配信に向けて・上
顧問弁護士として今年度から合流した、美優希の祖母の幸子が尽力してくれたおかげで、労働基準監督署の許可はあっさりと通った。
四月一日電算はせっかくだからと、バーチャル配信者の環境記事を出す条件の下に、パソコンは提供されることになった。
バーチャル配信者はウェブカメラで表情をキャプチャーし、それをキャラクターに落とし込むことで、生きた二次元キャラクターとチャットを通して触れ合う事ができる為、ある時を境に爆発的な人気を博すようになった。
その代わり面倒臭い輩がわんさかいる。
「あの子たち、知っててあなたと私を誘ったのかしらね?」
会社の社長室で春香と一義は二人、三人のことについて話をしていた。
「俺はコーチとしてそもそもだろうが、お前はパティシエールだったから、お菓子作りを教えてほしいだけだと思うが」
「そうかもね。腕が成るわね」
結婚してから一年でパティシエールを辞めた春香は、現在社長秘書としてジャストライフで働いている。
会社でも一緒、家庭でも一緒は疲れないか、と両親から言われたのだが、だったら結婚しないと一蹴している。
春香が一義と結婚した理由は、そもそも一義を見ていられなかったからだ。幼馴染として昔から夫婦だのなんだのと言われ、仕舞いには一線を越えたこともある相手、それこそ再会する為に帰ってきているのである。
「おなかの中には赤ちゃんがいるんだから、ほどほどにしてくれよ」
「貴方が結構やってくれるから暇なのよ。それに、お菓子作りを学びたい女の子がライティング二課にいてね、撮影で作るのは彼女で新規サイトのライティングにも使うの。私はそばで教えるだけよ」
「さいですか」
四十歳になった二人、初妊娠で妊娠五カ月目の春香は、高齢妊娠と言われているにもかかわらず、気楽に考えられている。
今日は仕事で人と会っていたから出社しているが、何もなければ出社しない。なので、一義は家の事を代わってあげられており、春香は暇だと宣えるぐらいには気は楽なのだ。
「それより、新居の方はどう?」
「十二月には完成だ。家具の搬入が終われば美優希の誕生日にプレゼントも兼ねて引っ越しする。やっと優里の影が消える」
「そうね。今の家はどうするの?売却?」
「欲しい社員がいるから、その子に売却だ」
会社の立ち上げ時にアルバイトとして雇った女の子、中谷智美は二十八にしてライティング一課の課長だ。ライティング部門は一課と二課があり、事実上の部長でもある。
その智美は社内恋愛で映像制作部の部長、新井誠と去年結婚し、新居を探していた。
実は、新居の土地は智美の両親から売ってもらった。
智美はこの地元の人間で、土地の買収に情報で協力し、新社屋も彼女がいたから変えたようなものだ。
ある日、減反政策のあおりから智美に土地の相談を受けて、資金協力を裏に隠して個人売買を行った。現在の智美の両親は、一義のアドバイスで農業体験ができる宿兼食事処を経営し、軌道に乗っている。
これに関して智美は死ぬほどの尽力をした。一時は家族仲を悪くするほど、それがなければ百坪の土地は手に入らず、平屋建てもできなかった。しかも、美優希の校区を気にする必要もないと言う好条件である。
智美にはお礼と言う形で、時期が時期なので、土地と家屋の税金分だけと言う、ただ同然で引き渡す。
「結構時間かかったわね」
「二台分のガレージ付きの平屋だと、相応の広さがいるからな。外保管だと車が傷んで維持費が馬鹿にならん」
「分かるわ。直ぐ汚くなるもの。まぁ、これで心置きなく叫べるわね」
「施工したとはいえ、近所迷惑だからな。思いっきり楽しめる」
中心地に近い住宅街、美優希よりも優里の方が奇声を上げるので、当時はご近所に同情すらされていた。それくらいには良い人たちだ。智美たちが苦労しなくていいように、既に挨拶を済ませてある。
「そろそろ来るんじゃないかしら」
「初出勤日だな」
そう、今日は美優希たちの初出勤、配信まではしないが、映像制作部の協力の下に機材調整を行う。
七階から二階のスタジオへ移動すると、誠が一坪の防音個室を出入りして準備を進めている。
このスタジオは来月に終わる旧社屋の改装で、プロゲーミング部に変更となる。つまり、正式にゲーミングチームを立ち上げるのだ。
スタジオの維持管理は映像制作部だが、今日は部長の誠以外は特別休暇で出勤していない。
「社長」
「俺も手伝おう」
「ありがとうございます」
映像制作部は先日まで映画製作協力でほぼ毎日残業するほど忙しかった。誠に至っては昨日アメリカから帰国している。
「疲れているところ済まないね」
「大丈夫ですよ。社長が物品の搬入を終わらせて下さいましたし、正直なところ、部下と通訳が優秀で、実は何もしてないんですよね・・・」
そう言って誠は空笑いをする。
「通訳については知らんが、部下を育てたのは君だろう?聞いてるぞ?部長のノウハウが凄すぎていつ追いつけるか分からない、ってな」
「買い被りですよ。寧ろ私より才能ありますから」
そうは言っても、部長や課長とそれ以下では求められる能力が違う。
一義から見ても才能はそこそこだが、誠が最も輝くのはリーダーシップ、人を管理した時だ。それこそ、今回の残業に関して元から出ていた見積もり以上を覚悟していたら、見積もりの半分で決着をつけてきたのである。
誠は王道のノウハウを広く身に付けているだけで、深い部分では部下の方が上だ。
「これで終わりかな」
ウェブカメラの設置を終え、誠と一義は防音個室を閉めて椅子に座った。
プロゲーミング部となる為、防音個室は壁際に六つ設置されている。うち四つは美優希たち三人と一義が、練習配信で使用し、残る二つはスカウトでチームが増えた場合に使う。
また、この部屋や個室は基本的にプロゲーミング部が使う。現在成長中の配信者事業、その参入の為、配信者たちをスカウトできた時にも使用するから基本的なのだ。所謂事務所としてだが、それは旧社屋の改装が終わってからだ。
なので、美優希たちがプロに挫折してもいいように、アイドル配信者としての道を用意しておく為でもある。プロとアイドルは紙一重の部分もあり、アイドルとして人気が出るのなら、一義はそれを見逃すほど安くはないである。
「パパ、誠さん」
セーラー服にアルバイト用の社員証をさげて、三人はやってきた。今日と言う日に不安もなくワクワクで待っていた三人は、真純と涼子が付いている所為で、服がなければまだ小学生に見える。
「こんにちは」
「「「こんにちは」」」
挨拶を済ませて、それぞれの席へ案内する。
自分の席に自分のノートパソコン、荷物を置いた三人は嬉しそうな表情で席に着いた。
「梨々華ちゃんはまだかな?」
「梨々華は高校の文化祭で一時間ほど遅れてきます」
「そうか。急がなくていいから、交通事故には気を付けてくるよう、連絡を」
「分かりました」
梨々華も今日からマネージャーとして雇い入れる。今はスケジュール調整よりも、もっぱら配信や精神的なフォローが目的だ。
防音個室は意外と便利で、聞かれたくない家族との話や、他を邪魔しないように電話ができる。真純はさっそく空いている防音個室に入っていった。
「三人共、エントランスに有った機械に、社員証は通したんだよね?」
「「「はい、通しました」」」
「ありがとう。それが出退勤記録になるから、必ず通してね。通さなかったら、配信した時間以外の給料は出せなくなるからね。今から、二重記録にする為の手順を説明するよ」
「「「はい」」」
ジャストライフでは社員証に埋め込まれたICチップを、エントランスにある機械によって出退勤が管理される。失くした場合や忘れてしまった場合は、受付に言えば代わりの記録が行われる。
更に、パソコンに入っている勤怠管理ソフトでチェックが行え、チェックした印として、記録をコピーペーストするか、記入するかして別のデータベースに記録を残す。
二重にすることでリスク回避を行い、データベースから読みだして統合することで、給料算出されるので、出社をしないリモートも可能となっているのだ。
また、勤怠が視覚化されるので、自身の勤怠管理がしっかりでき、管理職も把握が容易になっている。
「おっけー、みんなできたね。それじゃ、とりあえずそこの一番の個室に集まって」
防音個室を使う場合、パソコンが起動している、正確にはモニターの電源に連動して、使用中ランプが光るので必ず確認する。
今は美優希たちしか使わないのだが、人が増えると他人も使うので、共用パソコンとしてアカウントの自動ログインは絶対にしないよう伝える。
「書類作業はこの中で行っちゃダメ、その代わり、宿題はさっきの席でやっていいからね」
「いいんですか?」
「他にすることがないならね、それじゃ、一旦さっきの席に戻って」
席に戻すと、それぞれ上着とズボン、スカートを配る。
社名とチーム名の刺繍が入ったポロシャツとダボパーカーで、配信時のウェブカメラの読み取りを邪魔しないようなデザインだ。
ズボンは紺色チェックのテーパード、スカートはクリームのロングフレアだ
「襟と袖のピンクのラインが可愛いかも」
「刺繍凄いのに硬くない」
「ゴワゴワしなくて着易そう」
「はいはい、着替えは会社に来て勤怠管理の作業をやったら、個室でやってね」
「「「はーい」」」
早速個室に入ると、美優希はポロシャツにロングフレア、輝はポロシャツにテーパード、野々華はパーカーにロングフレアの組み合わせで出てきた。
三人の中では身長が高い美優希、百七十と言う大人と変わりない高身長に、出るところが出ているので大人の雰囲気がよく出ている。ただ、そのツインテールは降ろした方がよい。
輝は兄の影響があるのか、ベリーショートの髪型と強調してこない胸も相まって、ベストを着せて一人称を『僕』に変えると人気が出そうだ。
野々華はロングフレアに着せられてしまっているが、パーカーとの凸凹感が年齢相応で、美優希とあまり変わらない高身長も相まって寧ろかわいいだろう。ただ、メガネは換えてあげるべきだろう。
「スタイリスト付けたら普通にアイドルとして売れると思いますよ?」
「よいしょする必要はない」
誠の言葉に苦笑いを浮かべるのは一義だけではなく、春香も真純も涼子も苦笑いだ。
「いや、お世辞に聞こえるかもしれませんけど、三人共素材がいいので、これは割と本気ですよ?バーチャル配信者はやめて、顔出しした方がいいと思います。伊達に映像制作部でモデルや俳優見てるわけじゃありませんよ?」
そこまで言われると、親の贔屓目もまんざらでなくなる。
「プロとして大会に出るなら話は別だが、当分先だから今はまだいい。俺たちの目の届かないところで特定凸されるのが一番怖い」
「あー、確かに」
声を出す以上気付かれるわけだが、特定力は顔出しに劣る。その為に、マイクはヘッドセットの物を使うのである。マイクは物によって録音後の音の正確性が異なり、再現する方の環境によって正確性が異なるので、意外と特定は難しい。
「確かに、人間の耳は高性能なようで低性能ですしね」
なので、自衛の為にも似ていると言われたら否定する約束だ。
それぞれの親がスマホで写真撮影を行っていると、輝が怒り出す。美優希が後ろから抱き着くと弟のように見え、同じように野々華が抱き着いても弟に見え、からかわれているのだ。
「このタイミングで言うのもなんだけど、配信の時は一人称変えてみないか?」
「え」
「からかうってことは、キャラクターとして似合っているってことだ。その方がキャラが立って人気が出る。プロにしてもバーチャル配信者にしても、人気が商売だ。強要はしないが考えてみてくれ」
「いいえ、やります。僕、でいいですか?」
「うん、それでいい、ありがとう。直ぐはできないから、しばらく練習しよう」
そうして、梨々華が来るまでは輝の一人称を変える練習をした。