舐めるなよ
「………」 「………」
「わざわざ来てもらったことに感謝する。朝の早い便で東京に帰らなくてはいけないし、あまり時間は取らせないつもりだ」
ラムセスと通訳はすでに着替えているが、つばめはユニフォームのままだった。ただし移動中もユニフォーム姿だから、試合用から着替えた可能性がある。つばめはこの遠征に私服を持ってきていない。
「早速だが……10打数1安打、打点とホームランはなし……この数字の感想は?」
「……もっとやれると思っていた。やはり一軍と二軍ではピッチャーのレベルが違う。勉強になったよ」
ラムセスは約2ヶ月の間、二軍の試合に出場していた。相手バッテリーが外角攻めを徹底せず、真ん中のストレートで勝負してくれるので成績は優秀だった。二軍に戻っても、やることはもうない。
「肩慣らしが終わればいよいよ大暴れ……楽しみにしている。7千万に恥じない活躍が待ち遠しいな」
「ハハハ……」
様々な事情があり、年俸1千万円と発表されていた。実は7千万以上を支払っていて、『安いから活躍できなくてもいいか』は通用しなかった。
「しかし今のままでは7千万どころか700円の価値も……いや、チームにとってマイナスだ。おっと、私の言葉はラムセスに正確に伝えるように。もちろんラムセスの言葉もな」
「は……はい!」
もはやどうにでもなれと開き直った通訳は、つばめの厳しい言葉をそのまま訳した。ラムセスは温厚で頭の冴える人間だったので、痛烈に批判されても穏やかに聞いていた。
「今朝このホテルで、あなたには壊すべき壁があると言った。しばらく様子を見てもよかったが、改善される気配もないのでここではっきりしておこう」
「………」 「………」
つばめの声は18歳の少女にしてはかなり低いが、ますます低くなり凄みのあるものになった。
「日本を舐めるなよ、ラムセス」
「………!!」
訳されなくても意味がわかった。身長180センチ台、体重は100キロを超える大男がつばめに圧倒されていた。
「日本のプロ野球はあなたが思っているより遥かにレベルが高い。アメリカ以上……世界一だ」
「せ……世界一だって?」
「何度も国際大会で優勝しているし、現在メジャーリーグのトップにいるのも日本人だ。ピークを過ぎてから渡米した選手たちでも結果を出している。アメリカがナンバーワンだという考えを捨てろ」
日本が誇る二刀流、『大仁田 陽平』はメジャーリーグで最高の選手だと認められている。ペンギンズ一筋のつばめは大仁田に興味はなく、活躍してもしなくてもどちらでもいいという考えだった。
「私の祖父……正一金政も、今のようにアメリカに行きやすい環境であれば、きっと大仁田以上に大成功していただろう」
「そ、そうですね………?」 「ウーム………」
「まあそれは置いておくとして、ラムセス。あなたはアメリカでプレーしていた自分のほうが優秀で偉大、だから日本人のアドバイスなんか聞く必要がないと思っているのだろう?」
図星だった。ラムセスは弁明しようとしたが、
「ごまかしても無駄だ。私はそのために名村を二軍に送り込んだ。彼はあなたに有益なアドバイスをするために二軍へ行き、実際にそうした。しかしあなたがそれを軽んじているのはこの3連戦ではっきりした」
つばめの計画は念が入っていた。ベテラン捕手の名村を二軍落ちさせたのは成績不振が表向きの理由だったが、ラムセスを指導する目的もあった。再登録が可能になればすぐに戻すことを本人にも伝えている。
「あなたのコンディションはいい。彼のアドバイスをしっかり聞いて実行していれば、内野安打の1本で終わるはずがなかった」
「キャッチャーの名村さん……確かに彼は私に打撃のコツを教えようとしてくれましたが……」
「名村の成績を見て、自分が指導する側とでも思ったか?名村だけではなく、他の選手やコーチの意見や助言もあなたは軽んじた。日本で成功するためにはどうすべきか、親切に教えてくれていたのに……」
日本の野球に対応しようと努力しなければ、活躍は難しい。考え方を変える必要があった。
「あなたが文化に馴染もうとしているのはわかる。日本独特の食べ物にも積極的にチャレンジしているようだからな。だが寿司を食べるより先に同僚のアドバイスを受け入れてくれたらよかったのだが」
これ以上ない正論だった。まずは野球だ。しかしラムセスとしても、監督とはいえ素人の少女に好き放題言われては黙っていられなかった。
「………失礼ですが監督、あなたは僕よりも若いし野球の経験すらない。偉そうに振る舞える理由はないはずだ……とラムセスは言っています」
「……………」
「立場は監督だとしても、アドバイスをする資格も能力もない。そのことを自覚していますか?………とラムセスは言っています!」
自分ではなくラムセスの言葉だと通訳は強調する。監督を見下し否定するのはラムセスだけだとアピールしなければ、首が危うい。もちろん必死にそんなことをしなくてもつばめはわかっていた。
「なるほど。その考えは一理ある」
「………」 「………」
「だから私はあなたに技術的なことは何も言わない。あなたが外角に逃げる変化球や落ちる球に弱い理由も、その対処法も、私の口から説明してもいいが別の人間にやらせる。プロ野球選手としてのあなたに敬意を払い、プライドを尊重しているからだ」
ラムセスの立場と主張を認めてはいても、選手が監督の上に立つことがないようにする。技術的な指導は別の者に任せるが、ラムセスの一番の問題点は最初につばめが指摘していた。
「たった7千万もらっただけで満足するな。日本をただの出稼ぎの場だと思うな。あなたなら何億、何十億と稼げる。引退後も監督やコーチになれる」
「そ、そこまで………?」
「そのためには何をすべきか……明日からの試合、楽しみにしている」
ラムセスはまだ25歳。無限の可能性が広がっていた。
「日本で数十億……どれくらいかかるかな?」
「オズマは3年契約で出来高含めて総額約15億円、海田選手は年俸5億です。活躍できればあっという間ですよ」
つばめが去った後、ラムセスと通訳はしばらく2人で話していた。つばめの言葉は厳しいが、大きな期待ゆえのものだ。しばらくはスタメンを外さないと言っていることからも、ラムセスが変わる猶予期間を与えてくれている。
「名村さんに謝ろう。コーチたちにも」
「今すぐはやめておきましょう。二軍の朝は早いですから、皆さんもう寝ています。ですがこのホテルの選手たちはまだお酒でも飲んでいるはずです」
二軍での教えを思い出し、真摯に向き合った。そして日本人の野手たちのもとへ行き、気になる点を次々と質問して答えを得た。
「なるほど、それが日本の野球の常識……」
「全員がそうとは限らない。でもこれだけ覚えておけばだいだいうまくいくよ」
彼らがラムセスに教えてくれた理論やコツは、実はつばめでも説明できるような単純なものがほとんどだった。しかしこの夜以降ラムセスはチームに溶け込み、言葉や文化の壁を乗り越えていった。
つばめが全てを話してしまったら、ラムセスはつばめとオズマ以外の仲間と親しくなることはなかっただろう。つばめはそこまで考えていた。
ラミレスが監督を辞めてもう5年……早い?遅い?




