勝利の美酒
『フルカウント!柿本、武雄に対しこれが8球目!』
大差が開き、ライスクラッカーズも戦力の見極めをしている。崖っぷちのピッチャーと崖っぷちのバッターの苦しい勝負だった。
『打った!打球は伸びる、ライトの頭を越える!』
つばめのアドバイス通り、武雄は無欲で振り抜いた。鋭いライナーがぐんぐん伸びていき、一瞬でライトスタンドに突き刺さった。
『入った!ホームランになった!武雄の今シーズン第1号スリーラン!まさに会心の一撃!』
「おお……入ったのか……」
打った本人もホームランになるとは思わなかった。3点返したところで逆転の可能性はもうないが、武雄にとっては二軍落ち寸前からのうっちゃりを決めた。
「ナイスバッティング!見事な弾丸ライナーだったが、このホームランが毒にならないように気をつけてもらいたい」
「……毒?」
「あなたはホームランを打つと打撃不振に陥る傾向がある。本来はツーベースを量産するタイプのバッターなのに、オーバーフェンスの快感が忘れられずに……」
武雄の好調はいつも長続きせず、毎年打率が1割後半から2割前半に落ち着くのはなぜか、素人のつばめでもわかっていた。
「これからはホームランを狙う場面を絞るといい。例えば中盤から終盤、ランナーなしで同点の時などだ。気楽に振り回せる、しかも打てば勝ち越しかサヨナラ……そんな場面だけにすれば確実性が上がる。しかも決勝打が増え、数字も人気も稼げるぞ」
「そううまくいくか……?」
「さっきも言ったが、あなたに大事なのは無欲な心だ。無欲を貫けば結果は出る」
つばめの言葉など無視して、自分の経験やコーチの指導だけを頼りにすることもできた。しかし武雄は皆とハイタッチを終えてベンチに座ると、
「無欲……無欲……無欲………」
自分に言い聞かせるように、何度も小声で呟いた。
『空振り三振!試合終了!今日は新潟ライスクラッカーズが圧勝、対戦成績はこれで1勝1敗のタイ!』
『次に勝ったほうが勝ち越しですね』
『ライスクラッカーズはプロ未勝利のサウスポー川島が先発し、ペンギンズは初登板を初完封で飾ったルーキー加林!』
加林のほうが格上に思えるが、まだ1試合投げただけだ。次も好投するとは限らない。
「明日もこんな試合見せたらぶち殺すぞ!」
「野球をナメるな!」 「くそつばめ!」
いつものようにつばめは罵声の中を悠然と引き上げる。全く反応がないので、ヤジを飛ばすファンたちも虚しくなるだけだった。
『つばめ監督が就任して以来、一部のペンギンズファンの怒りは増す一方!そのうち事件になりそうで怖いですね』
『このチームはファンも口だけですから心配いりませんよ。関西の球団だったら頭のおかしい狂ったファンが多いので……どうなることやら』
昔よりは大人しくなったが、大阪のファンは過激だ。熱い応援は益にも害にもなり、選手たちを悩ませていた。
「ただいま……どうだ、見に来なくてよかっただろう」
「お疲れ様です。最後は追い上げていましたね」
みのりが用意していたのは肉料理だ。つばめが一人で食べる時は肉しかないが、みのりの料理はちゃんと野菜で肉を包んでいるので大きな差がある。さっぱりしたものが乗っている小皿と味噌汁もついていた。
「多くの監督たちは酒を浴びるほど飲むそうだ。勝っても負けてもストレスだらけで、酒の力を借りなければ1年間続かないらしい」
「お薬よりはましかもしれませんが、身も心も削られてしまいますね。つばめさんはどうですか?」
「私は問題ない。飲むとしたら勝利の美酒だけだ。辛いことから逃げるために酒に頼ることはしない」
力強い宣言だったが、冷静に考えるとおかしなところがあった。
「……つばめさんはまだ飲めませんよ。あと2年待ってください」
「そうだったな。しかし2年後は絶対に監督じゃないぞ、私は」
長くても今年いっぱいだ。監督として酒を飲む機会などやってこないのだ。
「もしつばめさんが20歳になっても監督を続けていたら……私がそばにいます。お酒に飲まれるようなことにはなりません」
みのりがつばめの苦悩や疲労を癒やせば、酒に逃げる必要はない。もちろん酒以外の何かにも、だ。
「私がどんなことでもしてつばめさんを満たします」
「どんなことでも……?」
「は…はい。つばめさんが望むならこの身体を……」
自分の発言で顔を赤くしたみのりだったが、つばめはその意味をよくわかっていなかった。野球観戦やデータ集めばかりを楽しんできたせいで、思春期の少女が本来持っている感情や知識が足りないところがある。ゼロではないが、ないに等しい。
もちろん経験も皆無だ。みのりはその純粋さを美しいと思う一方で、危うさも感じていた。ただしつばめは賢く警戒心が強い。わからないことには簡単に近づかないだろう。
「話は変わるが……明日は?」
「行きます。つばめさんが新たなエースになると確信している加林投手が投げるとなれば……」
加林が好投し、打線が繋がればファンのヤジもほとんどないはずだ。それでも罵声を飛ばすのであればただの捻くれ者か騒ぎたいだけの人間だ。
「私の仕事がほとんどない試合が理想だが……」
つばめの仕事がない、つまりスタメンの9人しか使わず、ビデオ判定の要求も抗議もしない展開なら快勝は間違いない。つばめが慌ただしく動いているところが見たいなら大差負けの試合だ。
「加林投手やラムセス選手が大活躍してここから快進撃、奇跡の逆転優勝もありえますよ!」
「まあ……まだ6月だ。自力優勝の可能性は消滅しているが、今年は優勝を諦めましたと公言したら怒られる。狙っていくか」
「その意気です!優勝したらビールかけでまさに勝利の美酒を……あっ、未成年だからつばめさんは参加できないんですよね……」
偶然酒の話に戻ってしまったことに、つばめとみのりは顔を見合わせて笑った。すでに今日の惨敗は遠い出来事になっていた。
「ふふっ……」 「あはは!」
みのりがつばめの家に来たのは正解だった。一人の時間が続いていたら、つばめ自身も知らないうちにストレスや怒りを溜め込み、どこかで暴走していたかもしれない。采配もしくは記者やファンへの対応で大失敗し、監督としての寿命を縮めるところだった。
「ストライク!バッターアウト!」
加林は期待通りのピッチングだ。先週の完封がまぐれではないことを堂々と証明した。
『このイニングも完璧!八回まで投げて1失点、しかも自責点ではありません!加林、いまだ防御率はゼロ!』
『球数はまだ85球……九回も投げるでしょうね』
新潟打線の早打ちにも助けられ、2試合連続の完投勝利は確実だった。
『レフトは諦めた!一歩も追わない!』
ラムセスの打球は一瞬でスタンドに吸い込まれた。ダメ押しのツーランホームランで完全に勝負は決まった。
「ラムセスも凄いが武雄もいいな。左右に打ち分けて4安打!」
「いつもはホームランを打ったら大振りになるのにな。あの悪癖がなくなればもっと上が目指せる」
投打に新潟を圧倒し、カード勝ち越しは目前だ。このまま終われば今週は3勝3敗となり、交流戦最初の週を5割で乗り切れた。
「ド・リーグにとって交流戦は鬼門……このまま5割で終われば他が負け越す分だけ差が詰まる!」
「しかし来週の頭からは………」
ファンの希望はすぐに絶望に変わる。来週は全て敵地での試合だが、火曜日から戦うのはファ・リーグの王、『京都トリプルクラウンズ』だ。ファ・リーグどころか日本シリーズも4連覇中、今年も首位を独走している最強のチームが待ち構えていた。
オースティン、ケイ→メジャーおめでとう!
バウアー、フォード→新天地で頑張って!
ジャクソン→ロッテ????????????




