78.酷使のトロッコ問題
2012年8月21日。
まだ昨日の疲労も残る中、遂に決勝戦当日の朝を迎えた。
本日の試合開始は10時30分……の予定だったが、昨日の試合開始が遅れた時点で13時に変更されている。
これは正史通りの動きであり、申し訳程度の配慮だった。
「失礼します」
朝食を迎える前、俺は真っ先に首脳陣の部屋を訪れた。
理由は外でもない。本日の選手起用を根回しする為である。
絶対に失敗できない以上、念を押す形となった。
「ああ……きたか。おはよう。状態はどうだ?」
「おはようございます。調子はいいと思うっすよ、思ってたより疲れもないんで」
「おはよう柏原。元気そうで何よりだなぁ!」
畦上監督、与田先生と言葉を交わす。
勿論、調子が良いというのは大嘘だ。連日の疲労は蓄積しているし、心做しか肘も重い気がする。
しかし、昨日の試合を見ても分かる通り、中橋に任せるのは敗退行為に等しい。
堂上も爪が割れているし、俺が投げる以外に選択肢がなかった。
「さて……今日の試合の事っすけど」
「ああ。昨日は時間なかったもんな」
「そっすね。ま、ここまで来たらベストを尽くすだけっす、昨日と同じスタメンでいきましょう」
俺はそう告げると、畦上監督は表情を曇らせる。
横にいた与田先生と顔を見合わせると、重い口を開き出した。
「……俺は今日の試合、芳賀でいこうと思ってる」
「!?」
そして――そんな事を言うのだから、俺は思わず目を丸めてしまった。
芳賀先発なんて正気の沙汰じゃない。ここまで全試合2桁得点の関越一高が相手だと、下手したら初回で試合が壊れてしまう。
「適当な奇襲でやり過ごせる相手じゃないっすよ。打線は聖輝学院よりも上ですし……」
「いや、そんな事は分かってる。けど芳賀しかないと思ったんだ。だって――」
俺は説得しようとする……が、畦上監督は言葉を遮る。
「柏原、おまえ肘痛いんだろ……?」
そして核心に迫ると、俺は思わず言葉を詰まらせてしまった。
「図星だな?」
「……多少違和感がある程度ですよ。投球に影響はないですし、後1試合なら何も問題ないっす」
「いいや、駄目だ。柏原には先がある。ここは無理する場面じゃないぞ」
畦上監督とそんな言葉を交わしていく。
エースを酷使する監督が多い中で、選手生命を守ろうとする良い監督なんだろうけど、今回に限っては事情が違う。
あろうことか、一度は酷使で壊れた俺が否定しているのだから何とも皮肉だ。
ちなみに、乱打戦で勝つという選択肢は存在しない。
何故なら――。
『……15時38分。この時間を最後に恵の意識が無くなる』
昨晩、瀬川徹平からタイムリミットを知らされたからだ。
試合時間にして2時間38分。インタビューまでのラグを考えると、2時間前後で試合を終わらせたい。
点数としては3点勝負が理想的。お互い5点以上取るようだと、雲行きが怪しくなってくる。
「恵の命が懸かってるんです、頼みます……!」
「柏原……そうはいうけどな。お前らが"不幸な未来人"なのは良く分かったけど、勝ったら助かるってのはどうも信用できん。柏原自身も半信半疑なんじゃないか?」
「っ……!」
俺は必死に頼み込む……が、畦上監督は全く動じない。
的確に痛い所を突いてくる。自分自身、昨日までは疑っていた部分なので反論できない。
もはや芳賀ガチャSSRを当てるしかないのか。
と、そう思った次の瞬間――。
「まぁまぁ、畦上さんも落ち着いて。私は柏原の言い分も一理あると思いますよ」
異様に肩幅の広い男――与田先生が仲裁に入ってきた。
「与田さん……! 柏原の選手生命に関わる話ですよ!」
「選手生命を守りたい、将来に期待したいというのは外野のエゴ。無理しないで良かったという美談になれば良いですが、人によっては大きな後悔を残すでしょうな」
与田先生は落ち着いた口調で言葉を続ける。
長らく論争が続いている高校野球の酷使問題。
将来的には球数制限やタイブレークなど、様々な対策が打ち立てられるが、それが万人を救っているとは限らない。
ルールに阻まれたが故に不完全燃焼に終わる。そんな選手も少なからず存在するだろう。
「だから……柏原本人がリスクを自覚しているのであれば、私は柏原先発でも良いと思いますよ。但し……」
与田先生はそこまで語ると、真剣な表情で此方に視線を合わせてくる。
そして――。
「柏原、お前が背負ってるのは自分の人生だけじゃない。もし壊れたら畦上さんの経歴にも大きな傷が付く。その覚悟はあるのか?」
力強い視線でそう語ってきた。
忘れていた。もし俺が壊れたとして、人生が変わるのは自分だけじゃない。
まだ若い畦上監督も「柏原を壊した指導者」という十字架を背負ってしまうのだ。
「べ、別にそういう保身とか打算で温存する訳じゃ……」
「分かってますよ。この4か月で畦上さんの方針は理解したつもりです。ただ、柏原も人生やり直しているが故に後悔には敏感ですし、生きた年数は畦上さんと殆ど変わらないですから。選択権を与える代わりに責任も取らせましょう」
二人はそんな言葉を交わしている。
今更1試合温存した所で未来は変わらない。今日投げて壊れるなら遅かれ早かれだし、その逆も然りである。
ただ、外野から見た印象は違う。
形だけでも選手の未来を気遣ったかどうかで、畦上監督の評価は大きく変わる。
その中で、俺は二人……いや、3人の人生が変わる選択を迫られていた。
「で、柏原。お前はどうしたい?」
与田先生は再び真剣な表情を向けてくる。
畦上監督を犠牲に恵を助けるか。それとも、恵を犠牲に畦上監督を助けるか。
悩むまでもない。ここで下すべき唯一の決断は――。
「任せてください。必ず優勝に導きますし、無事に帰ってきます。だから自分を起用して欲しいっす」
俺は真剣な表情でそう訴えた。
登板はするけど壊れるつもりは毛頭ない。優勝して恵を助けつつ、無事にプロ入りして畦上監督の面子も保つ。
「うむ、よく言った」
納得げに頷く与田先生。
一方、畦上監督は諦めたように溜息を吐いた。
「……仕方ねーな。そこまで言うなら本気でテッペン取りに行くぞ。いいか、投げるからには絶対に勝てよ! 分かったな!」
「うっす!」




