ショック
『海老名、鍬原と続けて当ててしまった加林ですが、砂野は左バッター。気持ちを切り替えたい!』
まだ1点リードしている。内野安打以外は四死球3つで、まともなヒットは打たれていない。キャッチャーの大矢木が再度マウンドに行き、加林を励ました。それでも狂った歯車は狂ったままだった。
「ボール!」
『また押し出しだ!ハッキリ外れたボール球!これで同点!こんなに乱れる加林は初めてです!』
早打ちで有名な砂野ですら一度もバットを振らなかった。突然の大乱調だが、身体を痛めている様子はない。精神的なものなのか、それともリズムが悪いのか、本人にも原因がわかっていないのだからつばめたちにはどうしようもなかった。
「はぁ……はぁ………」
『ツーアウト満塁が続きます!食い止められるか!』
ストライクが入らないままでは話にならない。しかしそれで甘い球になってしまうと………。
『打った――――――っ!ライトスタンド、文句なし!4番の筒剛、完璧な一振りっ!!』
「ああ………」
『筒の満塁ホームランで6対2!横浜スターヒーローズ、無敗の加林からこの回だけで一挙6点!ハマった時の横浜はほんとうに恐ろしい!』
取り返しがつかなくなった。楽勝ムードが一変、敗色濃厚になってしまった。
「……………」
『つばめ監督が出てきました!ここでタオル投入、ピッチャー交代です!』
二流ピッチャーなら次の打席が来るまで見殺しにしただろう。しかし大事な加林をこれ以上投げさせるわけにはいかない。4回と3分の2、6失点は全て自己ワーストだった。
「………すいません。自分でもわからないうちにこうなってしまって………」
「もういい。今日は運がなかった。次回はこんなことにならないはずだ」
先にベンチに戻っていたつばめは、真っ先に頭を下げてきた加林を慰めた。しかし加林は頭を上げない。
「……いいえ。これまでが幸運すぎたんです。実力が足りないからピンチで粘れなかった……もう一度鍛え直しです」
加林は普段から自分の力を過小評価している。こんな結果になればますます自信を失ってしまう。つばめが彼をうまく導く必要があった。
「なるほど……よし、今日はもう上がりだ。先にタクシーで帰れ」
「えっ!?そ、そんな……ぼくも最後まで応援させてください!」
まさかの帰宅命令だ。たった一度の背信投球でそこまでするかとペンギンズベンチは凍りついた。
「今のあなたのような辛気臭い男をベンチに置いても何もいいことはない。タクシー代は私が払うから、荷物をまとめて去れと言っている」
「し…しかし……」
「そんな顔でベンチにいられたら士気が下がる。悲劇のヒーロー気取りならよそでやってろ」
そう吐き捨てて裏に下がってしまった。そこまで言われたら加林もその通りにするしかなかった。
「……あいつが大のお気に入りだったんじゃないのか?これなら俺たちにもチャンスがあるな」
「成績や態度次第であっさり捨てられる危険もありますけどね。加林のように」
長かった五回裏が終わった。ベイスタジアムはイニング間のイベントが多く、そして長い。つばめはなかなか戻ってこなかったが時間には余裕があった。
「……監督!」
皆に軽く挨拶をしてからベンチを後にした加林だが、彼が来るのを待っていたかのようにつばめが立っていた。
「さっきはすまなかったな。しかしあれくらい言わないとあなたは聞かなかっただろう?」
どうしても加林を帰らせたかった。その理由を、周りに誰もいない場所でつばめは説明した。
「あのまま残っていたらベンチで落胆するあなたの姿が何度も映し出されることだろう。試合が終わるまでまだ4イニングもある……晒し者だ」
「ぼくはそれでも構いませんが……」
「終わってからも記者に囲まれて長々と質問攻めだ。やつらは敗者に鞭を打つのが好きだからな。連中を出し抜いてさっさと寮に戻る、それがベストだ」
加林のためを思っての行動だった。見捨てたわけではないことを伝え、彼の自尊心を守った。
「……一人になれる時間を作っていただいてありがとうございます。しっかり反省し、同じ失敗を繰り返さないようにします」
「ふふっ……そうしてもらえると助かる。しかし必要なら誰かに頼るんだ。話を聞いてもらうだけ、感情をぶちまけるだけで力になる。その悔しさ、私にぶつけてもいいぞ」
プロの世界で初めて味わった挫折と屈辱だ。八つ当たりでも構わないので、吐き出すように勧めた。それでも加林は穏やかな笑顔を崩さなかった。
「そのお気持ちだけいただきます。何度も言うように、実力がないから順当にやられただけです。もう勢いや運に任せることはできません……鍛え直します」
運に恵まれていただけなので悔しさや悲しさはないと加林は強調した。すでにリセットできているならそれでいいが、同時に闘争心の薄さを露呈した。これは次回以降の登板にも関わる懸念材料だが、今は指摘しないことにした。つばめは黙って彼を見送った。
「………」
タクシーの車内で一人、加林は静かに涙を流していた。悔しくないわけがなかった。
『一塁は際どいが……アウト!おっと、つばめ監督が出てきます、リプレー検証を要求します!』
加林の後にマウンドに上がったピッチャーたちも失点を重ね、すでに逆転は絶望的な点差になっていた。この判定が覆ったとしても試合に影響はない。
「あ――………」
「駄目ですね…これは」
元々の判定がセーフならセーフだが、アウトならアウト……そんなプレーだった。覆すだけの材料はなかった。
「……アウト!」
『判定通りアウト!ツーアウトランナーなしです!』
首を横に振りながらベンチに座ったつばめは、ペットボトルに残った水を一気に飲み干す。そして、
「くそったれが」
空のボトルを地面に叩きつけた。それをさらに蹴飛ばし、片づけようともしなかった。
『この悪態はいけません!日本中が見ているという自覚が欠けています!』
周囲の目などお構いなしに振る舞っている。加林の炎上は忘れ去られ、つばめが別の意味で炎上しそうだ。
『ゲームセット!終わってみれば9対2!つばめ監督、初の同一カード3連敗!』
試合が終わるとつばめはすぐに姿を消した。会見を拒否するのではと思われたが、予定通り行われた。
『この3連戦は残念な結果に終わってしまいましたが……』
『見ての通りだ』
『チームとして、横浜への苦手意識がますます悪化したように思えますが……』
『そうだろうな』
ただしこれだ。まともな答えは得られないと報道陣も諦めて、質問の数は普段の半分以下、時間は4分の1以下で会見は終了した。
「………ただいま」
「おかえりなさい。今日は……先に食べましょうか。それからゆっくりお風呂がいいですね」
言葉には出さないが、つばめは明らかに落胆している。最も期待していたピッチャーが原因不明の乱調で初黒星、しかもチームは3連敗。みのりも試合の結果は知っているので、これ以上聞くことはしなかった。
「……………」
(つばめさん………)
食事中、そして入浴の間もつばめは静かだった。このままでは明日からの監督業にも影響が出る。こんな時こそ自分がつばめを助けるんだと決意したみのりは、一日の終わりに思い切った行動に出た。
いま、SUGAMOプロレスが熱い!




