35 開いたままの扉
昨日投稿できませんでした…!この後7月中は毎日投稿致します!
帰路、なんだか私は気分が良かった。恋愛との縁が希薄な私でも察せる程の熱視線をワンさんに向けるターニャさん。自分がその恋路を少し応援出来たのでは、と浮かれていたのだ。
ワンさんの方はどうか分からないが、とりあえず作業場へ通う中で親密な相手はいなかった。弟子のチェンとは仲が良いが、あれは師弟、家族愛のようなものだろうと思う。
もしこれがきっかけで二人が良い仲になったら、そう妄想を広げては緩む顔を晒しながら私は作業場へと駆けた。
この話を早くチェンに伝えたかったからだ。
作業場とターニャさんの店はそう遠くない、子供の足でも走れば数分で到着出来るくらいだ。
とはいえまだまだ体力の足りない私の体で走り続ければ息切れをするのは必須で、作業場前の砂利を踏み締める頃に歩きに切り替えて息を整えにかかる。
もう一呼吸二呼吸整えてからチェンに鍵を開けてもらう為に呼び掛けようと作業場の扉を見て、私は吸った息を吐き出し損ねた。
作業場の出入り口が人一人分くらい開かれていたからだ。
「……ッ」
チェンもワンさんも防犯には気を配る方で、仮に外に用事があったとしても鍵を掛けて出る筈。扉を開けっ放しというのは、ワンさんが居る時でもあまりなかったように思う。
まさか木彫り泥棒が、と私は息を殺して作業場内の様子を探ろうと中に入らないまま目を凝らす。
すると、凝らすまでもなく扉の正面すぐのところにチェンが立ち尽くしていた。
「……チェン?」
どことなく顔の赤いチェンは応えない。
意を決して作業場内に踏み込むがそこにチェン以外がいる様子もなく。そもそも泥棒が居たのならば、砂利を思い切り踏み締め歩いて来た私に気が付かないわけがないかと少し警戒を解いた。
扉を閉め、私はチェンの腕を掴んで揺する。
「チェン、……チェン!」
「んおっ!?……あ、パキラ……?」
「どうしたのさ、扉開けっ放しで」
何度か腕を揺すって漸くチェンは私を視界に捉えた。まるで再起動でもしたみたいだ。
それから辺りを見回し始めるが、どこかまだぼんやりとしている。
私は椅子を二つ持ってきてチェンを座らせ、自分も正面に座った。
「あー、悪い。なんでか、すげえ惚けちまった……」
「風邪でも引いた?」
「いや、違う。人が来て……」
「人?」
人が来て、惚ける?
話の流れが読めずに私は首を傾げた。まさかその人に薬か何か嗅がされてぼんやりしているとか……?
私はワンさんの作品が置いてある一角を見る。だが、其処には出発前と変わらぬだけの木彫りがあるように見えた。
薬を嗅がされてその間に作品強奪、の線はなさそうだ。
「人っていっても、来たのは女の子だよ。パキラと同じくらいの。それ以外は何もない」
「なんだあ」
それで何故チェンの様子がおかしかったのかは分からないが、子供が訪ねて来ただけなら事件性は無さそうだ。
やはり風邪か、作品作りに熱中し過ぎて体力が切れかけてぼんやりしてしまったのかもしれない。
「ワンさんに制作依頼とか?」
「いや。……あの猫を売って欲しいってよ」
「猫?」
『あの猫』と指さされた先には、私が初めて木彫りで作った猫が二つ並んでいた。
近くにそれ以外の猫モチーフの作品はなく、ワンさんの作った見本の猫も其処には置かれていない。
「……私の作ったやつを?」
「そうだ」
「なんで?」
「……分からないな」
ここでお世辞でも此の猫が『良作だからだろう』と答えない素直さはチェンの長所である。短所とも言えるが。
私自身、自分が作った愛着を差し引いてしまえば此の猫は素人が作った作品だと分かってしまう。
その木彫りの猫を欲しがる?
私は首を傾げ、女の子と顔を合わせた筈のチェンも同じく首を傾げていた。




