誰かの忘れ物のトランク
仕事からの帰りの途中、いつも近道として通る公園のベンチの片隅で私は一つの古い革製のトランクを見つけた。
古びてはいるがガッシリとした作りのそのトランクを見つけてすぐに私は辺りを見回して持ち主を探す。トランクそのものの見た目からして高価そうで、一体どのような人物がこんなトランクを使っているのかと気になったのだ。
しかしベンチの近くにはこのトランクの持ち主に相応しい人物はおろか人っ子一人いない。
それを確認した私は思わずフラフラとトランクに近付くとそのトランクを手に取った。私が普段使っているカバンとはまったく違う心地よい重さがずっしりと手に伝わってくる。
「あっ」
私がトランクの感触に酔いしれていると突如としてそんな驚いたような声が聞こえてくる。声のした方へと目を向けるとそこには高級そうなスーツに身を包んだ紳士が立っていた。紳士は私と、私の手にしているトランクとを交互に見ると、おずおずとそれは私のトランクですと声をかけてきた。
「大切な商売道具なのです。返しては頂けませんか?」
なるほど、彼の格好はこのトランクによく釣り合いそうなものだ。
私は彼の格好を見て、なんだか意地悪な気持ちが湧いてきた。見たところ彼と私はさほど年が離れていないように見える。それなのに彼は高級なスーツに身を包み、私はセールのときに買った安いスーツを着ている。
私はトランクを持ち上げると言った。
「これは私が拾ったものです。落とし主だと言うのならこのトランクの一割を請求します」
その言葉に紳士は途端におろおろし始めた。そして、それは簡単に値段のつけられるようなものではない、中身もまた同様であるというようなことを言った。
私と彼はしばらくのあいだ押し問答をしていたが、やがて彼は諦めたのかこう言った。
「それではこうしましょう。そのトランクの中身を差し上げますのでそのトランクを返してください」
それまでのやり取りでトランクの中には今日の彼の稼ぎがあると知っていた私はそれで良いと頷いた。
私からトランクを受け取った紳士はこんなことを言う。
「あなたにとってこれが価値があるとは思えませんけどね」
そして私は彼からもらった彼の報酬を家へと持ち帰った。
『助かりました、あなたのおかげで地獄へと行かずに済みました』
悪魔の稼ぎである魂は何度も何度も礼を言う。
紳士の言ったようにたしかに私にとってはなんの価値もないものだったな。
この魂をどうしようかと迷いながら私は、どれだけ魂が私に感謝しているのかというのを聞き流していた。
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