10.女神さまは一人じゃない?
▼合宿四日目 練習試合
富士谷5―4大出
富士谷5―5中越後
中越後7―3大出
中越後高校との練習試合。
俺は暴投で1点を失うと、左の5番打者とは勝負を避けて、6番の右打者と勝負した。
6番から9番までは全員右打者だった事もあり、後続は難なく抑えて堂上に交代。
堂上は2回を完封すると、3人目の島井さんは5回4失点の投球を披露した。
島井さんは肩だけは無駄に強い事もあり、最速137キロのストレートを放つ事ができる。
それ以外は大した事ないものの、都立の三番手としては十分な投手と言えるだろう。
打線に関しても、相手を考慮したら及第点だ。
計11安打の5得点。俺も暴投を撤回するツーランを放っている。
また、一人増えてしまった下位打線に関しても、以前よりは前に飛ぶシーンが目立った。
やはり、相手から3年生が抜けたのは大きい。
三試合目は関係ないので割愛。
というか、富士谷から審判を出す必要も無かったので、俺達は三試合目の途中で宿に帰る事となった。
そこから先は今まで通り。
風呂、飯を済ませて、俺は駐車場に向う。
ただし今日は素振りではない。グラブとタオルを持って、窓ガラスの前に立った。
正史でも経験しなかった、左打者に対してのイップス。
夏に打ち込まれた結果、自信とのギャップで発症したのだろうけど、これは一刻も早く改善する必要がある。
明日は全国区の強豪・新潟明誠との練習試合。そして9月からは秋季大会のブロック予選が始まる。
こんな所で躓いてる場合じゃない。
「……わかんねえな」
左打者を想像してシャドーピッチングをしてみる。
ただ、フォームに違いは感じられない。もっと精神的な部分からくる物なのだろうか。
困ったな、理論的な解決策が見あたらない。
「よっ、悩んでるな」
ふと、後ろから女の子の声がした。
この男勝りな感じは――。
「……卯月か」
振り返ると、橙色のサイドテールが特徴的な少女が、何故かグラブと硬球を持っていた。
「キャッチボールしようぜ」
「いいけど、どういう風の吹き回しだよ」
「まあ何でもいいじゃん。それに――あの二人じゃできないだろ?」
卯月は静かに目を閉じて、親指で二階の窓を指す。
その先では、恵と琴穂が窓から乗り出して、そわそわしながら此方を見ていた。
車の少ない駐車場で、俺達はキャッチボールを始めた。
卯月は野球経験者とはいえ女の子。怪我させる訳にはいかないし、正直に言えば左打者よりも投げ辛い。
俺は暴投しないよう、置きに行くように球を放った。
「もっと普通に投げていいよ」
「おいおい、危ないぞ」
「大丈夫、任せてくれ」
卯月はそう言ってボールを返す。
スナップが効いていて綺麗なフォームだ。球筋も悪くない。
続けて、俺は力を入れてボールを投げるが――。
「やべっ……!」
放ったボールは、指に引っ掛かってショートバウンドになってしまった。
しかし、卯月は綺麗なグラブ裁きで捕球すると、流れるような動きで返球する。
「上手いな」
「だから大丈夫だって言ったろ」
再び投げ返したボールは高めに浮いたが、卯月は体を伸ばして捕らえた。
「そんなに上手いなら、ソフトなり軟式なり続けりゃ良かったのに」
「……私が行きたかったのは甲子園だからな」
強めの返球がグラブに収まる。
卯月は少しだけ寂しげな表情を見せた。
「なるほど。女子は出場できないから諦めたって事か」
高校野球において、女子選手の登録は許されていない。
稀に選手として入部する女子もいるが、出場できるのは練習試合まで。
結局、公式戦が近くなると、マネージャーの代役をする場合が多い。
「いや、それでも最初は続けるつもりだった。私が3年生になる頃には、いろいろ変わってるかもしれないしな」
2年後どころか10年後も規則は変わらないぞ、とは言わなかった。
「じゃあなんでまた」
「それは――」
俺は理由を聞くと、卯月は淡々と語り始めた。
※
私――卯月夏美と野球の出会いは、小学2年生の頃まで遡る。
私の家族と親族の間では、長期休みの度に集まる風習があった。
大人達は昼から酒を飲み、子供達は年の近い者同士でグループを作る。
その中で、私は同じ歳の圭太(野本)に加え、華恋という女の子と遊ぶことが多かった。
集まりがある長期休みの一つとして、夏休み、もとい盆休みが挙げられる。
この時期になると、大人達はビールを片手に、テレビで甲子園を見ながら騒いでいる事が多かった。
「ねぇ、私達もあれやろうよ!」
そんな両親や親族の姿を見た私は、あのTVの向こう側に入る事を望んだ。
私達が甲子園で活躍すればみんな喜ぶと思った。それ以上に、必死に白球を追う選手達が、私にはとても輝いて見えた。
私達は家が近い事もあり、同じ野球チームに所属し、やがて日野東中学校に進学した。
小学生の頃は「女のくせに」と馬鹿にされる事も多かったが、日野東は伝統的に女子部員を受け入れていて、私達も難なくチームに馴染む事ができた。
ちなみに、圭太だけは最初は強豪ボーイズに入ったけど、訳あって野球部に合流する事になった。
日野東は決して強豪ではないが、弱小という訳でもない。
その中で、私は運動神経が良かった事もあり、併用ながらも1年秋から試合に出場した。
やがて2年秋を迎えると、不動の2番ショートとして、女子部員ながら主力を任された。
強豪ではない日野東だが、私達の世代は少しだけ強かった。
強豪ボーイズから転籍してきた圭太に加え、軟式で120キロ出せる左のエース。
そして、左の軟投派である華恋がいた事もあり、最後の大会では奇跡的に地区予選を突破して、都大会出場を果たした。
この頃の私は「女子でも通じる」だとか「男女は関係ない」と思っていた。
今思えば勘違いも甚だしい所だが、女子野球選手の第一人者になった気ですらいた。
今は規則の壁があって甲子園には出れないけど、私達が高校3年生になる頃には、きっと女子選手も出場できるようになっている筈。
そんな根拠のない自信を胸に、高校でも続けるつもりでいた。
そして迎えた都大会初戦――相手となったのは、堂上剛士を擁する強豪・上落合中学校だった。
結果から言うと、チームとしても個人的にもボコボコにされた。
堂上の一打席目、彼が放った痛烈なゴロは、唸るような音を奏でながら、私が守るショートに飛んできた。
今までに見たことの無い、凄まじい打球だった。
軟式なんて当たっても怪我はしない。頭では分かっていても、体が勝手に避けようとして、挙げ句に避けきれず脇腹に当たってしまった。
「な、夏美! 大丈夫か!?」
「ああ、大丈夫。捕れなくてごめん」
心配するセカンドを適当にあしらったが、私の体は小刻みに震えていた。
凄く痛かった。それ以上に、これが硬式だったらと思うと、怖くて仕方がなかった。
打席にしてもそうだ。
堂上から放たれる130キロ超の荒れ球は、全く打てる気がしなかったし、バントする事すらも儘ならなかった。
最終的にはフルカウントから死球を浴びた。もう打席に立ちたくないとすら思わされた。
そして――我らが自慢のエース様も、同じ女子選手の華恋も滅多打ちにされた。
守備も動揺してミスが続いて、もはや試合になっていなかった。
9点差となった所で、三番手である私がマウンドに呼ばれた。
打者は奇しくも堂上。アンダースローから放った一球目は――。
ボコーンッ!
「……ホームラン!」
ビヨンドバットに弾かれた打球は、柵の遥か向こう側へと飛んでいった。
超特大のスリーランホームランで12点差となり、3回コールドが成立。
奪ったアウトは6個、此方のヒットは圭太の1本のみと、圧倒的な力の差を見せつけられた。
私はこの試合で確信した。
規則が改善された所で、女子選手が甲子園に出場する事はできない。
いや――そう断言するのは、高校でも続けている華恋や、全国の女子選手に失礼かもしれない。
ただ少なくとも、私が甲子園に出場する日は絶対に来ない。
そう確信して、卯月夏美という少女は野球を辞めた。
※
卯月は語り終えると、俺――柏原竜也に向かって、弱々しい球を放った。
「つまり、通用しないと思って辞めた訳か」
「ああ……情けないけど、そういう事だな」
グラブで白球を捕らえるが、俺は投げ返さない。
代わりという訳ではないが、一つ疑問を投げ掛けてみた。
「じゃあ、なんで富士谷を選んだんだ? マネージャーとして甲子園を目指すなら、もっと強い所があっただろ」
それは、かつて卯月に聞かれた事のオウム返しだった。
私立は学費が掛かるにしても、彼女の地元である日野市には、都立の強豪・比野高校がある。
偏差値も富士谷と変わらないので、わざわざ此方を選ぶ理由も無いだろう。
「……本当は、マネージャーもやるつもり無かったんだよ」
卯月は瞼を下げて、少し寂しげな表情で答えた。
「ほら、富士谷って校則が緩いから、髪とか服装もあんま言われないだろ。高校ではオシャレな女の子になりたいなーって」
彼女はそう語ると「まあ、圭太の応援くらいは行くつもりだったけどな」と続けた。
「じゃ、なんで野球部に入ったんだよ」
「堂上だよ。偶然にも同じ学校で同じクラスだった――私の心をヘし折ったアイツが、野球部には入らないとか言い出してさ。それが何か悔しくて……無理矢理にでも入れてやろうと思って」
「なるほど。野球部に誘うのに、お前が野球部じゃないのは可笑しな話だもんな」
「そうそう。だから、私も入るからお前も入れみたいな感じで、最初は連れ出そうとしたんだよ」
ようやく、卯月が野球を辞めた理由と、マネージャーを始めた理由が繋がった。
俺は彼女にボールを放ると、鮮やかな動きで返される。
「昨日は琴穂に乗せられたみたいになったけど……私も甲子園に行きたいし、このチームなら行けると思ってるぜ。
だって……私をボコボコにした堂上と、その堂上よりも凄い奴がいるからな!」
最後に、卯月はニコッと歯を見せて笑った。
稀にだが、ピッチャーに対して「誰の為に投げているのか」と聞く人間がいる。
勿論、それは自分も含めた様々な人の為に投げているのだが、強いて一つ挙げるとするなら「バックを守る仲間の為」だとか「育ててくれた家族の為」と言う人が多いのではないだろうか。
富士谷には三人のマネージャーがいる。
父親の為に体を張る恵がいて、兄の代わりに甲子園を目指す琴穂がいて、選手としては夢破れた卯月がいる。
彼女達はグラウンドに立てない。それでも、彼女達は選手と同じように、甲子園を目指している。
俺は――チームを支えるマネージャー達の為に、この右腕を振るいたい。
「……ナイスボール。いい球投げれんじゃん」
最後に放った一球は、卯月の小さな胸元に吸い込まれていった。
長かった合宿編もあと少しで終わります。