8.決意
合宿三日目の夜、俺達は満を持してマネージャー部屋に潜入した。
「うわっ、本当に来たのかよ」
「もー、遅いよ~」
卯月はジト目で睨み、恵は拗ね気味に出迎えた。
奥にいる琴穂はニコニコしている。その笑顔が可愛くて、俺はつい見つめてしまった。
琴穂は女の子らしく、ショートパンツの寝間着に身を包んでいた。
こうやって見ると、こんがり小麦色に焼けているのがよく分かる。
卯月はスポーツメーカーのシャツとハーフパンツ、これも実に卯月らしい。
そして恵は――。
「(女神じゃねーのかよ……)」
相変わらず水色のロンTだったが、正面にはデカデカと「マーメイド」と書かれていた。
そこは女神だろ。大事なアイデンティティを主張しろよ。
ツッコミ待ちなのだろうか。
だとすると、安直な指摘は思うツボとなるけど……凄く言いたい。言いたくて仕方がない。
そんな葛藤を抱えていると、
「あ、かっしー眼鏡じゃん!」
「おー、珍しいなー」
と、先に指摘されてしまった。
今更になるけど普段はコンタクトだ。
以上。良くも悪くもその程度の話に過ぎない。
「けど、のもっちと違って頭は良くなさそう~」
「あー、わかる。俳優が演じてるインテリキャラって感じだよなー」
「そうそう! ちょっとガリ○オ感あるよね~!」
卯月と恵は何かはしゃいでいる。
微妙にディスられた気がしたが……まあ、最後のは褒め言葉として受け取っておこう。
「ふふっ……かっしー、似合ってるよっ」
続けて、琴穂がそう褒めてくれた。
よし、野本の眼鏡をカチ割るか。明日から俺が眼鏡キャラになろう。
「で、何しに来たんだよ」
卯月が問い掛けてきた。
そういえば、俺達は何しに来たんだろう。
女子部屋に行くというロマン、もとい下心だけが先行していて、特に目的がある訳でもなかった。
「じゃあさ~、マッサージしてよ~」
そんな中、恵がそう提案してきた。
「なんでだよ、面倒くせえな」
「たまには労ってほしいマネージャーと、女の子に触りたい選手のウィンウィンじゃん?」
普通、マネージャーが選手の疲れを取るんじゃないのか?
そう思ったのも束の間、恵が俯せになると、物凄い速さで鈴木が飛び出した。
「変なとこ触ったら怒るよ」
「恵ちゃんに怒られるなら本望だわ」
「おまえ無敵すぎない??」
そんなやり取りをしながらも、鈴木は丁寧に指圧していった。
なんというか、やたらと手慣れているように見える。普段から、誰かにマッサージをする事が多いのだろうか。
「二人もやってもらえば~?」
恵が卯月達に問い掛ける。
卯月は視線を逸らして「いや、私はいい」と遠慮した。
これが普通だと思う。その辺、恵はガードが緩めなんだよな。
それよりも琴穂だ。
彼女が癒しを望むなら、俺も一肌脱ぐ必要が出てくるのだが――。
「うーん……別に疲れてないし、私も大丈夫っ」
うん、元気で大変よろしい。
無邪気な彼女が一番だ。決して残念だとか思ってはない。
「あ、そうだっ!」
琴穂はそう続けて、俺の後ろに回り込むと、肩の辺りを叩き始めた。
これだよこれ。普通はこの構図だろ。さすが琴穂、よく分かっている。
そして俺は今、好きな子に肩を叩かれている。
控え目に言っても幸せだ。もう合宿のメインイベントを果たしたまである。
「お、あれならいいな! 堂上、私にもやってくれよ!」
俺達を見た卯月が、堂上にそう持ち掛けた。
すると堂上は、
「卯月、お前は肩凝らないだろう……?」
なんて言うものだから、俺は思わず吹き出してしまった。
卯月は堂上を蹴飛ばしたが、堂上は全く動じない。この二人は本当にブレないな。
そんな感じで、暫くは鈴木と恵のマッサージを観賞する事となった。
堂上は恵を眺めながら「ふむ、悪くないな」と頻りに呟いている。
薄々と感付いてはいたけど、コイツは意外とスケベ野郎なんだよな。
「暇だな。せっかく集まってんのに」
そんな中、卯月がそう溢した。
「じゃ、このメンツじゃないと話せない話題しようよ~」
恵は俯せのまま言葉を返す。
「うっし! やっぱ恋話っしょ!」
鈴木は指圧しながらそう言った。
それはない。俺が公開処刑されるだけじゃねーか。
このメンツじゃないと話せない話題……か。
実のところ、ある事にはある。ただ、もし彼らにも否定されたら、俺はもう富士谷に居られないかもしれない。
「……じゃあ今後の目標。このチームで何処まで目指せると思うか、どこまで目指すつもりでいるか、正直に答えて欲しい」
俺は声を振り絞った。
どうしても聞きたかった事がある。それが、皆から見た富士谷の評価と、現実的な目標だった。
「どうしたの? 急に畏まっちゃって」
「話すと長くなるけど色々あったんだよ」
「長くなっていいから話してよ」
「……仕方ねーな」
恵に聞かれて、俺は京田達と揉めた事を話した。
甲子園は無理だと言われた事。平日の夜間練習を否定された事。そして、下級生のスカウトにも難色を示された事。
俺はあの日から、選手達との温度差に不安を感じていた。
このままでは甲子園には行けない。しかし、多くの選手はそこまで望んでいない。
その中で、味方を作りたかった――訳ではないけど、主力の正直な意見を聞いてみたかった。
それでも無理だと言われるのなら、俺も富士谷を諦める事ができるから。
「……私は甲子園に行きたい」
部屋が静寂に包まれる中、一番最初に口を開いたのは、意外にも琴穂だった。
「一番役立たずの私が言うのは生意気かもしれないけど……私は行きたい」
琴穂は珍しく真剣な表情をしていた。
そういえば、琴穂は怪我が治り次第、バスケ部への出戻りも考えている立場だった。
その中で――琴穂は野球部の合宿に参加して、甲子園に行く事を望んだ。
「け、けど現実的な目標だろ……?」
「行けるよ。だって、かっしーは凄いし……かっこよかったもん……」
戸惑う卯月に、琴穂は枕を抱き締めながら言葉を返した。
勿論、この「かっこよかった」というのが、好みの男性という意味ではない事くらいは分かっている。
けど、その言葉がとても嬉しかった。それと同時に、富士谷から逃げようとした自分が憎かった。
関越一高に行けば、土村や周平の他にも頼もしい味方が待っている。
転校生は公式戦に1年間出場できないので、もう酷使される事もない。
そして、今は琴穂のメールアドレスも知っているし、そうでなくてもプロに行けば異性には困らない。
そんな打算で、俺は琴穂を――皆を裏切ろうとしていたから。
「ふむ……これは不覚を取ったな。まさか妹に先を越されるとは」
堂上は無表情でそう溢した。
お前の妹じゃないだろ、という指摘は、今は心に留めた。
「何度も言っているが敗北は許されん。俺と柏原で完封して、鈴木を含めた3人で点を取る。それで問題なく全国制覇できるだろう」
堂上は相変わらず無茶振りしてきたけど、その言葉が頼もしく思えた。
「私からしたら今更だよね~。甲子園の為に恥を捨てて自称女神までやったんだからさ~」
「ま、まあ私も行けるなら行きたいけどな!」
恵が得意気に言うと、流されるように卯月も続いた。
「鈴木、お前は?」
続けて、俺は鈴木に問い掛けた。
琴穂は意外だったけど、ここまでは想定内。一番大事なのは、富士谷のNo.3である彼の意見だ。
普段はチャラチャラしている彼は、一体どう思っているのだろうか。
そんな事を思っていると、鈴木はニヤリと口元を歪めて、
「いや~、折角かっしーとつよぽんが居んのに、目指さないとか勿体無いっしょ~!」
と、軟派な自由人らしく、軽いノリでそう言った。
琴穂は素人ながらも俺を凄い選手だと評価した。
負けず嫌いの堂上も俺を認めている。恵は俺を求めて女神ゴッコをした。
そして――普段は不真面目そうに見える鈴木も、俺となら甲子園に目指せると言った。
他の選手の意識だとか実力だとかは関係ない。
4番でエースであり、かつて名門にいた俺が、無理にでも皆を甲子園に導けばいい。
俺が打って俺が抑える。堂上風に言うのなら、実にシンプルで簡単な話だった。
「じゃ、話も一段落した所で、そろそろ足もやってよ~」
俺の決意を余所に、恵は俯せのままそう言った。
鈴木は太股に手を伸ばす――と見せかけて、足裏を指で押す。
その瞬間、
「いったぁあっ!!」
と、恵が珍しく叫ぶものだから、真面目な雰囲気など吹き飛んでしまった。
「え? そんな力いれてねーけど……」
「嘘! 超痛かったもん!」
なんだ、恵は足裏が弱点なのか?
珍しくムキになっている様子に違和感を覚えながら、俺達は自室に追い返された。