つばめ対騎手②
土曜日、この日はデーゲームだがドーム球場だ。前日の逆転勝利で勢いに乗るペンギンズだが、一部の選手たちは元気がなかった。
「……沙弥香様、重傷みたいだ。復帰してもファイトスタイルを変えないといけないだろうな」
「まさか試合前にあんなことになるとは……」
土壇場で試合をひっくり返したペンギンズが天国なら、上野沙弥香は地獄だ。彼女のファンになった選手たちはすっかり落ち込んでしまった。
「他人事じゃないぞ。怪我には気をつけろよ」
「気をつけていてもする時はしますけどね。それがスポーツの世界ですから」
プロレスラーほどではないが、野球選手も避けられない事故で大怪我をすることがある。本人の努力ではどうにもできない不運は誰を襲うかわからない。
「そういえば水曜日に来た騎手の新浦、明日のメインは勝てるかな?」
「今日の新馬戦のほうが楽しみだと言ってたくらいだからな、メインは消しでいいよ。ちょうど今ごろその期待の新馬が走ってるんじゃないのか?どうだったんだろうな」
競馬好きな選手たちが練習の合間に予想合戦を楽しんでいた。馬主になった監督や選手がいると聞いたつばめは、彼らにもその意思があるかを尋ねてみた。
「どうだ?あなたたちも……」
「いやいや、俺たちは馬券を買うだけでいいです」
「競走馬1頭、1年預けるだけで俺の給料とほぼ同じです。良血馬でもポンコツでも、管理費と餌代は同じですからね」
資産に余裕がなければ馬主にはなれない。高給取りのプロ野球選手であっても、年俸数億円の長期契約を結んでようやく道が開ける。
「監督はいけるんじゃないですか?来年以降もテレビにたくさん呼ばれるでしょうから、馬の1頭や2頭は楽に買えちゃいますよ」
「……もし皆の言うように使い切れないほどの大金が手に入ったら……私が買う物は決めている」
豪華な家や高級車、そして馬ではない。つばめの夢はもっと大きかった。
「東京グリーンペンギンズだ!このチームを真の意味で私のものにする!」
「きゅ……球団を!」 「……買収ですか」
「ペンギンズファンとして、最後のゴールはやはりそこだろう。本来ならオーナーのほうが監督よりも可能性がある。私にとってはな」
プロ野球12球団のオーナーの中に女性は現在1人だけいる。もちろんトップレベルの野球は未経験だ。一方で監督は、つばめが現れるまでは全員が男性だった。もちろん素人は誰もいない。万が一つばめがなれるとしたらオーナーだった。
「私の祖父の遺言通りに監督の座を用意したのは今のオーナーだ。ここからうまくやれば、将来格安で譲ってくれるかもしれない」
「監督の次はオーナーですか……夢があるなぁ」
つばめのことだ。オーナーになるという目標は冗談ではない。そしてつばめがトップに立てば、ペンギンズは間違いなく黄金期を迎えるだろう。この場にいた皆がそう疑わなかった。
『フォアボール!これで今日4つ目のフォアボール!しかし今のは入っているように見えましたが……』
『今日は判定が厳しいですね。ビッグリーダーズのゲイブは普通にストライクを取ってもらえますが、田富は取ってもらえない……たまにいるんですよ、特定のチームや選手を勝たせたいと思う審判が』
田富には我慢の展開が続いた。タフマンと呼ばれるだけあって辛抱強く投げていたが、敵はビッグリーダーズや審判だけではなかった。
『レフトフライ!犠牲フライになるか微妙な打球だが、三塁ランナーの岡はどうする?』
足を止めていたラムセスが前進する。前に出ながら捕れば、勢いをつけながらバックホームができる。この捕り方だけでランナーを自重させる効果があった。しかしラムセスがそんなことをすると……。
「オウッ!!」
『ああっ!?捕りそこねてバンザイだ!三塁ランナーゆっくりとホームへ、二塁ランナーも後逸を見てスタート!』
勢いがありすぎて落下点を通り越してしまった。この数試合は何もなかっただけに、ラムセスの絶望的な守備のことを皆が忘れかけていた時だった。
『六回裏、まさかの形でビッグリーダーズが2点先制!記録はタイムリーツーベース!ピッチャーの田富にしてみれば味方に背中を刺されたも同然!』
我慢を重ねてきたのにお粗末なプレーで失点。気持ちが切れてしまってもおかしくない場面だったが、田富はこの2点だけで踏ん張った。
「よく耐えたな。審判とラムセスを張り倒したいところだろうが……」
「……いえ、審判を責める気は全くありません。完璧なストライクを投げられなかった自分が悪いです。そしてラムセスはいつもバットでチームを助けてくれています。たった一度のミスで信頼は揺らぎません」
この強靭な精神力が追加点を防ぎ、流れを渡さずに逆転へ望みを繋いだ。これが田富の一番の武器だ。
「ふふふ……逆境や不幸が続く時こそ、その人間の真価が問われる。そこで脆さを見せるとそのまま転がり落ちていくことも………」
七回表、ついに勝ち越したビッグリーダーズだが、異変が起こった。
「ボール!フォアボール!」
「ハァ!?F☓☓☓!」
ゲイブが突然コントロールを乱した。田富の代打山内、続く飯館、そして秦野にもフォアボールで3者連続だ。
『際どいコースですが……』
『うーん、ビッグリーダーズを贔屓しているわけじゃなかったな。ただの下手糞だ、この主審は』
ゲイブは怒りを爆発させる。このまま続投させるわけにはいかず、監督の棚橋が出てきた。
『ボールを受け取った!ピッチャー交代です!棚橋監督、マウンドに向かいますがゲイブは怒ります!』
「ユーアーP☓☓☓☓!ユーアーB☓☓☓☓!!」
交代に激怒し、棚橋にも放送禁止用語で怒鳴るゲイブ。この試合は大勢の人々がテレビで観戦していて、小さな子どものいる家庭では困ったことになった。P☓☓☓☓、B☓☓☓☓とはどういう意味なのか質問された親は答えに苦しんだ。
「ファ―――――――――ッ!!」
ゲイブの絶叫がこだました。ラムセスが逆転の満塁ホームランを放ち、失態を取り返した。4対2というスコア以上に両チームのムードには大差があり、そのままペンギンズが勝利して連勝となった。
ペンギンズの試合が始まる約2時間前に注目のレースが行われていた。新浦が三冠馬になると確信した期待の馬、『ビレッジゴッド』のデビュー戦だ。
『調教の動きも抜群のビレッジゴッド、圧倒的1番人気!鞍上は新浦王誠、この馬と共に初GⅠ、そしてクラシックへと夢が膨らみます!』
新浦の時代が本格的に始まる、その期待が1.1倍の単勝オッズに現れていた。
(……こいつで俺は夢を掴む。競馬番組に出ているアイドルや女子アナがみんな俺のところに集まるんだ。この間の目つきが悪いガキとは違う、最高の女たちが俺のものになる)
このレースの勝利は当たり前のことすぎて、年末のGⅠや来年の大レースに思いが向いていた。新浦は明らかに浮かれていて、馬の異変を見落としていた。
「……あっ!?」
『スタートしました!おっと!?注目のビレッジゴッド、大きく立ち遅れた!最後方からのスタートだ!』
タイミングが合わずに出遅れた。ただしこの馬の実力なら大した問題ではなく、ちょうどいいハンデだと思えばよかったのだが、馬以上に集中力を欠いていた新浦は焦ってしまった。
「何やってんだ!早く前につけろ、この野郎!」
鞭を連打した。これがビレッジゴッドに見限られる決定的な行動になった。『この人間は俺の乗り手に相応しくない』と思われてしまった。
「あっ!?ぶげっ!!」
『先頭はバンテフロック、続いてヴヴヴダイマジンが……後方で5番が落馬です!5番はなんとダントツ人気のビレッジゴッド!新浦が落馬しています!』
悲鳴やどよめき、罵声が響く。新浦は軽傷だったが、しばらく起き上がれなかった。
「能力はありますが難しい馬ですね……どうです、次走は俺に任せてもらえませんか?」
「おお、ぜひお願いしたい!今日もキミならあんなことにはならなかっただろうに……」
馬主と調教師は新浦を捨て、リーディングジョッキーの『輝 駿馬』に期待の馬を託した。するとそこから無敗の連勝街道、翌年には三冠と有馬記念を制した。
「ぐぐぐっ……なぜだ………」
一方の新浦は『三冠馬に選ばれなかった男』として評価を落とし、勝利に恵まれなくなっていった。GⅠに勝つどころか重賞の騎乗機会すらほとんどなくなり、ローカルを主戦とする地味な騎手になった。逆境を跳ね返す底力が彼にはなかった。
輝駿馬……リーディングジョッキー。この名前だけで元ネタの騎手名がわかる方は優駿の門を知っている。
ビレッジゴッド……馬名の意味は『村の神』。翌年三冠を手にする。この元ネタがわからないようではアカンすよ。
バンテフロック……三浦大輔の所有馬で最も活躍したのは『リーゼントロック』。3歳時に京都新聞杯で故障するも復活、オープン競走を勝利し東京大賞典にも出走した。
ヴヴヴダイマジン……大魔神と呼ばれる佐々木主浩のGⅠ馬『ヴィルシーナ』、『シュヴァルグラン』、『ヴィブロス』。大魔神には競馬に専念してもらい、再び横浜のユニフォームを着ることがないよう切に願う。




