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聖女であるわたしの血が飲みたいのですか? 別にいいですけど

もっと短く終わらせるつもりが、書くべきことが増えすぎてこんなことになりました。

 ここは、一筋の光すら射さない、暗くて冷たい牢獄の奥の奥。

 そんな場所に、かつて聖女と呼ばれていたわたしは今、こうして閉じ込められています。



◇◇◇



「長年にわたって聖女を騙り、王国に何の祝福ももたらすことなく、財貨と称賛を貪り続けていた聖女──いや、魔女ミーシアよ。この場で僕は君を断罪する」



 この国の第二王子であり、わたしの婚約者でもあるアルフレッド様が、わたしに石ころでも見るような目をむけ、冷酷な声で魔女の宣告を行いました。

 急に王宮に呼ばれたから何かと思えば、いきなりのクビと冤罪を告げられ、両目が飛び出て空まで飛んでいきそうなくらいびっくりです。


 びっくりしているのは、玉座に座ってる太っちょの王様や、アルフレッド様のお兄様であるいつも顔色の悪い第一王子のリヒャルト様だけでなく、わたしの付き添いで来た顔なじみの神官さん達や、権力争いがなにより大好きというお貴族の方々もでした。


 ……にしても、久々に顔を合わせた婚約者への第一声がこれとは……


 称賛はまあ、誰も彼もがわたしを褒めたり拝んだりしていたことだとわかるのですが、財貨というのはどういうことなのでしょう。聖女と認定される前も今も、大金や高価な品物とは縁がない人生だったのですが。

 そうなると考えられるのは、本来わたしの手元に届く前に、それらをちょろまかしていた誰かがいるということになります。神殿の偉い人たちの仕業でしょうか。



「わたしが、魔女、ですか」



 その意味を噛みしめるように、わたしは言葉を区切って返しました。


「そうだ。しらじらしい演技はやめろ。既に本物の聖女は見つかっている。……クレセリア、こちらへ」


「はい」


 嬉々とした声でアルフレッド様のもとへ近づき、そのまま唖然とする周囲に、いえ、わたしに見せつけるように寄り添った、一人の若い女性。

 その美しい容姿と蒼いロングヘアには見覚えがあります。

 たしか、公爵家のご令嬢だったはずです。年はわたしと同じ十八歳か、あるいは一つ二つ下だったかな。


「クレセリア、君の慈愛に満ちた奇跡を僕たちに見せておくれ」


「かしこまりました。では、どうぞご覧あれ」


 事前に用意されていたのでしょう。アルフレッド様が指をパチンと鳴らすと、まだ十歳になるかどうかという幼い少年が、椅子と共にこちらに運ばれてきました。

 少年はその椅子に座らされると、不安そうに辺りをキョロキョロと落ち着かない様子で見ています。

 よく見ると、少年の右足は、妙にねじれたような形をしていました。だから歩けずに、兵士さんに抱えられて、ここまで運ばれてきたのでしょうか。


「君は心配しなくていい。今から、聖女クレセリアが、君のその足をまともに動けるようにしてくれるんだ」


「ほ、本当ですか」


「ええ、王子様のおっしゃる通りですよ。さあ、わたくしに任せて……」


 少年の右足に触れるクレセリア様の手から、淡いオレンジ色の光が生まれ、そして──







「すごい、すごいや!」


 数分くらいたったでしょうか。

 光が消えると、少年の右足は、もう一方の足を鏡に映したように対照的な形へと変わりました。いえ、治りましたというべきしょうか。

 周りで一部始終を見ていた方々からも、驚きの声が上がっています。


「歩けるよ、こんなに足が動いて、すごいや! ありがとう聖女様!」


「あらあら、王子様にもお礼を言わないと駄目ですわよ?」


「はい! ありがとうございました王子様!」



 ──こうして、置いてけぼりのわたしを尻目に、新たなる聖女クレセリアは華々しいデビューを見事やってのけたのでした。



 それからどうなったか、会話だけで説明すると、



アルフレッド様「偽者の聖女ミーシア、言わなくてもわかるだろうが僕は君との婚約を破棄させてもらう。そして、僕は彼女を……クレセリアを生涯の伴侶として、娶ることにする」


クレセリア様「ああ、アルフレッド様……!」


わたし「待ってください。わたしはこれまでこの国に祝福を……」


アルフレッド様「まだ嘘をつくか。君が聖女として選ばれて数年経つが、王国には何の発展も豊かさももたらさなかったではないか。それのどこが祝福だというんだ」


わたし「そう言われましても」


アルフレッド様「これ以上の弁解は無駄だ。……誰か、この魔女を最下層の牢獄へと封じ込めろ。己の罪を悔い改めるまで、そこで過ごすがいい」



 こういう事になりました。


 牢獄送りはいくら何でも可哀想ではないかという声もあったようですが、わたしが目に見えた成果を一切出していない事への不満は以前から積もっていたらしく、結局くつがえることはありませんでした。

 後ろ盾がないと、こんなとき、手も足も出ないのですね。



◇◇◇



「なるほどね。なぜここに押し込められているのか、事情はよくわかったよ」


 少年は、うんうんと頷いてわたしの話を最後まで聞いてくれました。



◇◇◇



 ……わたしがこの牢獄に閉じ込められて、十日くらいは経過したんじゃないかと思っていた頃。

 暗闇にもすっかり慣れ、硬いパンと水だけの食事も、幼いころのひもじかった農村での暮らしに比べたらマシねとまあまあ満足していた日々に、大きな変化が闇から訪れました。


「…………かな」


 なにやら、わたしに話しかけてくる声が聞こえました。


「その部屋に、入ってもいいかな」


 声の主は、少年のようでした。透き通るような美声で、わたしのお部屋へ足を踏み入れる許可を求めてきます。夢にしては、やけに現実味がありました。

 わたしはゆっくりと上半身を起き上がらせ、ぼけっとしたまま返事をしました。


「別にぃ……そんなの…………好きにしたら、いいよぉ……」


 寝ぼけたまま、声の主に許可を出します。


 すると。



「よかった」



 だいたい一分ほどたってから、一人の少年が音もなく堅そうな石壁をすり抜けて、わたしの前に姿を現しました。

 最初は眠気で頭が働かず、変な夢でも見ているのかと思いましたが……意識がはっきりしてきて、しかも、暗闇の中でも普通に姿が見えていることに驚き、上ずった声が口から出てきました。


「ゆっ、幽霊……!?」


 もしや、ここで亡くなった、以前の住人なのかなと思ったのです。


「そんな低級なアンデッドと一緒にしないでほしいな」


 少年がちょっとムッとしました。あらかわいい。


「それはごめんなさいね。急に壁から出てこられたから、つい実体がないのかと」


 わたしの謝罪を聞いて、少年は「確かに、そう思われても仕方ないか。そこは僕の落ち度だね」と、自分の非をあっさり認めてくれました。

 これがもしアルフレッド様だったら、自己中心的な理詰めで、わたしのほうが非を認めるまで話を終わらせてくれなかったでしょう。


 少年は襟を正すと、神殿の壁画に描かれている天使のような、けれど死人のように青ざめた微笑みを、わたしに向けました。


「では、改めて……こんばんは、聖女さま」


 思わず抱きしめたくなるような愛らしさと、しかしそれだけでなく、体の芯までとろけそうになる艶やかさが両立している、そんな笑みを浮かべ、肩まである金髪が恐ろしいくらい良く似合う黒衣の少年は、わたしに一礼して挨拶をしました。

 血の気が全くない真っ白すぎる異様な肌が、牢獄の暗闇に映えています。

 わたしは少年のそんな人間離れした行為と美貌に、そして先ほど少年が幽霊と勘違いされて気分を害した、その理由と正体に心当たりがありました。



 ──吸血鬼、という魔物です。



 本当にこの世に存在してたんですね。



◇◇◇



「……で、唐突な質問だけど、ここから出たい?」


 ヴェルネルドと名乗る吸血鬼の少年は、わたしのこれまでの経緯を聞いた後、そう問いかけてきました。


「聞くまでもないと思いますけど。こんな所にいたがる者はネズミや虫くらいでしょうね」


「なら、手伝ってあげてもいいよ」


「何が望みですか」


 わたしは間髪入れずに尋ねました。

 世の中、タダで他人に手助けしてくれる者などほぼいません。なにかしらの代価を求めてくるのが普通です。

 ……なのですが、相手は魔物です。どんな無茶で恐ろしい要求をしてくるか、わかったものではないのですが、現在のわたしは自暴自棄と無気力をよーく混ぜ混ぜしたような心境でした。

 つまり、どうにでもなれ、ということです。



「生き血が欲しいな」



「?」


 わたしは首をかしげました。言っている意味はわかりますが、意図がわからなかったからです。


「なら取引などせずとも、無理やり押さえつけて、首にかじりつけば済む話ではないですか。お祈りしかできない女一人くらい、たやすくねじ伏せられるでしょう?」


「そうもいかなくてね」


 彼は肩をすくめました。


「聖女である君の血は、聖水などと比べ物にならないくらいの聖性を秘めた液体なんだ。そんなもの強引に飲んだりしようものなら、最悪、僕の肉体はおろか、魂までも滅びかねない。君が僕に「吸ってもいいよ」と許可を出さない限り、とてもじゃないが君のその美味しそうな首筋に牙を突き立てる気にはならないね」


「そうですか。吸血鬼も大変ですね」


「君ほどじゃないよ」


「ぷっ」


「ふふっ」



「「あははははははははっ」」



 たまに看守の気まぐれで蝋燭に火が灯される時以外は真っ暗な、この国で一番深い場所にある地下牢に、わたしと彼の場違いな笑い声がこだましました。

 それにしても……美味しそうな首筋、ときましたか。趣味の悪い人、いえ、吸血鬼ですね。

 こんなに笑ったのは久しぶりです。



◇◇◇



「……ああ、いい気持ち。夜風ってこんなに気持ち良いものだったのね」


 わたしは地上へと戻ることができました。

 なんだか、夜空に浮かぶお月様が、やあ久しぶりだねミーシア、と笑いかけてきてくれている気がします。



◇◇◇



 ひとしきり二人で笑ったあの後、ヴェルネルドはまた壁に溶け込んだかと思うと、どうやったのか、今度は看守を連れて牢獄の前まで来て、扉を開けさせました。


「……まことの姿を晒すのは、忌まわしき天の輝きをもってのみ……」


 わたしと入れ違いで牢獄に入ってきた、焦点の合ってないうつろな瞳の看守に、なにやら魔法のようなものをヴェルネルドがかけると、その看守の姿がモヤに包まれ──



「…………わたし?」



 牢獄の隅に置かれたぼろぼろの毛布。その上にちょこんと座るのは、まぎれもなく『わたし』でした。


 ぼさぼさの艶のない黒髪、いつも眠そうな目、愛想笑いが癖になった唇。

 どこからどう見ても聖女とは思えない、寂れた農村上がりのみずぼらしい娘です。アルフレッド様も、こんな容姿の娘を押し付けられるという特大のハズレくじを引かされて、さぞご迷惑だったでしょうね。

 こんな娘に食欲をそそられたヴェルネルドの心境は、もはや理解不能です。

 もしかして、見目麗しい女性ばかりを獲物にしすぎて、美しさというものに飽きがきたのでしょうか。褒めるところのない容貌の聖女であるわたしを、珍味をいただく感覚で、ちゅうちゅう吸いたいと思ったのかもしれません。

 魔物の思考は摩訶不思議ですね。


「ここに収容されている限り、こいつにかけたまやかしが解けることはないよ。こいつには無言で君を演じるよう命じてあるからね。面会もほとんどないだろうし、それでしばらくは誤魔化せるはずさ。でも、看守が一人いなくなって、不審がられるかもしれないから、できるだけ遠くへ離れよう」


 ヴェルネルドは牢獄の扉に鍵をかけ、看守をわたしの身代わりにすると、今度はわたしに何かの魔法をかけました。すると、驚くことに、今度はわたしの体が透き通って、みるみるうちに透明になっていきます。

 自分そのものがガラス細工になっていくような、不思議な気分でした。



(どうかバレませんように……)



 最下層に設けられていたわたしの自室から、ひたすら長い階段を上り、とうとう看守たちの詰め所を通り抜けることになりました。最後の難関です。

 無事にすむよう心の中で祈っていましたが……拍子抜けするくらい、看守たちはわたしと(同じく透明になった)ヴェルネルドに気づくことはありませんでした。

 彼らをよく見ると、顔は紅潮し、声も無駄に大きく、足元には空き瓶が転がり、そして詰め所にはお酒の匂いがこもっていました。呆れたことに、この人達はお酒を飲みながら仕事をしていたのです。

 この様子では、わたしの足音や息遣いに気づくことなど、できるはずもありません。 

 それどころかヴェルネルドが最下層の牢獄の鍵を元の場所に戻したことすら、誰一人わかりませんでした。

 これなら死にかけの老犬でも置いておいた方がまだマシです。


 それと、牢獄ではカビ臭さなどでよくわかりませんでしたが、思い返すと、わたしの身代わりにされたあの看守からも、お酒の匂いがしていた気がします。

 たまたま席を外したところをヴェルネルドの魔の手にかかったのでしょうね。不幸な人です。



◇◇◇



「とりあえず、場所を移そうか」


「そうですね。ここだとあの約束を果たす場所としてはちょっと……いえ、かなり雰囲気が悪いですし」


 久しぶりに夜風と月の光を堪能したあと、わたしはヴェルネルドに抱えられ、そのまま監獄の中庭から、夜空へと飛び立ちました。

 やっぱり少年みたいな見た目でも魔物なんだな……と、彼の吸血鬼としての怪力に驚き、人ひとり掴んだまま、翼もなく空を飛べる、その異様な能力にまた驚かされました。

 なんだか、彼と出会ってから驚きっぱなしですね。 





 王都を離れ、そのままヴェルネルドはわたしを抱いたまま、西にある森の奥深くへと飛んでいきます。

 そうしていると、やがて、廃墟らしきお屋敷が見えてきました。



 そのお屋敷の屋根の上に二人で降り立ち、わたしは彼に、首筋を差し出しました。

 身長差があるので、わたしが立ち膝をついてあげます。


「ふふっ」


「どうしたの?」


「いえ、祭壇にまつられた聖章に祈るときの姿勢で、吸血鬼であるあなたに血を捧げるのが、なんだか皮肉っぽく思えまして」


「それは光栄なことだね。なんだか尊い存在になった気分だ」


「……なんでしたら、それっぽく即興であなたへの祝詞でも口ずさみましょうか?」


「やめておくよ。なにせ聖女の祝詞だからね。例えどんな内容でも僕を苦しめかねない」



 彼は会話を切り上げ、わたしの首筋に、その柔らかそうな唇を──



「ん……」


 鋭い二本の牙が、ゆっくりと刺さってくる、その痛みは……実のところ、ほとんどありませんでした。せいぜい、チクチクッという程度のものです。





「ぷはっ………………あぁ、すっごい美味しかったあ」



 さっきまでの大人びた様子はどこへやら。

 彼はわたしの首筋から口を離すと、とても甘いお菓子を食べた子供みたいな無邪気な満面の笑みで、聖女であるわたしの血に陶酔していました。

 口から垂れた血を親指ですくい、もったいないとばかりに、その指についた血まで舐めています。


「案外あっさりでしたね」


「僕は小食なんだよ」


「てっきり、死ぬまで吸い尽くす……とまではいかなくても、具合が悪くなる程度は吸われるものだと覚悟していました」


「それはまあ、これから何度も吸えるわけだし、そんながっつくこともないしね」


 ヴェルネルドは意味深なことをほのめかし、口の端を吊り上げ、にやりと笑いました。


「どういう事です?」


「逆に聞くけどさ、君、あの牢獄を出たはいいけど、これからどうするの? 生まれ故郷に戻るわけにもいかないし、ここに隠れ住むとしても、水や食事のアテはあるの? よその国にまで逃げるにしても、無一文でどうやって?」


 彼の言いたいことはわかりました。


「わたしが安心した生活を送れるまで協力する代わりに、今後もわたしの血を飲ませてほしい──そういうことですね」


「うん」


 やむを得ません。彼の要求を飲みましょう……というか、彼に飲ませましょう。

 魔物を頼りにするのはどうかと思いますが、今のわたしは世間的には聖女ではなく魔女なので、むしろ仲良くすべきでしょうしね。





 ですが三日後、恐るべき事態に──





「ねえ、どうなってるのこれ、僕に何したの」


「何もしてませんけど」


「じゃあなんで僕は平気なんだよ」


 わたしとヴェルネルドは、ありえないことですが、()()()()()()()()()で口論していました。当然、はるか空のかなたには、お日様が輝いています。

 にもかかわらず、彼は焼かれることも苦しむこともなく、私と向き合って、この異常事態に困惑していました。つまり太陽の光が平気になったのです。


 それだけではありません。


 誰の家でも不法侵入できるようになった。聖別された品物に触れても焼けない。流れる水に浸かっても普通に動ける。神殿のシンボルである聖章を見ても苦しくならない。


 吸血鬼という種族の持つ弱点が、彼からきれいさっぱり無くなったのです。


「わたしの血のせいかもしれませんね。わたしが血をあげると約束したことで、本来ならあなたにとって害となる聖性から『守られる』という加護を、あなたに与えたのかも」



 ……それは、厳密には、あらゆる災いを受け付けないという加護だったみたいです。



 今後、判明することなのですが、わたしがヴェルネルドの助けを借りて牢獄から脱出して、彼に血を与えたとき──あるいは、アルフレッド様がわたしを罵り、魔女として投獄したときかもしれませんが──この国にもたらされていた加護は消え失せたようなのです。

 どのタイミングかは、まさに神のみぞ知ることでしょうが、こうして王国は、様々な悪しき事象から身を守る術をいきなり失いました。

 流行り病、作物の不作、魔物のスタンピード。

 これまで何事もなく平穏だった状況から一転して、それらの厄介な出来事にまとめて襲い掛かられ、王国はあっという間にマイナスへと転がり落ちていきました。

 国が傾くくらいの痛手を負っているようですが、まあ、本来そういった危機と立ち向かうのが国として当たり前なので、国民の皆さんには一丸となって頑張っていただきたいです。



◇◇◇


 

 聖女であるクレセリア様も奮闘していたようですが、個人を癒す力だけで一国をどうにかできるはずもなく、魔物が湧き出てきた激戦地で怪我人を治していたものの、ついに限界がきて、倒れてしまったとのことです。


「もうイヤ……」


 今は実家で療養しているそうですが……朝から晩まで酷使されすぎ、汗や血の臭いが酷い、もうあんな場所に戻りたくないと、半泣きで悪態と弱音を吐いているとか。


「わたくしは聖女クレセリアなのよ。どうしてあんなむさ苦しいところで、下品な連中を延々と癒さないといけないの? わたくしの奇跡は、魔物を根絶やしにできないあんな役立たずどものためにあるものではないのよ……!」


 彼女が病で実家から出てこなくなるのも、そう遠い話ではないでしょう。

 今はまだ仮病ですが、折れた心の支えであるアルフレッド様が見舞いに来なくなれば、精神が病むのも時間の問題かと思います。




 そのアルフレッド様もまた、窮地に立たされていました。


 この事態は第二王子が聖女ミーシアを魔女と断罪して投獄したせいだ、という意見が時間がたつにつれどんどんと強まっていき、立場が弱くなりつつあるアルフレッド様は状況を打破するために一計を案じました。

 どうにか『わたし』を懐柔して王国に再び加護を与えさせ、それをクレセリア様の奇跡だと、人々に信じさせようとしたのです。思慮の浅い彼にしては頭を使いましたね。

 そのため、わざわざアルフレッド様本人が側近を連れて地下まで出向き、『わたし』を牢獄から解放し、地上へと連れ出して──そう、太陽の光によって、ヴェルネルドのかけたまやかしが解けました。



「何だこれは、何がどうなっているんだ!」



 いきなり聖女が看守に早変わりしたら、まあ、混乱しますよね。

 どのくらい混乱したかというと、わたしの身代わりをさせられていた看守を『魔女め、くだらん悪あがきをするな!』と切り捨てたくらいです。わたしが地上へと出たタイミングで、とっさに魔法で看守に化けたとでも思ったのでしょう。

 そんな馬鹿げた結論で死ぬことになったあの看守さんは、本っ当に不幸な人でした。


 それから、側近になだめられてやっと落ち着いたアルフレッド様の指示で、牢獄は隅から隅までくまなく調べられたそうですが、当然、わたしが見つかることはありませんでした。

 それどころかこの件のせいで、アルフレッド様がわたしを連れ出して密かに処刑し、牢獄から冤罪の証拠になりえる品を全て持ち去ったという噂まで広まる有様です。

 かわいそうな看守の死体を毛布に包み、こっそり処理させたのを目ざとく口の軽いメイドに見られたのが、さらにその噂に拍車をかけました。

 こうなると、もうアルフレッド様に打つ手はなく、王宮でずっと後ろ指を刺され、肩身の狭い思いをして生きていくしか道がなくなりましたが、それはあの方にとって、とても耐えがたいことだったのでしょう。

 アルフレッド様も、案外普通の神経の持ち主だったようですね。


「ちっ、また朝が来たのか……。ずっと、夜が明けなければいいものを……ごくごくっ…………ぷはぁっ」


 健康と爽やかな容姿だけが取り柄だったあの方は、次第に酒に溺れていくようになり、今では、朝からベッドの上で飲酒するような自堕落な生活を送っているそうです。

 当然、クレセリア様への見舞いなど行くはずもありません。


「……どうしてこんなことに……。ああ、ミーシア、お前はどこへ消えたんだ。なぜ僕を見捨てたんだ……僕は、かつての婚約者だぞ……? それでも聖女か……ごくっ……」



 生まれつき体が弱い第一王子と、体を壊すのもそう遠くない第二王子。

 様々な問題に直面しているこの国も、不安がある後継しかいない王家も、あまり先行きは明るくありませんね。



◇◇◇



「むしろ感謝してほしいですね。結果的に、弱みのない体にしてあげたんですから」


「それがまずいんだよ」


 ヴェルネルドは感謝どころか渋い顔をしていました。欠点が消え失せたのだから手を叩いて喜ぶべきでしょうに。


「どうして?」


「太陽の光を浴びても焼かれない、そんな逸脱した吸血鬼を、あの偏屈な『老人達』が黙って見過ごすはずがない。もし知られようものなら、異端者として抹殺するために、僕のもとに刺客を送ってくる可能性すらあるんだ。流石にまだバレてはいないだろうけど……」


「自分達の立場を脅かすかもしれないから……ということですか?」


「それもあるし、吸血鬼のしきたりや存在そのものをくつがえすような同類を野放しにしておきたくない、そんな頑固なこだわりもあるんだろうね」


 つまり、暗黙のルールを破った出る杭を打ち砕きたい、ということなのでしょう。その辺、人間の権力者とあまり変わりはないようです。

 人も魔物も年を取ると、抜きんでた若者の振る舞いが害悪に見えるのかもしれませんね。


「でしたら、一日も早くここを離れて、そのお年寄りたちの手が届かないところまで逃げるべきでしょうね。あなたの体質がバレないうちに」


「どこかアテでもあるのかい?」


「この大陸のずっと東のほうにある精霊王国なら、そう簡単には手出しできないと思いますよ。それに、そこなら私のことを知っている者も、ほとんどいないでしょうしね。あの国は、王国とあまり交流がなかったですから」


「なら口喧嘩をしてる場合ではないね。用意が整い次第、できれば数日以内にここを発つことにしよう」


「楽しい旅になるといいですね」


 自分で言うのもなんですが、お気楽なわたしとは対照的に、ヴェルネルドは眉間にしわを寄せて、そのまばゆいばかりの美貌を歪めていましたが、


「まあ、旅先の名所を背景に、僕にひざまずく君の血を吸うのも悪くないかもね」


 開き直って、余裕に満ちた笑顔をまた見せてくれました。



 わたしの加護によってすっかり血色の良くなってしまった、生者のような顔を。



◇◇◇



 ということで、聖女と吸血鬼の逃避行という名の珍道中が、こうして幕を開けたのでした。

 私とヴェルネルドの行く先に、何が待ち構えているのか。それはまた別の機会に語るとしましょう──

恋愛枠にするかハイファンタジー枠にするか迷ったのですが、主人公とヴェルネルドの関係にあまりラブラブさがないのでこっちにしました。

お互い好みのタイプなのですけどね。

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