
本拠地ではないので、試合後のセレモニーや別れの挨拶をする場はない。1球ごとに感謝の気持ちを込めて投げるだけだ。
「相手は燃えています。小山では踏ん張りきれないかもしれません」
「そうだな。早めに次を用意しておくか」
先週は好投した小山だが、それを続けることが最近はできていない。不安定なピッチングは年齢のせいだろうが、すぐそばにいる能登の頑張りを見れば言い訳はできない。
「安岡を休養日にしたのも、今日は勝ち目が薄いと考えているから……ですよね?」
「……勝負を捨てる気はない。始まればわかる」
安岡を使う必要がないほど大差で勝つことをつばめは狙っている。そうなるという読みがあった。
『さあプレイボール!試合前にはペンタロウから遠回しに市川への労いの言葉もありました!前代未聞の引退試合が始まります!』
ルチャリブレはピッチャーの力で勝つチームだが、打線もたまには爆発する。長打が少ないのは連打や小技でカバーしていた。
「しゃあっ!やったぜ!」
『レフト前に運んでタイムリーヒット!ルチャリブレが早くも2点目、初回から試合が動きました!』
ペンギンズベンチの悪い予感は当たり、いきなり先制を許した。ただし2点ならまだ諦めるには早い。
『いよいよ市川寛一が最後のマウンドに上がります!通算6勝65敗で防御率は5点台!派手なやられっぷりが代名詞になっていた市川、有終の美を飾れるか!?』
ルチャリブレのブルペンでは誰も投げていない。このイニングは投げ切るつもりのようだ。
(それなら遠慮なく……むっ!)
「ストライク!」
サウスポーの市川がアウトコースの際どいところにカーブを入れてきた。引退するピッチャーの球とは思えず、予想以上のキレに飯館は驚いた。
『空振り三振!低めにバットが止まらず、ラムセス倒れてスリーアウト!市川、3人で抑えました!』
試合前のミーティングで、絶対に手を抜くなとつばめから言われている。それでも三者凡退に終わった。
「市川!市川!市川!」
市川コールが鳴り響く。見事最後の登板を終えたと思われたが、実は違った。
「あれ?」 「まだ誰も準備しないのか」
二回表の攻撃が始まってもルチャリブレのブルペンに動きはない。そして無死一、二塁で9番の市川に打順が回ってきた。
「え……えっ?」
『なんとそのまま打席へ向かいます!ということは市川の続投ということに……』
場内がどよめくなか、市川はバントの構えだ。控えピッチャーがいないのだから、思い出作りにバットを持ったわけではなさそうだ。
『三塁は…見るだけ!送りバント成功!』
市川に送られ、続くバッターの犠飛で3点目を奪われた。優秀なピッチャーが揃うルチャリブレを相手に3対0だと、本来ならかなり苦しい。
「しかし今日は市川だ。3点なんかすぐだ」
「監督……まさか最初から市川がそれなりのイニングを投げると知っていたんですか?」
若手選手が聞くと、つばめはにやりと笑った。
「私との戦いを最終登板にする、それを条件に理不尽な引退を受け入れたんだ。1イニングで終わるわけがないだろう」
つばめの読みは大当たりだった。市川は自分が満足するまで投げさせるよう、現場の首脳陣や背広組の上層部に迫っていた。
「俺に最後の勝負をさせてください。その代わり来月分からの給料はいりません」
「数百万をドブに捨てる気か!?」
「俺がもういいと言うまで絶対に交代しない、それさえ約束してくれるなら」
たった1試合のために全てを捨てた。その覚悟の前では断ることなどできず、市川のための試合となることが決まった。
『ボールは中継まで!大矢木の2点タイムリーとなってあっという間に1点差!』
「あ〜あ……」 「やっぱり駄目か……」
二回裏の市川は三者凡退の初回とは別人のようだった。池村、オズマに連打され、土場の内野ゴロでランナー二、三塁。そして大矢木に打たれて3対2だ。
『ルチャリブレのブルペンは……動きなし!』
市川が降りる気がないうちは続投だ。市川のためにも勝ちたいが、勝敗よりも彼が満足することを優先していた。
「ヴェッ……おおっ!」
『ショートライナー!おっと、大矢木が飛び出している!アウト、ダブルプレーでスリーアウト!』
痛烈だったが野手の真正面、しかも打球が速すぎてライナーゲッツー。市川にとってはラッキーだが、ペンギンズにはアンラッキーな結果になった。
『運に恵まれた市川、おそらく三回も続投です!』
市川寛一……龍門ルチャリブレに所属するベテラン左腕。通算成績は6勝65敗、緊急登板や敗戦処理を任されるせいで防御率も悪い。シーズン途中での引退を受け入れる条件として、ペンギンズ戦に先発することを希望した。元になった人物は某ハリウッドストーカー。




