束の間の
先日のサソリ女との戦いから数日が経った。
あの日以来、日課の妖魔探しで獲物は発見できなかったが、それはそれで平和なことなので喜ぶべきことだろう。
炎さんも優先順位は守ってくれているようで、今のところ千代さんを奪取しようとする動きは見せてこない。これも重畳である。
が、当の千代さんは窓を見てため息をついている。
「千代さん」
「へぁっ!?」
肩に手を置いて声をかけると素っ頓狂な声をあげる。恥ずかしかったのか顔を赤らめて「はうはう」と口をモニョモニョしていた。なんだ、この可愛い生き物。
「なにか実家関連以外の悩み事でもあるの?」
「い、いえ。そういうことでは。ただ今まではここまでのんびりとさせていただいたことはないので」
「のんびりできてるなら嬉しいね。家事とかやってもらっておいてなんだけど」
言うほど彼女に精神的ゆとりがあるのか、とは思わなくもないが。
彼女からしてみれば数日前のことが消化されているのかもしれないが、俺個人としてはまだ終わりではない。
あのサソリ女を妖魔にしたのは間違いなく、母さんを殺した妖魔のことだろう。
母さんが命がけで重傷を負わせ、逃げ去った妖魔。人語を解し、かつ人間の姿形を持っているおまけ付きだ。
まだ存在しているということがハッキリわかった、葉山の敵討ちついでにこの情報を得られたのは大きい。だが人間の姿形を得たというのはどういう経緯なのだろうか。その部分はハッキリ言って意味がわからない。
だがこれだけでも危険性の上がり方は段違いだ。人の姿になれるというのなら、人間社会に溶け込むことすらも容易であると推察できる。
だからこそこの数日他の妖魔が姿を見せないと言うことには違和感がある。
この状況はもしかしたら嵐の前の静けさ、というやつなのかもしれない。
「主人様?」
「ん、何?」
「眉間にシワがよっておられます。主人様も悩み事があられるのですか」
「うん。あるよ。でも千代さんには話せないかな」
彼女を匿っているのは俺の都合。そして俺が例の妖魔を探しているのも俺の都合。
前回は千代さんが無理やりついてきちゃったけど、俺は彼女に妖魔狩りを手伝ってもらう気はない。
元々命がけの任務が嫌で、知らない誰かのために戦うのが嫌だった彼女に都合のいい時だけ手伝ってもらおうなんていうのはお門違いにも程があるだろう。しかも家事全般はやってくれているんだからそれだけで千代さんは十分以上に助けてもらっている。
ぽん、と彼女の頭に手を置いてなでる。赤い顔をさらに真っ赤にさてこれまた可愛い。
「あ、主人様!?」
「気をつかってくれてありがとう。それだけでも俺は十分に幸せな気持ちをもらってるから本当に嬉しいよ」
いつまでこの生活が続けられるかわからない。
この世の中、表面上はとても幸せに見えるがほんのささいなところで地獄のような場所に早変わりだ。一体何人の人間が妖魔の糧となり、被害者遺族にどれだけの無念が募っているのだろうか。
今でも失踪者扱いで、戻らない家族を待ち続ける人がたくさんいる。世間的には悪人である人間も含めて数えきれないだろう。
だからこそ治安維持のため炎さんたちのような忍者もいるわけだし、母さんのような人もいたわけだ。
きっとこの時間だって奇跡のようなものなんだ。ほんの少し、どこかの歯車がずれただけでこうなっていなかっただろう。
俺があの日、あの場所で妖魔を胎児していなかったら。そもそも千代さんが抜忍となっていなければはじまり得ないことだった。