左打者
「金銭トレード?で、誰が入ってくるんだ?」
「餃王ジューシーズの水沼という内野手です。今年は……一軍出場なし。二軍では内野の全ポジションを守っていますが打率は1割後半ですね」
交流戦が終わった翌日、ペンギンズは新戦力を獲得した。つばめも編成部に要望を出し、補強してほしい選手のタイプやポジションなどを指定していた。
「……なんだこいつ?どうしてこんなのを獲った?」
ところが今回入団が決まった水沼は、つばめの要望とはまるで違う選手だった。ミートに重きを置いた打撃が特徴の右打ちの内野手など、層の薄いペンギンズでも飽和状態だ。しかも現在一軍にいるどの内野手よりも全てにおいて劣っていると断言できた。
「………おそらく高塚前監督、それに嶋田前ヘッドコーチのリクエストでしょうね。あの2人はどこでも守れる小粒なタイプが大好きでしたからね」
「監督は辞めてヘッドコーチは二軍に更迭されたのに、取り消されてなかったのか!?」
会議室に集まるコーチ陣が騒然とする。二軍戦の試合成立要員にしかならない選手をわざわざ獲ってきたことに驚いてしまっていた。
「……………!!」
「うわっ!?」 「げっ!!」
驚きがすぐに激しい怒りに変わったのはつばめだ。テーブルを下から蹴り上げると、水沼に関する資料を破って床に放り捨てた。
「いなくなってもペンギンズの足を引っ張り続ける屑どもには恐れ入る。そしてこの役に立たない選手は絶対に使わない。裸で土下座されようが、1億円積まれようが二軍から出さない!」
「……いやいや、1億貰えるなら使いましょうよ。どうでもいい場面で2、3回代打で使って落とせばいいじゃありませんか」
「どうでもいい場面なんかない!プロ野球を舐めるなと素人の私に言わせて恥ずかしくないのか!?」
特定の選手を使っただけで1億なんてありえない話なのに、なぜか議論が激しくなってしまった。リーグ戦再開前の会議、その貴重な時間が無駄に消費された。
結局首脳陣が水沼という選手について論じ合ったのは後にも先にもこの時だけで、彼にとってのピークはここだったと言える。つばめの宣言通り水沼はその後一度も一軍に昇格することなく、秋に戦力外通告を受けた。
「というわけで、補強にはあまり期待できません。二軍から発掘するしかないでしょう」
「現状特に足りないのは先発投手の数、それから……左バッターだな」
「左か……わかってはいるんだがな」
クリーンナップのラムセス、池村、オズマは全員右バッターで、レギュラーの座を掴んだ飯館と大矢木も右打ちだ。おまけに代打での出番が多い町田や山内も右だった。
スタメンで出場する機会が多い選手の中では岩木と武雄が左バッターだが、彼らは強打者とは呼べない。相手に脅威だと思われるようなバッターが必要だ。
「加林やラムセスの潜在能力を見抜いたつばめ監督なら、すでに期待の若手に目をつけている……なんてことはさすがにありませんか?」
「若くはないが……一軍で見たいのは『池端 新伍』」
つばめが出した名前はプロ20年目のベテラン、池端新伍。去年までは代打の切り札として活躍していたが、今年はまだ一度も一軍に上がっていない。
「池端ですか。ファームの成績は今ひとつですが、確かにそろそろ上げてみてもいいですね」
ベテラン野手の場合、二軍の打率は参考にならないこともある。しかも池端はほぼ代打専門で、外からでは調子の変化がわかりにくい。とりあえず昇格させて様子を見るべきだと皆の意見が一致した。
「左の代打枠は池端でいいとして、レギュラーを掴めるような左バッターがいれば……」
「そんな選手がいればとっくに一軍だよ。俊足だのユーティリティだのしかドラフトで獲ってないんだからどうしようもない」
ペンギンズ長年の弱点であるピッチャーを毎年優先して獲得した結果、野手もスケールの小さな選手ばかりが集まって投打両方が貧弱になったのは有名な話だ。
「二軍の野手陣の打率見てますか?まともだったラムセスや池村が抜けたらみんな1割半ばですよ。監督がボロクソに言った水沼以下しかいないんです」
「……全員クビでもいいな」
ルーキーから中堅に至るまで、光るものが全くない。二軍は一軍以上に負け込んでいて、勝率はなんと2割ちょうどしかない悲惨な状況だった。
「打率が2割以下の連中はある程度打席に立っているはずだ。狙いは僅かな打席しか与えられていないやつらだな。大物が隠れているとしたらそこだ」
「低レベルな二軍でもスタメンになれないような選手に……ですか?」
「例えば……『秦野 真』。彼は面白いと思うのだが」
つばめが推したのは若手捕手の秦野だ。一軍経験はなし、二軍でも今年はまだ10打席しか立っていなかった。しかし4安打で打率は4割、ホームランとツーベースを記録している。
「キャッチャーとしてまだ未熟なので実戦にあまり出していないそうだが……外野手でもやらせてみないか?山内と同じように」
「なるほど。山内もキャッチャー失格で外野に転向しましたし、秦野もやろうと思えば……」
「今後数年間、ペンギンズの正捕手は大矢木だ。秦野がずっと控えではもったいない」
つばめの意見がここまですんなり通るのは、もはやオーナーの命令だけが理由ではない。埋もれていた優秀な若手たちを発掘し、チーム状態を確実に上昇させている実績があるからだ。
「池端、そして秦野とは明日の試合前に直接話をして、彼らのプレーもこの目で見ておきたい。一人で行こうと思っている」
「場所は横須賀でしたね。ファームの試合なのにナイターですから、時間だけ気をつけてください」
横須賀は横浜スターヒーローズの二軍の本拠地だ。つい最近に改装工事が行われたので、選手も観客も快適だ。設備の老朽化や汚いトイレを気にする必要はなく、試合に集中できる理想的な球場だった。
「わかっているとは思いますが、観戦の時は客席に行かないでくださいよ?試合そっちのけで監督のもとに人が殺到してパニックになりますから」
「ああ……そうだな。うっかりしていた」
グラウンドで目当ての選手たちと話をしたら、観客席に移動するつもりでいた。つばめには特別な席が用意されるのだから、大人しく従うことにした。
「しかし池端に秦野ですか。能登を上げたりルーキーを積極的に使ったり、つばめ監督はベテランと若手をバランスよく起用していますね」
「バランス?全然駄目だろう。このチームは柱になるべき中堅がスカスカだ。だからピークを過ぎた功労者と未知数の選手に頼るしかないんだ」
ドラフトと育成のどちらも失敗を重ね、中身のないチームになった。荒野となったペンギンズを立て直すには数年かかると考えるべきで、強引に押し上げていくつばめのやり方は賛否両論だった。
「我々とは違って横浜は野手が溢れ返っていますね。ペンギンズならレギュラークラスの選手が二軍に何人もいますから、しっかり見てきてくださいね」
「横浜の野手か………」
層が厚いスターヒーローズでは、二軍で首位打者になるほど活躍してもなかなかチャンスが来ない。他球団の編成部たちが虎視眈々と調査していて、ペンギンズもつばめが直接視察することになった。
池端新伍……プロ生活20年目の代打の切り札。かつてはショートやサードで出場し、ヒットを量産していた。
秦野真……強打の若手捕手。キャッチャーとしての能力が低いので、試合にほとんど出場していなかった。




