胸を吸う
「くそっ……寝るぞ!」
食事で腹を満たし、入浴で全身を清めても、つばめの心は荒んだままだ。明日は試合がないので、火曜日までずっと不機嫌でいる可能性がある。
つばめが監督になってから日曜日は6戦全勝だった。加林の活躍が大きな要因だったが、彼の乱調と共に不敗伝説も終わった。
「わかりました。では……」
そんなつばめを癒やすために、みのりが動いた。早い動きでつばめより先にベッドに入ると、両手を広げた。
「……どうぞ、つばめさん。来てください」
「………ん?」
みのりの言葉と体勢が何を意味しているか、つばめはわかっていなかった。突然どうしたという顔だ。
「つばめさんにとっては試練の3連戦でした。明日から新たな気持ちでペンギンズを導くために、その怒りや悲しみ、悔しさなどを捨てましょう」
「……どうやって?」
「私の胸でお休みください。暴風で荒れ果てたあなたの心を少しでも癒やしたいのです」
大きなベッドで共に寝ていたが、抱きあうほど密着したことはない。つばめが眠っているうちにこっそり……みのりがそう考えることはあっても、未遂に終わっている。
つばめの苦しみを取り除きたいと、みのりは心から願っていた。それが関係しているのかはわからないが、つばめがゆっくりと近づいてきて、
「……………」
みのりに吸い寄せられるようにして倒れ込んだ。みのりの柔らかい胸がクッションとなってつばめの頭を受け止めた。
「……そうです。ゆっくり心の傷を癒やしましょう。電気を消しますね」
部屋が暗くなった。つばめの頭や背中を撫でてあげようとみのりが手を伸ばす前につばめが動いた。
「………えっ!?つ、つばめさん!?」
「……………」
みのりのパジャマ、それにシャツを手でずらした。そして素肌を露わにしただけでは物足りないのか、さらにその先へ向かおうとした。
「……ああっ!」
「……………」
ついに胸を守る下着まで一瞬で外してしまった。みのりが戸惑っているうちに、つばめは胸の先端の膨らみを口で咥え始めた。
「ひっ!そ…そんな…いきなり………」
つばめは一言も発しない。顔を埋めているので、どんな表情なのかもわからなかった。
「あっ……わ、私……もう………」
「……………」
愛するつばめに求められ、みのりは爆発寸前だった。しかし突然、違和感が彼女を襲った。
(この感じは……『愛の種類』が違うような……)
つばめの口や手の動きから欲望を感じなかった。恋愛感情や友情とも違う、別の何かだ。
(まさかこれは………)
母親の乳を飲む子どもだ。監督生活で一番の苦しみを味わっているつばめがいま最も欲していたのは、小さな我が子を思う親が抱くような純粋な愛だった。
「………つばめさん………」
つばめが祖父の影響で野球を好きになると同時に、両親はつばめを憎むようになったという。だからつばめが親からの愛を受けたのは、この世に生まれてから僅かな期間しかなかった。
その時のことを身体が覚えているので、無意識のうちに赤子みたいに振る舞っているのかもしれない。そう思うとみのりは涙が止まらなかった。中途半端に脱がされていた上半身の服を自ら全て脱ぎ捨て、つばめを優しく抱きしめた。
「私は野球に関しては素人……何も力になれません。こうしてあなたの傷を癒やすことしか……」
それでいい、そんな声が聞こえたような気がした。しかしつばめはすでに寝息を立てて寝ていた。
「……よく寝た………ん?」
「おはようございます。つばめさん」
つばめが目を覚ますと、上半身は何も着ていないみのりがいた。時間はまだ朝の5時だった。
「……私はとても気分よく眠れたが、みのりは違ったようだな。裸になるほど暑かったのか?」
「………え?」
「冷房をつけてもよかったのに。今年の暑さは異常だからな……夜も全く涼しくならない」
ずれたことを言っている。みのりが裸になっているのが自分のせいだとは夢にも思っていないようだ。
「……眠る直前のことを覚えていないのですか?」
「いらいらしていたのは覚えている。しかし意識を手放してからの記憶がない。今は心も安らかになっているが……何か変なことをしなかったか?」
白を切っている様子はない。親友の胸を吸い、出ない乳を飲もうとしていたと言ったところでつばめは信じないだろう。自分がそんな真似をするはずがないと怒るかもしれない。
「いいえ。何もありませんでしたよ」
なかったことにするのが一番だ。みのりが黙っている限り平和は守られるが、これで全て終わりとは言い切れなかった。
(もしつばめさんが来年以降も監督を続けるとしたら……遠征にも同行する必要がありますね)
長い連敗や痛恨の敗戦を喫すると、意識を失ったまま暴走する。しかもその記憶がないというのだから恐ろしい。今回はみのりだったので愛の気持ちで受け入れたが、相手によっては大事件になる。
できることならすぐにでもつばめから離れない生活を始めたいが、学校がある。学業に支障が出ないことを条件に祖父からつばめを支える役割を与えられたのだから、今年は我慢するしかない。
(ですがもうすぐ夏休み……その間は常につばめさんのそばにいる許可をもらいましょう)
横浜での3連敗がきっかけで、ペンギンズはずるずる後退することも考えられる。みのりがいないと苛立つつばめがいつ誰を襲うかわからない。
「今週は前半戦最後の週だ。全て外苑球場だからどっしりと構えられる」
「巻き返していきましょうね」
ひとまず今週は問題ない。つばめが何をしてきても受け入れる決意を新たにしたみのりだった。
「明日からの龍門ルチャリブレ戦……ピッチャーは先週投げなかった能登が初戦、その後は小山、大澤です」
「苦しいメンツだがこれでいくしかないな」
能登は大ベテラン、小山はベテラン、大澤は谷間の先発。全員3失点で済めばいいほうだ。
「ここで踏ん張るか、転がり落ちてド・リーグのお荷物に逆戻りか……能登さん次第だな。チームを救ってくれると私は信じている」
絶妙なコントロールを駆使した老獪な投球術が蘇ればどうにかなる。通算192勝の左腕に託した。
「来週はオールスターを挟むので、一部の先発ピッチャーは投げたら抹消してもいいと思います。あとは加林です。オールスターで投げるのでローテーションを再編しましょう」
「日曜で固定させたかったが……そうだ、一度飛ばして休ませ、また次の日曜という手もある」
つばめブームの影響で、オールスターはペンギンズの選手が大勢出場することになった。最下位チームからの大量選出に疑問の声も上がったが、6月以降の成績は非常に優秀だ。勢いと調子を考慮すればそこまでおかしい話でもない。
先発投手の中でオールスターに出るのは加林だけなので、彼の登板日だけ調整の必要がある。今週の日曜日に先発し、オールスターではおそらく第2戦の水曜日、1イニングではあるが中2日の登板になる。日曜日に投げたら登録を抹消し、オールスター後は翌週の日曜まで休ませるのがベストだとつばめは考えた。
「来週の前にまずは今週……いや、今日ですよ」
「監督が生き残れるかどうか……」
3連敗、しかも内容はいずれの試合も最悪だった。怒り狂う外苑球場のファンが最大の懸念材料だ。
明日こそ中央競馬を楽しむぞ




