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12.さらば新潟

 練習試合が終わると、余った時間で合同練習が行われた。

 都立にとって、強豪校との練習は貴重な経験となる。

 短い時間ではあるが、充実した一時を送る事ができた。


 その中で、俺は新潟明誠のエース――新村に、ある事を尋ねてみた。


「もし良かったら、ナックルの投げ方を教えてくれないか?」


 ナックルの投げ方である。

 キチガイの木田や、得体の知れない相沢には、分かっていても打てない球が必要になる。

 そう言った意味では、この球は選択肢としてナシではない。


「いいけど、まだ投げるんだ」

「俺は5回しか投げてねーしな」

「そうだけど……都会っ子は元気だなぁ」


 西八王子は都会じゃないけどな、とは言わなかった。

 ちなみに、新村は発音に訛りがある。どうやら生粋の新潟県民らしい。


 それから、新村にナックルの投げ方を教わった。

 無回転の球を放るのではなく、気持ちトップスピンを掛けに行くのがコツらしい。

 それと、リリースでバレる事を恐れず、ナックルを投げる事だけに集中すると良いと語った。


「……言われなくても分かるんだけど、これは酷いな」

「うーん、これじゃあホームランボールだなぁ」


 そして――試しに放ってみたナックルは、あまりにも酷い出来だった。

 1日で投げられたら苦労はしない。という事で、新村に1球だけ投げて貰って、恵のアイフォンに動画を収めた。

 ちなみに「上から投げた方が良い」とも言われたが、ここに関しては譲歩しなかった。


 そんな感じで合同練習が終わると、そこから先はいつも通り。

 ただ一つ違う点を挙げるなら、夜の駐車場に野本と渡辺も現れた事だった。


「いやぁ、昨日まではお腹一杯で動けなくて……」


 野本はバットを振りながらそう語った。

 そう言えば、彼は先陣を切って「沢山食べよう」と言った割りには、食事ペースは中々に遅かった。

 合宿5日目にして、ようやく食事に慣れてきたのだろうか。


「今日は打てなかったしね。それに、姫子にも言われちゃったし」


 渡辺がバットを片手に言葉を続ける。


「彼女と何かあったのか?」

「準々決勝の後、帰ったら姫子が凄い怒っててさ。次みっともない試合見せたら別れるって……」


 そう言う奴はだいたい別れないぞ、とは言わなかった。

 渡辺の場合、問題なのは守備の方だけど、やる気になっている所に水を差す必要はないだろう。


 下位打線の4人は最後まで来なかった。

 近藤は部屋で筋トレしているのだろうけど、他の3人はどうだろうか。


 別に、今すぐに変わって欲しいとは思わない。

 ただ何時かは「このままじゃダメだ」と気付いて欲しい。

 そうでないと、絶対に後悔する事になるから。


 現役選手で俺だけが知っている。

 最後の夏を終えて「もっと頑張れば良かった」と後悔する感覚を。





 合宿六日目。午前中には練習を切り上げて、東京に帰る事となった。

 民宿を営む中年夫婦に見送られて、6日間過ごした拠点を後にする。

 選手達はすっかり疲れていて、小出ICに着く頃には、その殆どが眠りに就いていた。


「うひょ~、間に入りてぇ~」

「邪道すぎんだろ。これはこのままでいいんだよ」


 そんな中、俺と鈴木が言葉を交わしていた。

 目の前では、恵と卯月が肩を寄せあって眠っている。

 うん、素晴らしい眺めだな。琴穂が一番可愛いけど、この組み合わせにはまた違った魅力がある。


「おまえら元気だなあ。つーか運転中に席立つなや」


 畦上先生の指摘が突き刺さり、俺達は仕方がなく席に戻った。

 ちなみに、鈴木とは通路を挟んで隣同士。窓側では琴穂が眠っている。

 正直なところ、その寝顔を一生眺めていたかったけど、俺は鈴木に視線を向けた。


「なあ、鈴木は何で富士谷に来たんだ?」


 ずっと気になっていた事がある。

 彼は何故、富士谷を選んだのだろうか。


「そりゃー、女神さまに勧められたからに決まってるっしょ!」

「えぇ……そんな理由で強豪からの誘いも蹴ったのかよ……」


 呆れながら言葉を返すと、鈴木の表情が少しだけ曇った。


「いや、どこからも誘われてねーよ。俺、ずっとBチームだったし」


 そう言えばそうだったな。

 彼はかつて「Bチームで不動の4番だった」と語っていた。

 ただ鈴木の実力であれば、強豪シニアでもAで中軸を打てるし、強豪高校でも1年秋から主力になれる。

 つまり、何かしらの理由で隔離されていたという事だ。


「……不祥事でも起こしたのか?」

「草交酒揃ってた感じだな~」

「走攻守みたいに言うのやめろ」


 煙草、性交、飲酒か。

 まあ性交は厳しく言うつもりは無いし、他も今は絶っているのなら良いけれど、本当に印象通りの人間だな。


「いやー、けどマジで後悔してるわ。婆ちゃんと爺ちゃんもスゲー悲しんでたし」

「そこは両親じゃないんだな」

「そりゃー、両親はもういねーからな~」


 その瞬間、バスの中が静まり返った。


「わ、悪い……」

「いいって。別に死んだ訳じゃねーし」

「聞いていいか?」

「母親は浮気相手と消えて、父親も俺達を残して家を出てったわ。ひでえ話だよなぁ」


 そう語った鈴木は、何時もより少しだけ真剣な表情をしていた。


「だからさ、俺んちスゲー貧乏なんよ。私立なんて特待じゃねーと入れねーし、けど俺に声なんて掛からねーし、ガチでやる野球は終わったモンだと思ってた」

「その矢先、女神ゴッコをした恵が現れたと」

「いえす!」


 俺が言葉を返すと、鈴木は顔を上げて親指を立てた。


「こんなクソ野郎にも、もう一度だけ野球をガチるチャンスをくれたんだから、恵ちゃんにはマジで感謝してるわ。

 だから甲子園に連れてってあげてーし、俺も何時かはプロに入って、婆ちゃん達や妹達を楽させてやりてーな……なんてなっ!」


 鈴木はそこまで語ると、何時ものようにヘラヘラした表情を見せた。

 中距離打者で一塁専の鈴木がプロは無理があると思うが、それを指摘するのは野暮というやつなのだろう。


 少しだけ鈴木の事が分かった気がする。

 彼はチャラチャラしているが、意外と祖父母や兄弟想いの人間のようだ。

 やけに手慣れたマッサージも、普段祖父母にやっている事だとしたら、一概に邪悪の化身とは言い切れないのかもしれない。


 そんな事を思っていると、俺の肩に何かが当たった。

 琴穂の頭だった。好きな子に寄り掛かられる感覚は、控え目に言っても最高だった。


「かっしー」

「なんだよ」

「けどセックスだけは譲れねえわ」

「このタイミングで言うのやめろ」


 俺は「問題だけは起こすなよ」と言葉を残して、少しだけ琴穂に寄り掛かった。

【お知らせ】

私事で大変申し訳ないのですが、冬季は執筆に割ける時間が少ない為、12月1日から暫くは2〜3日に1話の更新となります。

できる限り次回の投稿日は告知します。また、余裕ができたら日刊更新に戻します。

決して飽きたとかネタ切れだとかでは無いので、そこはご安心ください……!

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