5.合宿と言えば……(裏)
鈴虫の音色が交差する中、八畳ほどの広さの和室で、私――卯月夏美は、寝そべりながら携帯を弄っていた。
画面の向こうでは、私が操作する中年の女性が、空から降ってくる芋虫をひたすら避けている。
なんてことはない、ただの携帯アプリだ。堂上がスコアで張り合ってくるので、私も負けじと芋虫を避け続けている。
マネージャーだけの空間――と言っても、そこに男子が期待しているであろう華やかさはない。
琴穂は私と同じように携帯に夢中で、恵はずっと窓から空を眺めている。
かれこれ10分はそんな感じで、沈黙が続いている所だった。
「めーぐみんっ! なにしてるの?」
そんな中、琴穂が恵に問い掛けた。
横目で視線を向けてみる。窓に乗り出して外を眺める恵は、何だかとても画になっているように思えた。
「いやぁ、星が綺麗だなぁ~って」
星なんて見て何が楽しいんだろう。
なんて思ってしまう私は、きっとロマンに欠ける女だと思われるに違いない。
「わぁー、ほんとだー!」
琴穂はガラガラッと音を立てて、半開だった窓を全開にした。
頼むから止めて欲しい。虫が入ってきたらどうするんだろう。
私達は虫が苦手だ。琴穂は甲虫なら全然平気らしいけど、私はカナブンですら気持ち悪い。
そんな事を思っていると、堂上から一通のメールが届いた。
『バカがそっちに行くかもしれん』
このバカと言うのは、間違いなく鈴木の事だろう。
別に来ても構わないけど、ここに男子が期待するような物はない。
せいぜい、恵が脱ぎ散らかした下着が転がってるくらいだ。
「なっちゃんは何してるの?」
いつの間にか、琴穂が横で寝そべっていた。
私は思わず体を竦ませる。
「うわっ! びっくりさせんなよ」
「あー! なっちゃんがどのーえとメールしてるー!」
「え~、見せて見せて~」
琴穂の一言で、恵が此方に吸い寄せられてきた。
「大した内容じゃねーって」
「夏美、愛してるよ……的な?」
「私達を何だと思ってんだよ!」
恵がニヤニヤしながら煽ってくる。
断じて、堂上とはそんな関係ではない。
「あー、そっかぁ。なっちゃんはかっしーとデートしてたもんねぇ~」
それも違う。
というか恵は、柏原が琴穂LOVEなの知ってるだろ。
「で、どっちが好きなの?」
「はぁ?」
「あ、言い直すね。誰が一番好き?」
恵が得意気にそう聞いてきた。
琴穂は「あ、何か修学旅行っぽい!」と言いながら枕を抱き締めている。
うん、本当に修学旅行のノリだな。合宿は遊びじゃないんだぞ。
「えぇ……なんで言わなきゃいけないんだよ」
「答えなかったら男の子に興味無しって事で、私とちゅっちゅする事になるけど……」
「ああもう、わかったよ!!」
恵に脅されて、私は仕方がなく間を取った。
「んー……」
正直なところ、こういう話は苦手だ。
恥ずかしいし、恥ずかしいし……うん……とても恥ずかしい。
「……みんなカッコいいと思う」
私は目線を逸らしてそう呟いた。
それは決して、逃げた訳でも、節操が無い訳でもない。
選手を諦めた私にとって、一生懸命プレーする選手達は、一様に眩しい存在だった。
言葉を振り絞った私に対して、恵はかつてない程のジト目で睨んできた。
「ツーアウトね。次ふざけたら全裸で抱きつくから」
「はぁ!?」
ふざけたつもりなんて無かったのに。
ってか、罰ゲーム重くなってるし、いつワンアウト取られたんだよ。
「ったく、仕方ねーな……」
もう何でもいいや。ここは顔で選んどこう。
「じゃ、渡辺かな」
私はサラッと言い放つと、恵は表情を引きつらせた。
「うわぁ……なっちゃんってそういう趣味なの……」
「えぇ!? なんで!? 渡辺かっこいいじゃん!」
「ナベちゃん彼女いるのに……なっちゃんって寝取り願望あるんだね……」
「そんなの聞いてねーよ!!」
嘘だろ……地雷を踏み抜いてしまった……。
いやまあ、本当に好きな訳じゃないからショックではないけど、最悪の選択をした自分が憎かった。
「スリーアウトだね」
「許してくれ」
「やだ」
「つーかお前らも答えろよ、話はそれからだろ」
「仕方がないなぁ」
私は咄嗟に反撃に出ると、恵は得意気に間を取った。
そして――。
「私はかっしーかな~」
なんて言うものだから、思わず睨んでしまった。
なんてことはない、恵は自分のターンを使って、琴穂から柏原への好感度を測ろうとしているのだ。
考えたな畜生。つーかズルいだろそれは。
けど、琴穂の前で指摘する訳にもいかないし、何より私も気になる。
柏原の名前を挙げられた琴穂は、一体どんな反応をするのだろうか。
「うーん……かっしーはやめたほうがいいと思うけどなぁ……」
琴穂がそう言った瞬間、私は目を丸めた。
「え~、なんでなんで~?」
恵がしれっと聞き返す。
私はただただ、その行く末を見守る事しかできない。
柏原は私の事が好きだから、柏原は私のモノだから諦めろ、という事なのか。
それとも、過去に柏原と嫌な事あって、恋愛対象として勧められないのか。
わからない、わからないけど――その答えが気になると同時に、真実を知るのが怖かった。
「かっしーは……たぶん恋愛とか興味ないからねっ」
しかし――予想の斜め上を行く答えに、私達は顔を歪ませてしまった。
その発想は無かった。節穴にも程があるだろ。
「え、えーっと、なんでそう思うのかな~?」
「だってね、かっしーって中学二年生の時に、学校で一番の美人さんに告白されたんだけど……断ったんだよっ!」
そして、二人がそんな会話を続けたものだから、
「(おまえが好きだからだよ!!)」
と、喉まで出かかった言葉を、死ぬほど必死に飲み込んだ。
今までで一番突っ込みたかった。堪えきった自分を褒めたいまである。
「だから野球にしか興味がないか……すっごく理想が高いのかもしれない……」
なんか深刻な表情で、少し残念そうに呟いてるけど、その理想にジャストミートしてるのお前だからな。
恵も右手を顔に当てて呆れている。珍しく意見が一致したな、突っ込めないのが大変歯痒い……。
「じゃ、最後は琴ちゃんだね」
「え……私も……?」
「当たり前だろ」
琴穂は少し困った表情で、キョロキョロと私達の顔色を窺っていた。
そして、
「じゃあ、お「お兄ちゃんって言うのは無しだからな?」」
全力で逃げようとしていたので、私は先回りしてやった。
「えー……お兄ちゃんがいい……」
琴穂は視線を逸らすと、枕をギュッと抱き締めた。
一度塞いだ退路に逃げるなよ、と言いそうになったが、私は言葉を飲み込んだ。
琴穂は無邪気そうに見えて非常に繊細な子だ。
あんまり強く攻めすぎると、私を嫌いになってしまうかもしれない。
ただ――それ以上に、琴穂の好きな人を知るのが怖かった。
理由はよく分からない。
けど、ここで柏原の名前が出るのも、柏原以外の名前が出るのも、何だか凄く嫌だった。
「琴ちゃん~? 恋話のタダ乗りは重罪だよ~?」
恵が不気味に微笑みながら、琴穂に向かって迫っていった。
やめてやれよ、と思ったのも束の間、押し倒して抱き付いて……って、おい!!
「ちょ、待って! めぐみん落ち着いてっ!」
「ふふっ、意地の悪いお口にはお仕置きが必要だからね~、えいっ」
恵と琴穂の顔が重なった瞬間、私は咄嗟に視線を逸らした。
まあ、これくらいの罰ゲームは受けて貰おう。そんな事を思いながら、携帯カメラのシャッターを切った。
やがてお仕置きが終わると、私は布団に入った。
「結局、誰も真面目に答えなかったなー」
天井を見つめながら、そう呟いてみる。
「一番適当だった人が何を……」
「うっせ!」
恵がボソッと言葉を返してきた。
一回目は真面目に答えたつもりだったけど、言い返そうとは思わない。
また弄られるのは目に見えているからな。
「なっちゃん、といれ行こっ!」
「いや、私はいいや」
続いて、琴穂がそう持ち掛けてきた。
別に行きたくないし、田舎の便所にはデカイ虫が出てくるので、無駄に出入りはしたくない。
「えー……一夜限りの伊能忠敬になっちゃうよ……?」
「なる訳ねぇだろ」
なんだその独特な言い回しは。
というか、この子もしかして……。
「一人で行くのが怖いのか?」
「こ、ここっ怖くないもん……」
「じゃあ一人で行ってこい」
露骨に動揺する琴穂を、私は適当にあしらった。
可愛いなぁ。上目遣いでお願いしてくれるなら、仕方がなく付き合ってもいいだろう。
そう思った次の瞬間、琴穂は背中から抱きついてきた。
「道連れにしてやる……」
「ああもう、わかったよ!」
私は仕方がなく立ち上がると、琴穂が右手を握ってきた。
ビビり過ぎだろ。なんて思いながら、そっと扉に左手を掛ける。
「……私は本気だったんだけどなぁ」
その後で、恵がそんな事を呟いていたが、私は聞かなかった事にした。
もう1話くらい緩めの話が続いてから野球の話に入っていくと思います。