【短編】毒の紳士と死の祝祭~彼女は本当に不幸だったのか~
長編化予定の小説です。
「さて、エメ。まだかな?」
全身が痺れて動くことができず床に倒れているエメの前で、その男はイスに座って優雅に紅茶を飲んでいる。
「もうすぐ十分が経つ。早く毒を分析して正しい解毒剤を飲みたまえ」
紅茶を飲む仕草の一つでさえ色気が漂う目の前の男。ウィリアム・ライデッカー。彼はエメを殺しかけ、気まぐれに拾い名を与え、弟子にして、そして今日は痺れ薬を盛った男。
「そんなんじゃ復讐なんて夢のまた夢だ。ほら、王太子妃を殺したいんだろう? 頑張りたまえ」
どこまでも優雅。そして突き抜けるように残酷に男は笑った。エメは歯を食いしばりながら痺れている手を必死に動かして一つの瓶を手に取った。悔しい過去を思い出しながら。
***
嵌められた。そう気づいた時にはすべてが遅かった。
「うちの領で栽培禁止の植物が見つかるなどあり得ない!」
「しかし、山奥で見つかったぞ? 登山家が通報してくれた」
「自然に生えたものでは?」
「あれほど大量に? しかも整備されていた。他国に売っていたんじゃないのか」
栽培禁止の植物がうちの男爵領の山奥で見つかったのは本当に突然だった。父である男爵の弁明は許されなかった。
「うちではありません! 誰かがあそこで秘密裏に栽培していたんだ!」
ちょうど隣の伯爵領との境界ギリギリにある山。その山の奥深くに一面、栽培禁止の植物が生えていたのだ。
真っ先に思い浮かんだのは隣を治める伯爵に嵌められた、ということ。あそこは王太子の新しい婚約者に娘が選ばれそうな家だから。
結局父が栽培に関与していた証拠はないものの、男爵領で起きたことなのでかなりの額の罰金を科せられた。
調度品を売って知り合いから借金をしても罰金の額には届かなかった。アメリアと金持ちの老人との結婚も選択肢にあったが、タイミングが悪かった。
問題のあった王太子の元婚約者様がとある有名な老人のところに嫁いだばかり。足りない金額を出してくれそうな、若いだけの妻を求めている家はなかった。そもそも当時アメリアはまだ十歳で、年齢も悪かったのだろう。
母を娼館に向かわせるわけにもいかないので、跡継ぎでもなんでもないアメリアが娼館に売られることになった。
礼儀作法と勉強はかじっていたおかげか、いいお値段でアメリアは売られたようだ。迎えの馬車が来て、さめざめ泣く父母と事態を分かっていない幼い弟に見送られて金の入った袋と引き換えに正真正銘ドナドナされる乗り物に乗りこんだ。
覚悟を決めていたはずだ。何度も両親とも話し合った。これしかお金を手に入れる手段はない。お金が払えなければせっかく受け継いできた家は没落決定なのだ。
分かっている。これはしょうがないことだと。でも、馬車の中で涙が止まらなかった。別に娼婦が嫌なわけじゃない。彼女たちだって必要な仕事だから存在している。
でも、うちの男爵家は何も悪くないのに。何も悪いことなどしていないのにどうしてこんな思いをしないといけないんだろう。アメリアにはこれから輝かしいまでいかなくても、こんな風じゃない平和な未来が待っているはずだったのに。
泣いていたら馬車が不自然な止まり方をした。アメリアがこれまで乗ったどの馬車よりも良い馬車だから、そういう止まり方なのかと思ったがあまりに止まり方が雑で急だ。
そおっと扉を開けて外に出た。霧が濃いが、なだらかな山道だ。
「ひっ」
馬が泡を吹いて倒れている。御者は苦しそうに喉をかきむしりながら、投げ出されたようで離れたところに倒れていた。密室が苦手だと御者の隣に乗っていた娼館の関係者もピクリとも動かずに倒れ伏している。
山賊の襲撃ではない。これは一体、何? もしかしてここは何か幽霊でも出るの?
「この中で立っていられるのか」
深い落ち着いた声がして慌てて振り返る。さらにアメリアはギョッとした。鳥の頭の形をしたマスクをかぶった、おそらく男性が立っていた。服装がぴしっとしたジャケットにズボンとあまりに小ぎれいで山奥という立地と今の状況に一切似合わない。
「あ、あれ?」
急に手足に痺れが来た。アメリアは震えながら膝をつく。
「ここまで吸っても、その程度か。君、名前は?」
「あ、アメリア」
「娼館に売られそうだったのか?」
「もう、売られました」
「そうか。今どんな感じだい? 体の状態は?」
「て、手足が動かなくて……立ってられなくて」
小ぎれいな服装と丁寧な問いかけに思わずアメリアは答えてしまう。
「実はこの一帯には毒ガスを撒いて実験している」
「は、毒?」
「商人も通る予定がなく、誰も近付かないはずだったんだが。君には悪いことをしたね」
「あ、なた、だれぇ?」
「呂律が回りにくくなってきたか。期待通りの効果だ。私はウィリアム・ライデッカー。しがない藪医者だよ」
医者が毒ガス? 何それ?
「なんで、お医者さ、んがぁ」
「まだ喋れるのか。すごいな」
マスクさえなければ紳士という言葉が似合うであろう格好と口調の彼は、懐から何かを取り出してアメリアの口元に押し付けた。
「飲みなさい」
「こ、えなに?」
「解毒剤だ」
アメリアは痺れる手で解毒剤を掴もうとする。この男は危険だと頭のどこかで激しい警戒音が鳴る。でも、何となく分かる。このままだとさっきの大人二人のようにアメリアも死ぬ。
痺れながらも解毒剤をつかんで口元に持っていこうとしてうまくいかないアメリアの様子に、また彼は感嘆した。
「素晴らしい」
何が? 声に出す暇もなく、彼は解毒剤を掴んで開けアメリアの口に流し込んだ。
「飲めるかな? 飲めなければ死ぬだけだが」
医者どころかこの人、殺人鬼では?
根性で飲み込んだところでアメリアの意識は途切れた。
目を覚ますと、知らない部屋に寝かされていた。気だるさを感じながら起き上がると、ベッドのそばに人の気配がある。本を読んでいたようだ。
「あぁ、生きていたか。目覚めないから心配していた」
そのセリフはあんまりじゃない? しかもあまり心配そうな声音ではない。
「あの毒ガスにあれほど耐える人間がいるとは。計算外だ」
やっぱり、殺人鬼かな。
男がアメリアに顔を近付けた。金と茶の混じったような髪に琥珀色の目。長めの前髪が左目を覆っているが、整った顔の男だった。三十代あるいは四十代だろうか。部屋には試験管や難しい本が並べてある。部屋だけは医者らしい雰囲気だ。
「面白くて連れ帰ってしまったが……しかも生きている。素晴らしいね。君はなぜ娼館に売られたのかな? 見たところ、下位貴族の令嬢のようだ」
珍獣扱いか。
華奢ではない、ゴツく厚い体つき。医者はみんなひょろっとしているんだと思っていた。
「そうですけど……あなたは? 本当に医者? 殺人鬼?」
「人を救うことができるということは、人を確実に殺すことができるということだよ」
「……もし、あなたが殺人鬼なら……お願いがあるの」
手を握りこむアメリアに対して、男は面白そうに口角を上げた。
「喋れそうなら喋ってごらん。水を飲むかい? あぁ、大丈夫。これに毒は入ってない」
全く安心できないことを言いながら、男はコップを差し出した。喉が渇いていたので、臭いを嗅いでから飲み干す。
栽培禁止の植物が見つかったことで罰金を科せられ実家が没落しそうなこと、アメリアが娼館に売られるしかなかったことをポツポツと喋った。
「絶対、うちは嵌められたんです。隣のソーン伯爵家に」
「ソーン伯爵家。あぁ、コートニー・ソーンは王太子の婚約者の最有力候補というウワサだね。だって彼女以外の令嬢はほとんど婚約している。なるほど。だから隣の領である君のところに植物を移し替えて後ろ暗いことは何もないことにしたと」
「はい」
「証拠はないんだろう?」
「……ないです。どのみち発見数日前の大雨で全部流れてしまっています。調査隊も何も見つけられなかったんですから」
ふむ、と男は考え込んだ。仕草がいちいち上品な男だ。正直、父親の男爵よりもよほど気品にあふれている。
「でも、お隣の伯爵領はずっとおかしかったんです。特産品が大してあるわけではないのにずっと羽振りが良かったし……王都では豪遊していないから気付かれなかったかもしれないけど、領地であれだけ贅沢できるのはおかしいんです。だから、ソーン伯爵夫妻と伯爵令嬢を殺してくれませんか? お金は一生かかっても払います!」
顎に手を当てたまま、にこりと男は上品に微笑んだ。
「伯爵夫妻はそうでもないけど、娘は将来の王太子妃。かなり高額になるよ?」
「それでも、です」
「何でもできるのかな?」
「はい。だって私、娼館に売られる覚悟もしたんですから」
「じゃあ、君が殺しなさい」
男が表情を変えることなく何を口にしたのか分からず、アメリアは一瞬呆けた。
「え?」
「私が教えよう。とびきり美しい殺し方を。君が将来王太子妃となったあの女を殺しなさい。訓練すればちょうどいい頃合いだろう」
「えっと、あなたは本当に殺人鬼なの?」
「殺人鬼と一緒にされるとは心外だよ。私は殺し方に美学を持っているし、そこそこ名の通った暗殺者だよ」
上品な男は笑みをたたえたままだ。嘘をついているのかどうかさえ分からない。でも、この男は会った時に毒ガスを散布していたのだ。十分にあり得る。絶対医者じゃない。
「私でも、殺せますか?」
「君は毒に耐性があるようだからね。私が教えてあげよう。死なずについてこれたら確実に殺せるよ。私もまだ王太子妃は殺したことがないんだが、楽しみだね」
楽しみというのはどういうことか分からないが、男が手を差し出してきたのでアメリアはおずおずとその手を握ろうとした。
「握手したら契約成立だが、いいのかな? ソーン伯爵家は無実かもしれないよ?」
一瞬、アメリアは動きを止める。
「うちは栽培に関与していません。それにソーン伯爵家の倉庫にあの植物が積んであるのを私は見たことがあります。小さい頃いたずらで入り込んだだけだから証拠にもならないけど……そもそも不法侵入だし……」
「少し、意地悪をしすぎたようだ。私もソーン伯爵家が犯人だと思うよ。この業界は情報が命だからね。あの家は栽培禁止の植物を秘密裡に栽培して儲けているんだよ。いい加減、手を引き始めたようだがね」
「……本当に暗殺者ですか? 毒ガスを撒いてましたけど……」
「あれは今度使おうと思ってるんだがどうも効果が広範囲だからね。一人を殺すには効率が悪い。面白いんだがね」
「は、はぁ」
「そうそう。私のせいだが、君は死んだことになっている。御者と娼館の関係者もね。彼らは事実、死んでいたが。大変だったよ。山賊の仕業に見せかけるのも君に似た死体を工面するのも」
さらりと口にされた事実にアメリアは目を見開いた。
「大丈夫。金を返せなんて娼館は言っていないよ。契約書には君が途中で死んだら返金なんて書いていないからね。そこは大丈夫だ」
「あ、ありがとうございます。私、何日眠っていたんですか?」
「五日だな」
あぁ、なるほど。この男はすでにアメリアのことを調べているのだ。絶対に医者ではない。
「私のこと、すでに調べてあったんですね」
「一応ね、アメリア・メイズ元男爵令嬢。でも、知っていることでも君の口から聞きたいじゃないか」
男は手を差し出したまま何てことはないように答える。
「どうする? 私と契約するかい? しなくてもいいけど、王太子妃になる伯爵令嬢を気付かれないように殺すのは難しいよ? 失敗してもいいから捨て身で行くなら止めないが、せっかくまだ生きている君の家族を巻き込みたくないだろう?」
「はい……あなたに教えを乞えば、確実に殺せますか?」
「もちろん、殺せる。まだ私は前公爵までしか殺したことがないんだがね。毒殺は芸術だよ。元公爵は長年の不摂生で太っていたから最後はあまり美しくなかったんだが。将来の王太子妃ともなると、いい。労働を知らない手が痺れで震えるのもいい。日光を浴びているのか不安になる白い肌に口から吐いた赤い血が流れるのも美しいだろう」
どうやらアメリアは大物を引き当てたらしい。明らかに異常な発言もそれを物語っている。
田舎者のアメリアでも知っている、スターレン前公爵の変死。それは暗殺者『毒の紳士』の仕業だったはず。この国で起きる証拠の出ないほとんどの毒殺に関わっているとされる、暗殺者の通り名。
「まさか……毒の紳士?」
「その通りだよ。新聞屋がつけた名前だがそこそこ気に入っていてね」
アメリアはがしっと両手で男の手を掴んだ。
「よろしくお願いします!」
「元気だね」
こうしてアメリアは死んで、毒の紳士の弟子になった。彼は、昼間は医者で夜は暗殺者だった。いや、昼間も暗殺者の時だって多々あった。
***
アメリアは書類上は死に、毒の紳士ウィリアム・ライデッカーからエメという名前をもらった。
「毒殺するなら、まず毒を知らないといけないからね」
そう言って彼はよくエメに知らないうちに毒を飲ませた。食事や水に混入させて。「死なずについてきたら」の意味をエメはやっとこの時に理解した。
毒の症状に苦しむエメを横目に、ウィリアムは嬉しそうに語る。
「君には素質がある。大体皆、五種類目くらいで死ぬからね」
苦しむエメを興味深そうに観察し、何かに書きつけることもある。
「考えるんだ、エメ。どうやって彼女に毒を飲ませるのか。摂取させるのか。ヘビやハチが刺してくれるなんて思わないだろう? 紅茶に入れるのか? 化粧水に? 香水に? ガスで吸わせるか? 周囲の人間が犠牲になってもいいのか? 別に一発で殺す必要はない。じわじわと何年もかけて苦しみながら殺すのもいいだろう」
完全に異常な人だ。
対外的には医者を志す姪として、医者としてのウィリアムの診察についていって驚いたものだ。患者たちはウィリアムを信頼しきってる。ウィリアムはこのようにまずい発言はしないものの、医者である時も暗殺者である時もあまり変わらない。
彼は本当に人の懐に入り込むのが上手い。マインドコントロールでもされているみたいだ。
「毒とは毒物だけを指すのではない。何でも毒になりえる。言葉でさえも。最もいいのは愛の感情だろうね。あれは本当に毒に似ている」
体を毒にならし、毒の調合を教えてもらい、動物で実験する。そんな日々の繰り返しだった。
「さて、エメ。君が商会の息子に粉をかけているのは手に入りにくい薬草を融通してもらえるからだと思っていたよ」
「そうです」
「さっき、別れる前にキスまでしていたじゃないか。それほどの仲とは私も知らなかったよ」
いつも通り上品な笑みを浮かべて、でも威圧感を感じさせながらウィリアムはエメに問うてくる。
「見てたんですか」
「良く見えたよ。あの男の手が君の腰に回っているところなんかも」
「別に……目的のためです」
「そうかな? 街では君と婚約するんじゃないかってウワサもある」
ウィリアムの言葉にエメは顔を赤らめた。カールセン商会の商会長の息子であるパトリックとは確かに仲良くしている。最初はカールセン商会の扱う珍しい薬草欲しさだった。薬草は簡単に毒にもなりえる。でも、だんだんパトリックに惹かれていっているのは確かだ。
「そんなつもりは」
「君がそうでも、あちらがそうでないとは限らないよ」
「そこは大丈夫です」
「どうかな? でも、エメが彼と結婚したいというなら反対はしない」
もっと怒ってくれたらいいのに。なぜかエメはそんな変なことを考えてしまう。嫌だ、まるでこれではウィリアムの気を引きたいみたいじゃないか。パトリックはウィリアムとは正反対だ。誠実で優しくて。
「だって王太子妃を殺したいのに彼と結婚するなんて。復讐はどうでもよくなったということなんだろう?」
笑顔で言われて思わずカッとなって反論する。
「違う!」
「そうかな? デートにかまけて勉強もおろそかになっているようだが」
「それは……すみません」
「いいんだよ。君も年頃の娘だしね。恋の一つや二つするだろう。失敗は若いうちがいい。傷が浅くて済む」
「そんな言い方はないでしょ。まるで失敗するのが前提みたいな」
「エメ。知っているかい? 君のお母さんが亡くなったよ」
「え?」
「君は毒に慣れるのと勉強とでいっぱいいっぱいだろうから、黙っていたんだけどね。恋愛にうつつを抜かす暇があるなら伝えておかないと」
「嘘ですよね? だって罰金はなんとか払い終えて、借金も目途がついたはずで!」
「金銭面はそうなんだけどね。犯人は君のお父さんだよ。あぁ、もちろん逮捕なんてされていない。彼にはね、ずっと愛人がいたんだよ」
ウィリアムの言葉に寒気がしてくる。彼は基本的に嘘をつかないのだ。
「その愛人と一緒になるために何に乗ったと思う? ソーン伯爵の提案だよ。すべては仕組まれていたんだ」
「一体……何を言っているの?」
「栽培禁止植物の発見から。すべては計画されていたんだよ。君のお父さんもグルだったわけだ。君が娼館に母の代わりに行くと言い張り、頑張ってしまったから彼の計画は一部変わってしまったかもしれないが」
さっきまでパトリックと一緒にいて感じていた熱が冷めていく。浮かれていた気持ちに冷水をかけられた気分だ。
「さぁ、エメ。どうする? 君のお母さんはお父さんに殺された。お父さんは再婚してのうのうと幸せに生きているよ。彼の次のターゲットは君の弟かな? まだ新しい妻との間に子供がいないから大丈夫だが、子供が出来たら危ないのは弟だ。愛する人との子供を跡継ぎにしたいだろうからね。君の最初の獲物はお父さんにしようか。記念すべき初陣だ。美しく成功したらいいワインを飲もうか」
キュッキュッと洗った実験道具を拭きながら、ウィリアムは明日の天気くらい軽く話す。
「証拠は……」
「あるよ、もちろん」
打ちひしがれて床にへたりこんだエメを面白そうに眺め、実験道具を置いてウィリアムはかがんで視線の高さを合わせてきた。長い指がエメの顎にかかる。
「エメ、どうしたい? パトリックと結婚して平和に暮らしたいのかな?」
「いいえ」
「どんな気分だい? 恋に浮かれていたら母親が死んでいた気分は?」
触られて、問われて、ぞくぞくする。寒気なのか熱さなのかエメには分からない。ウィリアムは紳士的でミステリアスで、どうしようもなく危険な男だ。この男こそ毒そのもの。
悔しくてエメは震える。
「パトリックはそんなにいい男だったのかな?」
エメは首を横に振る。顎を掴まれているのであまり動けなかった。
「私とは正反対の男だね。彼はとても魅力的だよ。金持ちで優しくて顔もいい」
分かっている。パトリックとは年も近く、一緒にいてドキドキしたのは確かだ。でも、こんな風に胸が焦がされるような感情になったことはなかった。ぞくぞくもしない。さっきまでの感情なんて、熱さなんてこれに比べたら幼子のそれだ。
「どうしたい? エメ? 私の可愛い一番弟子。君はもうあんな目はしてくれないのかな? 王太子妃を殺したいと言ったあの目を」
「父を……殺します」
「パトリックはどうするんだい?」
「パトリックとは何ともないので。別に明日から会わなくても一切問題ありません」
「そうか。彼が邪魔してきたらどうする?」
「消します」
顎から指が離れる。名残惜しいようなホッとするような複雑な感情が渦巻いた。
「うっ」
急に、軽くだが吐き気が襲ってきた。
「駄目だよ、エメ。油断しては。皮膚から吸収される毒もあるんだ。反応が早くていい。まだこれは慣らしていなかったかな? 油断したらいつ殺されるか分からないよ」
ウィリアムは先ほどまでエメの顎にかけていた指をひらひら振った。
「さぁ、これまでの分の勘も取り戻そうか」
「っはいっ」
「いい子だ。解毒剤を早く作りなさい」
立ち上がって戸棚に向かう。
ウィリアムみたいな人は絶対に好きになってはいけない。分かっているのに、視線がいってしまう。頭を振って目の前のことに集中しようとする。
この六年であの女は王太子妃になった。まず、父を殺そう。弟を保護して……そしてあの女が王妃になる前に殺す。自分の家の罪をうちになすりつけて平然と生きているあの女を。