8 パンケーキにバターと蜂蜜
「……パキラ」
「父様、母様。来てくださったのですね」
私の名前を呼び屈んだ両親の広げた腕へ飛び込むと、二人にしっかり抱き締められた。身じろぎも出来ない程だったが、そのまま暫し抱擁を受け取る。
「ダンジョンへ行くのか……。まだたったの五歳だというのに」
「父様、パキラは大丈夫です。きっと、きちんとお役目を果たして参ります!」
「本当は……っ、行ってほしくなどないの!特別な役目なんか要らない、普通の親子のように共に暮らして……」
「母様……」
申し訳ありません。母様。
きっと私が私のまま生きたいと望まなければ、少しは普通めいた暮らしがあったのかもしれません。
もっとも『私』の転生先である以上、神様が関わるのは必須なのでどう足掻いても平凡な人生は歩めないのでしょうが……。
「ただ普通の母と娘として暮らしたいだけなのに……!」
「…………」
それは私の前世が『私』である以上どうしようもないなと、ストンと心が冷える。
「……こら。パキラの顔が死んでいるだろう。この子を娘扱いするなんて」
「…………」
母に苦言を呈す父にも、冷えた目を向けざるを得ない。この後に続く思想は分かっているからだ。
「この子は息子となる筈だった子だ。お役目を終えたなら、きっとそうなる」
「私は男でも女でもないと、何度お伝えすれば良いのですか」
棘のある物言いになってしまったが、二人の心に私の言葉が響いた様子はない。
『今はそうね』『本当のお前は違うんだよ』そう繰り返すばかりだ。
両親との話で毎度着地し損ねる此の話題に私は内心大きな溜息を吐き出す。
これ以上のやり取りは、ただただ私が両親との溝を感じてしまうだけだ。
通いで遣いのお役目が果たせるよう神様に願うつもりだと両親を慰め、また昼頃出発前に会おうと二人を追い出……見送る。
まだ別れの挨拶が足りない様子の二人が潜る礼拝堂の扉から見た空は少しずつ白み始めていた。
「……疲れたでしょう、パキラ。昼になるまで休みますか?」
「いえ。いいえ、神父様。目が覚めてしまいましたから。神父様こそ、お疲れでは?」
私が無性として扱われたがっていると理解してくれている神父様が気遣わし気に向ける視線に、私も問いを返す。
私が起き出すまで人々の対応をしてくれていたのは神父様だ。きっとお疲れに違いない。
「そうですね……。一時間、いえ二時間ほど横になってきます。起きたらパンケーキを焼きましょう。今日はパキラの好きなバターと蜂蜜をたくさん乗せましょうね」
「!!いいのですか!」
バターも蜂蜜も平民からすると少しばかり高級品だ。
そもそも神へ祈りを捧げる我々はあまり贅沢などしていられない。好意で差し入れられるものを頂くこともあるが、基本的に畑で取れた野菜と、豆のスープ、固い黒パンを頂いている。パンにバターを塗るのは極まれなことだ。
更に言えばパンケーキを焼くのだってとっても珍しいことだ。更に更に言えばそこにバターと蜂蜜だなんて、極まれで珍しくってレアなことだ!
「今日はパキラのお誕生日で、お役目が始まる大切な日です。特別ですよ」
「ありがとうございます!神父様っ!お腹を空かせる為に、頑張って掃除をしてお待ちしてますね!」
一度真っ白なアルバから普段着に着替える為にパタパタと走って自室へ向かう。普段なら室内を走るなど行儀が悪いと叱られるところだが神父様は眩しげに私を見守り、休息に向かうのだった。
✴︎
礼拝堂、居住スペース、庭、水回り、小さな教会だが此処に暮らすのは神父様と私だけ。
いくら毎日まめに掃除したって、やることは沢山ある。
いや正直言うと五歳児と白髭を蓄える程年を召した神父様に掃除しきれる訳がない。何より神父様だって多忙なのだ。
基本的には自分たちで見える場所を掃除するが、一月に一度はクリーナップの魔法をかけてもらっている。
どうせクリーナップするのだから手を抜いても問題は無いのだが……、やれることは自分でやっておきたい。この考えは神父様も私も共通している。
夜中だか朝方だかに大勢が詰め掛けた礼拝堂の床を拭く。といってもモップで拭いて回っただけなのだが、五歳児の小さな体ではもたついてしまいどうにも時間がかかる。
漸く終える頃には、もう一時間が過ぎてしまっていた。
掃除道具を片付けていると音を立てて礼拝堂の扉が開く。もしやまた街の人が来たのかと振り返れば、イセン、ラナン、メリアの三人が立っていた。
大人たちに囲まれた後だからか、三人の表情が暗いからか、その姿はポツンと小さく見える。
「来てくれたんだ。ありがとう……、三人には挨拶しておきたかったから」
「いかないで」
私の言葉に被せ気味にメリアが呟く。普段我儘を言う時は喚くのに、今日は震える声で音量も小さい。
それでも静かな礼拝堂には大きく響いたように感じた。
「……行くよ」
「なんで」
「神様に『ありがとうございます』言わなきゃいけないから」
『私』を私として転生させてくれてありがとうと。
「あと遣いのお役目も果たさなきゃだし?」
「遣いの役目をついでみたいに言うなよ」
少し呆れたように言うイセンは、少し暗い雰囲気が薄れたように感じる。
ラナンとメリアは堪えきれなかったのかボロボロと涙を零して私にしがみついてきた。私も短い腕を伸ばして二人を抱きしめる。
イセンはそこに混ざらず、上からぐしゃぐしゃと私の頭を撫でた。
「……絶対、帰ってこいよ」
「残業無しの通い勤務を交渉してくる!」
「っひ、ひしょが必要になったらぁ!メリアがやるからぁ!」
「僕も……っ、えと、ゔ、僕……なんにもできない……っ」
「ラナンは初歩魔法がもう使えてるじゃん、……すごいよ」
この世界には魔法がある。だが扱える魔法には個人差があり、運動などと同じように得意不得意が出てくるのだ。
私とイセンは魔法はからっきし。メリアは炎属性魔法が少し使えて、ラナンは全ての魔法の初歩魔法を扱える。得意魔法はまだ何か分からないようだが、子供の頃から初歩魔法を自在に扱える人間はそうそういない。
いずれは王都の学園へ通うことになるだろうと、もっぱらの噂だ。
中々泣き止まないメリアを礼拝堂の椅子に座らせ、その背中をイセンが軽く叩いている。気付けば私もいつの間にか目が潤んでしまっていたようで、慌てて目を擦った。
子供たちよりは大分精神年齢が高い筈の私だが、今日は許してほしい。何せ、こうして別れを惜しまれた経験は少ないのだから。
「今日のお昼にダンジョンへ潜るんでしょう?大人たちが、話してた」
「……うん」
「ええと。頑張って、ね」
「うん!」
「無理だったらすぐ帰って来いよ!パキラなら俺が商会で雇ってやるからな!」
「やとぅ……、のはっ、パパでしょ!」
ラナンとの話しに混ざるイセンの声は明るく、メリアもだいぶ調子が戻ってきたようだ。
私たちは神父様がパンケーキが出来たと呼ぶまで四人でお喋りして、ささやかながら誕生日を祝ってもらえて、駆け回って、転んだメリアがまた泣いて、四つ葉のクローバーを探したが見つからなくて、別れの時を目一杯遊び尽くす。
遊んで騒いでいる声が届いていたらしく神父様は三人の分もパンケーキを用意してくれていて、私は大好きな育ての親と友人に囲まれ出発前の腹ごしらえをすることが出来たのだった。