8.女神さまの正体
かつて俺の前に現れた自称女神は、神でも何でもなく、ただの監督の娘だった。
個人情報を何処で手にしたのかは知らないが、俺を富士谷に呼ぶ為に、死力を尽くして調査したのだろう。
しかし、死力を尽くしても知り得ない情報がある。それが未来の情報――則ち、俺が酷使で壊れるという事実だ。
「なぁ瀬川。なんで俺が酷使で壊れる、って予言できたんだ?」
練習の帰り、たまたま電車で一緒になった瀬川にそう尋ねた。
「んー、ただの勘」
「嘘だな。正直に言えよ」
はぐらかす彼女に、俺は再度尋ねる。
勘であそこまで的確に当たるはずがない。俺の予想が正しければ、彼女は――。
「仕方ないなぁ。それはね、私も柏原くんと一緒だからだよ」
そう、俺と同じ転生者。
未来を知る彼女は、その知識を利用して「女神ゴッコ」を仕掛けたのだ。
「なんで俺が一緒だってわかった?」
「だってあの日……泣いてなかったからね」
あの日――と言うのは、彼女と最初に接触した日だろう。
本来ならば、俺は進路を拒絶されて泣いていた筈だった。けど真剣に悩んでいた。
「なるほどな、転生前は会った記憶がねーけど」
「本来の歴史……正史では話しかけてないからね~、怖くなって逃げちゃった」
「って事は、正史でも女神ゴッコしようとしてたのかよ……」
「えへへ~、まあね。のもっちと堂上は正史でも誘ったよ。今と違って、もっと情に訴える感じだったけどね」
呆れる俺に、瀬川は笑顔で返した。
のもっち……野本の事か。未来の記憶抜きでも勧誘するあたりは、流石のコミュ力と言った所だな。
「じゃ、鈴木は本来いない選手か」
「鈴木くんに付いてきた渡辺くんもね」
「へー。なんで誘ったんだ?」
「えっとね、正史で対決した八玉双志高校で、一人だけ別格だったのが鈴木くんだったの」
「そこ東東京だった俺でも知ってるぞ。弱すぎて有名だよな」
「そそ! そんな高校に進学するくらいなら、声かければ来てくれるかなーって」
「よく覚えてたな……」
「へへへ~、凄いでしょ!」
記憶力や詮索能力は勿論だが、赤の他人に女神ゴッコを仕掛ける度胸にも頭が下がる。
それだけ、瀬川監督と甲子園に行きたかったのだろうか。
「けど、柏原くんも凄いじゃん。あの堂上を1日で落としたんだから」
「ああ……正史ではどうだったんだ?」
「のもっちやなっちゃんと誘ったけどぜんっぜんダメ! 結局、テニス部に入っちゃったよ」
「あいつテニスできるのかよ……」
少し笑える。
テニスをする堂上は、それはそれで見たい気もした。
「あとは中里と杉山か」
「あっ……その二人なら、たぶん来ないと思う」
「えっ?」
「正史通りなら、もう野球部に来てるはずだからね」
彼女はそう言って、少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。
「うちの野球推薦って5人でしょ? 正史ではその内の2人が、中里と杉山だったの」
「つまり、正史では入学しない俺や鈴木達のせいで、推薦枠から漏れて別の高校に行ったと……」
肝心な事を忘れていた。
俺の進路変更によって、堂上みたいに救われる人間がいる一方で、本来なら報われていた人間が苦汁を飲む事もある。
中里達は俺のせいで推薦に落ちた。せめて他の高校で活躍して欲しいが――そう甘い事も言ってられない。
これから目指すのは、本来ベスト16止まりの高校での甲子園。
勝てば勝つほど、正史よりも早くに負ける高校が増える。つまり――不幸になる人間が増えるという事だ。
「いいのかな、こんな事して」
「じゃあ同じ人生を繰り返す?」
「……ははは、まさか。今のはなし。ベストを尽くすわ」
我ながら甘い考えだった
神から与えられた二度とないチャンス。それを棒に振るだなんて、1等の宝籤を溝に捨てるようなものだ。
「せっかく未来の記憶があるんだから、上手く活用していこっ」
「ああ。じゃあ早速、これから富士谷で起こることを俺に教えてくれ。主に金城の事で」
「だーめっ! 記憶を活用するのは野球だけにしようよ!」
「いや教えろって。お前だけ知ってるのずるくね?」
「えー……だって……」
彼女は目線を逸らすと、少しだけ言葉を溜めて、
「せっかく青春をやり直せるのに……打算で動いたらつまらないでしょ?」
なんて言いながら、とびきりの笑顔を見せた。
金城に負けじと素敵な笑顔は、直視するのが少しだけ照れ臭かった。
「それに、生徒が4人も入れ替わってる時点で、全てが正史通りにはならないと思うよ」
「まあ確かにな……あ、俺この駅だわ」
気付けば、西国分寺駅に辿り着いていた。
俺はこの駅で乗り換えて、北府中駅に向かう。
「じゃあね柏原くん……あ、私もかっしーって呼んでいい?」
「どーぞご自由に」
俺はそう言って手を振ると、彼女は小さく微笑んだ。
「じゃあな瀬川」
「恵って呼んでよ。お父さんも瀬川なんだから」
「はいはい。じゃあな恵」
こうして――未来を知る二人の挑戦が始まった。