幕間=過去1=
――時は遡り数年前。
当時の龍臥はまだ今よりも幼く、小学生高学年程度だった頃だ。
「ただいま〜」
元気よく家の扉を開け、帰宅の言葉を出す。彼の視線の先には、ショートカットで勝気な目つきをしたボーイッシュな女性、鳳怜奈がいた。
「お帰り、龍くん」
愛する我が子を慈しむような目で近づいてくる彼の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「学校はどうだった? 楽しいことはあった?」
「授業だけは平穏に過ごせたけど、同級生と喧嘩になった」
こりゃ物騒だな、と怜奈はしゃがんで目線を龍臥に合わせる。
詳しく聞けば母親しかいないことを同級生が多人数でからかってきたことが原因らしい。
これに怜奈は心が傷む。世間から見て片親だけの子どもは色眼鏡で見られてしまう。加えて子どもたちは親を見て真似することもある。
今回はまさにそういう例だったのかもしれない。けれども、龍臥は「間違ったことはしてないもん」とでも言わんばかりに堂々としていた。
「龍くん、大きな怪我とかはない?」
「ないよ。全員返り討ちにしたし、あいつら口ばっかりだったもん」
「そっか。でも喧嘩はしないでほしいな。怪我してなくても、母さんは心配しちゃうから」
「うーん、それは難しいと。俺が何か言われる分には別にいいんだけど、母さんのことをからかわれるのは……すごく嫌だ」
「龍くん……」
「俺に父さんはいないけど、一人で頑張って俺を育ててくれてる母さんは大事だし、大好きだもん」
その一言に、怜奈は救われた。
龍臥は恥ずかしそうにしていたが、本心で言っていることがその眼と口調でわかる。
自分には過ぎた子どもで、嬉しさのあまり思い切り彼を抱きしめた。「きゅ」と龍臥は小さな声をあげるが、黙ってされるがままになる。
「ありがとう、龍くん。母さん本当に嬉しいよ」
「ど、どういたしまして?」
「……でもやっぱり喧嘩はしちゃだめだぞ。やっぱり心配しちゃうからね」
「……でも」
「母さんはその気持ちだけで十分だよ」
よしよしと頭を撫でる。心根が優しく育ってくれていて親として誇らしい。
学校で暴力を振るってしまったということは気がかりではあるが、その根っこが優しさからくるものだから全否定はできない。
「龍くん、約束だ。母さんのことをなにか言われても怒っちゃダメだ」
「う〜……わかったよ。頑張ってみる」
「よろしい! さ、今日は龍くんの大好きなカレーを作ったからいっぱい食べて、それで気持ちを切り替えよう!」
「カレー!」
子供らしい笑顔を浮かべる龍臥をみて、怜奈は安心する。
自分の可愛い息子が幸せに過ごせるように、がんばらないといけないなと改めて意識する。
(龍くんは父親の顔を知らない……それはオレのせいだ。あの人は責任を取るって言ってくれたのに、オレが逃げたせいだ。だから、この境遇にはオレが責任を持たなきゃいけない)
両親に頼ればいいのかもしれないが、妊娠して大喧嘩して以来連絡を取ることができなかった。それは怜奈の意地みたいなものもあるかもしれない。
幸い今は大きな問題なく過ごしているが、今後になにがあるかもわからない。
それに、怜奈は龍臥にも隠しごとをしている。その秘密は、命にもかかわることだ。
――夜中に現れる怪物、妖魔を殺している。
絵空事のような、子供に対する躾話に出てくるような存在。他人に話せば笑われるようなことであるが……現実に現れている存在だ。
それを知ったのは怜奈がまだ学生時代の頃だった。
一瞬でその殺気と恐怖を一身に味わい、身がすくんで動けなくなった。だが、奇跡的に助かった。
怜奈を助けたのは、ボロボロの男性だった。
何に逃げていたのか、あるいは立ち向かったが故の傷だったのかはわからない。その男性は記憶がなかった。
だがその男性によって助けられ、そして戦う力をももらった。
――人にはない力を手に入れた。ならばその力は誰かのために使うべきだ。
それが彼女の考えだ。その上で、今はさらに大切な息子がいる。
であれば、少なくとも自分の目が黒いうちは怪物に好き勝手はさせるわけにはいかない。
(でも、準備だけはちゃんとしなくちゃな)
そう考えつつ、夕食の準備をする。
そして一緒にテレビを見て、話をして、布団を敷いて寝る。
龍臥が寝ついた頃に、怜奈は起こさないようにして装甲兵器である愛用のネックレスを巻き、妖魔を殺しに向かった。
全ては自分の愛する息子のために。
そうしてさらに半年ほどの月日が経った。