松園緋奈
「……練習中だというのに無理やりグラウンドに入ってくるとは……何の用だ」
暴力団の組長が相手でもつばめは普段と変わらない。ただし周りは生きた心地がしなかった。
「無礼をお詫びします。私は『松園組』、『松園 袴巳』です。昔のことになりますが、監督のお祖父様である金政さんにはお世話になりました」
「ああ……あなたが祖父の言っていた……私も話は聞いている。互いに助け合う仲だったそうだから、間接的に私も世話になっているはずだ」
互いに深く頭を下げた。袴巳は金政の現役時代からの親友だった。
「暴力団と仲がよかっただと?まずいんじゃないの」
「最近はやつらを徹底的に排除する流れだが、昔はアリだったんだよ。チームの応援団、選手の後援会……ヤクザが仕切っているところも珍しくなかった」
球場で流すイニング間のCMでも、暴力団と関わらない、金を渡さないと俳優が強い口調で訴えている。各地で暴力団の勢いは衰退しているが、松園組のような大手はまだ元気だった。
「そしてこれが孫娘……ほら、挨拶しなさい」
「………『松園 緋奈』……です」
彼女の声が細く、祖父の後ろに隠れているのは緊張のせいだった。身長はつばめより10センチ以上大きく、発育もいい。しかし今はつばめより小さくなっていた。
「緋奈は幼いころからペンギンズファンで、同時に監督の熱烈なファンなのです。先週の解任騒動の時は涙を流していたほどで……」
解任劇の先頭に立った神宮寺の死を祖父に願ったほどだ。熱いファンであることは確かだ。
「そうか。心配をかけたようだが、あなたを始めとする皆のおかげで生き残れた。ありがたいことだ」
「……!」
つばめの言葉で緋奈の目が輝く。その様子を見たつばめは、そばにいたスタッフを呼びつけた。
「おい、色紙を用意しろ」
「え!?でもこの人は……」
「いいから持ってこい!早く!」
迫力に負けたスタッフは色紙を取りに走った。つばめのまさかの行動に周囲は騒然とした。
(……テレビカメラが何台もいるんだぞ?それなのにヤクザの孫にサインを渡すのか!?)
隣りにいる大川はもちろん、選手やコーチも練習どころではなくなった。しかし誰も止めることはできなかった。関東最大の暴力団、そのトップを怒らせたらどうなるか、どんなに頭が悪い人間でもわかる。
「ハァ…ハァ…取ってきました、が……」
「ご苦労。サインペンは私が持っている」
色紙を受け取ったつばめは、周りの視線を気にすることなくすらすらとサインを書いた。実はつばめが人前でサインを書くのは珍しいことで、普段はほとんどサインや写真、握手といったファンサービスをしていなかった。
(うわっ!) (やっちまった……!)
このシーンだけを切り抜かれ、『黒い交際』と報道されるかもしれない。皆の顔は真っ青になり、真夏の炎天下での練習なのに寒さすら感じていた。
「よし……」
「あ…ありがとうございます!」
報道陣はカメラを躊躇った。つばめが笑顔でサインを渡し、組長の孫と握手を交わす姿を映像や写真に残せば大スクープだが、球場の外には松園組の組員たちが控えているだろう。無事に持ち帰れる保証はない。
「命を賭してでも真実を伝える、そう決意してこの世界に入ったんだろ?やれよ!」
「お前がやれ!つばめ監督と松園組を敵に回すくらいなら戦地の取材のほうがマシだ!」
勇気のある者はいなかった。これでつばめの悪評が世に広まることはないと皆は安心した。ところがこれで終わらないのが正一つばめだ。
「監督……お尋ねしてもよろしいですか」
「ん?」
色紙を手にしながらも、緋奈は満面の笑みというわけではない。ある疑問の答えが必要だった。
「私にサインを書いてくれたのは……松園組を恐れてのことですか?もしくは厄介者を早く追い払うために……」
練習中に押しかけたというのに丁寧すぎる対応だ。つばめの真意を知ろうとした緋奈だが、つばめの考えは全く違った。
「あなたが真のペンギンズファンだとわかったからだ。いくら暴力団でも、どうでもいい物のためにこんな真似はしない。あなたは本気だと確かに伝わった」
「………!」
「そもそもあなたは一言もサインをくれだなんて言っていない。私が勝手に渡しただけだ。私のもとに来た目的を話してもらおう」
緋奈を安心させた上で、逆に聞き返す。ペンギンズを愛する者に対しては、つばめは女神のように接する。年齢や性別、身分は一切問わない。
「……私が代わりに伝えようか?」
「監督は私に話せと言ってる。誠意を見せたい」
緋奈は呼吸を整えた。そして地面に片膝をついた。
「……正一監督!この松園緋奈、監督と共に戦うためにこの身を捧げたいと願っています!」
「………捧げる……どうやって?」
「監督とペンギンズを力の限り後押しさせていただきます!ペンギンズの応援団である緑天会……現在は団長の座が空位だと聞きました。そしてなぜか誰も立候補しようとしないことも……」
最後こそ残念な形で緑天会を去ったが、先代は長きに渡って応援の中心にいた。彼と比較されることを考えてしまい、自分が次の団長になろうと名乗り出る者はなかなか現れなかった。
「監督!どうかこの私を緑天会の新たな団長にしてください!外苑から地方まで、全ての試合で応援の先頭に立ち、ペンギンズの勝利を祈願します!」
そんななかで手を上げたのはこの緋奈だった。まだ応援団に入ってすらいない緋奈が団長になるだけでも難しいが、それよりも大きな問題がある。さすがに今度は周囲も黙っていられなかった。
「ちょっと待った!残念だが……そりゃあ無理だ!」
「暴力団の……ご家族の方を応援団の一員にするというのはいくら監督でも駄目です!」
大川や国村、報道関係者たちがつばめを止めようとする。そもそもつばめに応援団の団長を任命する資格など本来ないのだが、パフォーマンスチームやマスコットのペンタロウに関わる改革を成し遂げたつばめだ。つばめが認めたら全てその通りになると皆は疑わなかった。
「駄目なのか?入れ墨はなさそうだし、タバコや薬をやってる感じもしないが……」
「そういう問題じゃありませんって!」
つばめは緋奈のことを組長の孫として見てはいない。熱心で行動力のあるペンギンズファンだと高く評価していた。しかし世の中の常識で考えれば、緋奈は暴力団の一員も同然の人間なのだ。
そのことは緋奈もわかっているので、前日の夜に大きな決断をしていた。祖父の袴巳の許しを得て、つばめと共に戦う資格を得た。
「……すでに私は松園家を捨てています。監督が私を認めてくれた瞬間から、私はただの『緋奈』となります」
「………絶縁するのか、そこの祖父や家族と」
「これが私の覚悟です!」
両手、そして両膝を地面につけた。頭も擦りつけようとしていたところで、つばめが手を差し出して彼女を止めた。
「……監督!」
「祖父を愛する孫、孫を愛する祖父……きっと父や母との仲も良好なのだろう。それなのに家族を捨てるなんて馬鹿な真似はするな」
つばめの大好きな祖父、金政はもういない。両親との関係は最悪だ。そんな自分が家と縁を切るのはいいが、緋奈が同じ道に進むのをつばめは許さなかった。
「………では、私と共に戦うことはできないと……」
「何を言っている。そのままでいい。あなたは松園家の一員のまま、緑天会を率いる!ペンギンズのために全てを捨てる覚悟を持つほどの者……団長としての資格ありだ!」
松園組……関東では最大規模の暴力団。松園家の祖父袴巳は正一金政の友人、孫娘の緋奈はつばめの大ファン。




