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ワームが現れた日

2037年10月12日――。

私が高校2年生だった頃の話である。


その頃の私は、まだ自分のことを僕と呼んでいた。

だから、この回想の中では一人称は私ではなく僕で通したいと思う。


東京都中央区。

築地ニュータウンの近くに僕が通っていた高校があった。


築地南高等学校。


築地再開発の一環で設立されたばかりの新しい学校だった。

教育現場のICT活用事例のモデルケースにしたかったみたいで、わりと先進的な取り組みが行われていた。


授業で用いるのは電子黒板と電子教科書。紙のプリントが配布されることなんてない。

試験もタブレット端末で回答し、試験結果や学期末の成績表は電子文書で本人と保護者に配布される。

生徒会選挙は国政選挙や地方選挙に先駆けての電子投票だ。


校舎の設備も充実していて、当然のようにエスカレーターがあるし、エレベーターを使ってもよい。

早出した日には掃除ロボットが動いているのを見ることだってある。

緑化された屋上もロボットが管理している。


そんな学校だ。


僕の高校生活は、少なくとも平和そのものだった。

ワームが現れたその日までは。


2学期中間試験の初日のことだった。


2-Aの教室。

帰りのホームルーム。

試験勉強で徹夜が続いていたせいもあって、僕は居眠りをしてしまっていたらしい。


「――助けて!」


女の子の声がしてふと気が付いた時、僕はどういうわけか以前に家族4人で住んでいた団地の廊下を歩いていた。

築70年だかそのくらいの団地で、外観はいかにも古めかしい。

玄関のドアなんて錆びている。

ただ、部屋の中はリノベーションがされていて、小綺麗な空間になっている。


「――助けて!」


玄関の土間になぜか父の革靴があった。

こんな時間にもう帰宅しているなんて珍しい。

会社はどうしたんだろう。


僕は靴を脱いで中に上がると、リビングのドアを開けた。


部屋の電気はついていない。

カーテンも閉まっているから、部屋の中は仄暗い。

壁のスイッチに触れて電気をつける。


「――助けて!」


女の子の声はどんどん大きくなっている。


キッチンには当然のように父親の姿はない。

トイレや浴室にいる様子もない。


寝室だろうか。

体調でも崩して早退したのかもしれない。


僕は寝室のドアハンドルに手をかけた――。



ソノドアヲアケテハイケナイ。



「時枝、大丈夫?」


同級生の安峰さんの声で、僕は我に返った。

急に噴き出した冷汗が、僕の背中を伝うのがわかった。

心臓が暴れるように脈打っている。

頭が重い。目の奥がズキズキと痛む。


「顔、真っ青だけど――」


そうやって僕を気遣ってくれるはずの安峰さんは、表情も声もどこか不機嫌そう。

髪は金髪に染めていて、耳にはピアス。制服のブレザーは前のボタンを留めずに着崩してネクタイも着けず、まるで不良みたいな恰好をしている。

実際、去年は留年したらしくて、本当なら1個上の学年の先輩。

クラスからは浮いている。


そんな安峰さんと、僕は多少なりとも会話を交わせる関係にあった。

教室の席が隣り同士だったからだ。

実際に話してみると、安峰さんは表面的な印象とは裏腹に決して悪い人ではない。

むしろ優しい人だ。


教室には安峰さんと僕の他にはもう誰もいない。

いつの間にかホームルームが終わっていたらしい。

わざわざ僕を待っていてくれたのだろう。


「体調悪いの? 保健室で休んでから帰ったら?」

「――そうしようかな」

「なら行こう。付き添うよ」


安峰さんに付き添われて、僕はエスカレーターに乗って1階の保健室へ。


「失礼します」


安峰さんが先に保健室に入っていく。

保健室には白衣を着た悩美先生の姿があった。

悩美先生はパソコンに向かって事務仕事をしていたらしく、振り向かずに「――流伽ちゃんね。今日はどうしたの?」と返す。

だが、その声に迷惑がる様子は少しもない。


「いや、今日はあたしじゃないんだけど――」

「え?」


ようやく振り向いた悩美先生は、僕の姿を認めるとすぐに席を立った。


「どうしたの?」

「なんか体調悪いみたい」


安峰さんが僕の代わりに答える。


「大丈夫? ちょっと横になる?」

「そうさせてください」


悩美先生が僕を保健室のベッドの上に寝かせてくれる。


「ええと、何君だったっけ?」

「2-Aの時枝です」

「時枝君ね。少しは楽になった?」

「はい」

「どこか痛むの?」

「ちょっと目の奥が。寝不足のせいかもしれませんが――」


悩美先生が僕の額に手を当てる。


「熱とかはないみたいね。一応、お薬も置いてはあるけど――」


悩美先生がベッドを離れて薬のある棚の方に歩きかけた時、安峰さんが僕に錠剤とコップ入りの水をくれた。


「はい。頭痛にノートン」

「あ! こら!」


悩美先生がすぐに戻ってきて、それを取り上げる。


「勝手にお薬を出すんじゃありません。まったく。どこから出したの?」

「あたしのだから返して。悩美先生だって市販薬出そうとしてたじゃん」

「先生はあるのを見せようとしただけ。そもそも、先生のお仕事を奪ってはいけません。せっかく、体調の悪い生徒が来てくれたのに――」

「はいはい、いつもサボリに来てすみませんね」

「本当にね。流伽ちゃんだって、明日も試験でしょう? 準備は大丈夫なのかしら?」

「今回は自信あるんだよね。だから、あたしもちょっと休憩。昨日徹夜だったから眠くて――」


そう言って、安峰さんは隣りのベッドに仰向けになってしまう。


「へえ? 頑張ってるんだ?」

「98点取ったよ」

「練習問題?」

「いや、友達とオールでカラオケ」

「本当に大丈夫なんでしょうね――?」


悩美先生はため息をついた後、僕の方に向き直った。


「時枝君。病院には行かなくても大丈夫そう?」

「大丈夫だと思います」

「無理そうだったら、ちゃんと言ってね。お薬は飲んでおく?」

「少し眠ってからにします。よくならなかったら、薬をいただいてもいいですか?」

「もちろん」

「ありがとうございます」


目を瞑ろうとした時、着信音が鳴った。

悩美先生のスマホだった。


「――はい。わかりました。今からそちらに向かいますね」


悩美先生の受け答えからすると、何か急ぎの用件のようだ。


「ねえ、流伽ちゃん。まだ、ここにいてくれるなら、少しの間、時枝君のこと任せてもいいかな?」

「今の電話?」

「そう。ちょっと出なくちゃいけなくて。1時間くらいで戻ると思うけど」

「そうなんだ? いいよ」

「ありがとう。時枝君が元気になったら、先生を待たずに帰っちゃっていいからね」

「うん。行ってらっしゃい」


そうやって悩美先生は保健室を出ていった。

壁掛けのデジタル時計の時刻は11:50。


僕は目を瞑った。

前日までの試験勉強の疲れもあって、僕はすぐにまどろみ始めて眠りの中に落ちていた。

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