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東京バベル

姿見の前に立って、私はいつものように口笛を吹きながら身嗜みを整えていた。


鏡に映る私の顔はマスカレードの仮面で目鼻が覆われている。

私のように高貴な身分の者は、下々の者に軽々しく顔を晒したりはしないのだ。


仕上げにコロンをひと吹きして部屋を出ると、廊下に最愛の妹の姿があった。


「お兄様。こんな夜更けにどうなさいましたか?」

「ちょっと人と会ってくる」

「そうでしたか。行ってらっしゃいませ、お兄様」


妹に見送られて、私は廊下を歩き始める。


おっと。ドアを閉めるのを忘れてはいけない。

こうしておけば、私の寝室を観測できる人間が1人もいなくなる。


カーテン、壁紙、シーリングライト、シェードランプ、ベッド、絨毯、姿見――。


そうした一切のオブジェクトのレンダリングを省略できるようになるから、世界の貴重なリソースを無駄に消費せずに済む。


つまりはエコだ。SDGsだ。

私は身分や学歴だけでなく、意識まで高い人間なのだ。


そして、住まいは憧れの高層階。


高さ635メートルの巨塔――東京バベル。

その最上階である127階のプール付きペントハウスが私の部屋だ。


見下ろす下界では、今夜もワームが人類の文明を食い散らかしているだろう。

だが、そのおぞましい姿も、ここからだと肉眼では確認できない。


代わりに、ここで目にするのは女たちの姿だけである。

この東京バベルが私の所有となってから、1階から126階までの各階は私のハーレムになっている。


さて、今夜はどの部屋に遊びに行こうか。


エレベーターに乗り込んだ私はパネルの前に立った。

このエレベーターは私専用で、東京バベルのあらゆる階に止まるようになっている。

だから、ボタンも127個ある。

パネルには1階から126階までのボタンが6列21行に並び、その上に127階のボタンが配置されている。


46という数字がおぼろげに浮かんできたので、私は46階のボタンを押した。


ここまで下の階に降りることはめったにない。

LVの高い子ほど、より高層の階に住まわせているからだ。

だから、きっと私の突然の来訪に驚くに違いない。

そうした反応を見るのも悪くはない。


46階に降りた私は、3番目の部屋の前でふと立ち止まった。

4603というドアプレートに書かれた部屋番号が、偶然にも素数であることに気付いたからである。

この階にある部屋は4601号室から4620号室まで。

すると、この階で部屋番号が素数になるのはこの部屋しかない。


せっかくだから、今夜はこの素数の部屋を選ぼう。


私が4603号室のドアのボタンに触れると自動施錠が解除される。

この東京バベルには私にしか入れない部屋はあっても、私に入れない部屋はないのだ。

それまでリビングでどこか物憂げに過ごしていた女性は、私が入っていくと驚きのあまりにソファをバッと立ち上がって、そのまま硬直してしまう。

だが、驚いたのは私の方も同じだった。


その女性に、見覚えがあったからだ。


「まさか、あなたは――」


私はスマホを取り出して、カメラを女性に向けた。

女性にフォーカスが当たり、ツールチップに女性の名前が表示される。

その状態でボタンを押せば、ステータスが閲覧できる仕様だ。


  ――――――――――――――――

  名前          芙蓉悩美

  ――――――――――――――――

  LV            22

  属性             善

  ――――――――――――――――

  分類          ユーザー

  性別             女

  年齢            27

  ――――――――――――――――

  電池          100%

  状態            妊娠

  ――――――――――――――――

  アプリ           5 ›

  ――――――――――――――――


年齢も間違いない。

私が通っていた高校で養護教諭をしていた悩美先生だ。


「やっぱり、悩美先生じゃないですか! お久しぶりです――」


私は懐かしさのあまり、普段の威厳を保つための言葉遣いをつい忘れてしまう。

が、悩美先生の方は今の自分の立場を決して忘れていなかった。


「ご無沙汰しております」


悩美先生は私に深々と頭を下げる。

白い胸元がチラリと覗いて、私は思わずドキリとしてしまう。


「高2の冬、僕が先生に保健室で告白して、それ以来ですね」

「ええ――」

「僕はこっぴどく振られてしまいました。自分は既婚者だからと」

「ずっと心苦しく思っていました」


悩美先生が左手の薬指に嵌めた指輪を右手で隠す。

その左手を私は握った。


「指輪をするようにしたんですね」

「はい。私が不見識でした――」

「旦那さんはLVおいくつでしたっけ?」

「LV20だったと思います」


雑魚が。

LV20の男など、低LV過ぎてお話にならない。


「僕のLVは21億です」

「すごく――高いです」


悩美先生はうっとりとした表情で私を見つめる。


もっとも、以前の私はそうした低LVのつまらない人間の1人に過ぎなかった。


思えば、この高みに至るまで、私は数々の苦渋を味わったものだ。

無知蒙昧な輩に絡まれて、ひどい虐めを受けたこともあった。――そんな男たちへの復讐はすでに果たした。

分不相応な相手に恋をして、つらい失恋をしたこともあった。――そんな女たちが今では私の虜になっている。


悩美先生もそんな1人だ。


「今の僕はあなたの目にどう映っていますか?」

「素敵です。狂おしいほどに」

「もしも、今、あの時の保健室に戻れるとしたら、先生の答えは?」

「YES」

「ここはあの時の保健室ではありません。ですが、あの時と同じようにベッドならあります。あのベッドの上で、少し昔の話をしませんか?」

「ええ、喜んで――」


人生とは不動安定しないものだ。

しかし、私が得たこの強大な力だけは、この先も失われるとは到底思えなかった。


2025/02/01:養護教諭の名前を変更

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