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672/699

76.時刻22時の攻防

聖輝学000 004 001 000 0=5

富士谷111 100 010 000 =5

【聖】歳川―大松

【富】柏原、堂上、中橋、柏原、堂上―近藤

 夜中の阪神甲子園球場には、吹奏楽部が奏でる「SEE OFF」の音色が響いていた。

 13回裏、無死一二塁。二塁走者は俊足の柏原であり、単打でも十分にサヨナラが見込める場面。

 そんな絶好の機会を迎える中、本日無安打の鈴木優太が右打席に入った。


「(はぁ〜、どのーえより俺の方が楽ってか。薄々勘付いてたけど凹むわ〜)」


 鈴木は溜息を吐きながらバットを構える。

 かつては柏原や堂上と並ぶ主力だった彼だが、最近は目立った活躍がなく、特に今日は当たっていない。

 そんな格差を「敬遠」という形で知らしめられ、少なからず思う部分があるのだろう。


 鈴木には一つ夢がある。

 両親が失踪し、祖父母に育てられた中で、プロ野球選手になって家計を救うという夢。

 弟や妹に楽させる為にも、長男として稼ぎ頭になりたいとう意思が強かった。


 しかし、柏原や堂上、他校のドラフト候補と対決して、薄々と勘付いてきた事実がある。

 それは――ファーストで中距離打者、都立ですら6番打者の自分は、プロの世界に上がれる器ではないのだろう……と。


「(……ま、考えても仕方ないっしょ。俺は来た球を打つだけだからな〜)」

「(ふぅ……。ここまでは抑えてるけど、こいつ掴み所ないんだよなぁ)」


 鈴木の視線の先では、マウンドの歳川が肩で息をしていた。

 彼は先発して13イニング目。いくらドラフト候補とはいえ、非常に苦しい投球になってきている。


「(……頼むぜ歳川。ゴロなら意地でも俺が捌くから打たせてこい)」


 ショートを守る瀬川徹平も、今は固唾を飲みながら見守る事しかできない。

 彼もまたアマチュア止まりの選手。だからこそ――東北初優勝への思いも強く、勝敗に干渉できない歯痒さも感じていた。


 ドラフト候補のプライドが勝つか、アマチュア止まりの意地が勝つか。

 そして――東北初優勝と都立初優勝の何方が途絶えるか。

 そんな両チームにとって重要な分岐点を迎えようとしていた。


「(落とすぞ)」

「(了解だっぺ)」


 一球目、歳川はセットポジションから腕を振り下ろす。

 放たれた球は――低めに吸い込まれる速い球。

 鈴木は迷わずバットを振り抜く……が、白球は手元で沈んでいった。


「ットライーク!」


 スプリットを空振りしてストライク。

 これ以上は四球も出せないという部分で、鈴木としてはストライク先行と読んでいたが、ここはバッテリーの慎重さが勝った。


「ボール!」

「ファール!!」


 二球目、低めのスプリット。今度はバットを止めてボール。

 三球目は外角のストレート。これはバックネットに飛んでファールになった。


「(やべ、追い込まれちゃった。スプリットくるだろうな~)」


 カウントは2ストライク1ボール。

 こうなってくると、聖輝学院バッテリーはスプリットを多投できる。

 鈴木は苦笑いを浮かべながらバットを構え直していた。


「(終わらせるぞ)」

「(うい)」


 四球目、歳川はセットポジションから投球モーションに入る。

 鈴木は左足を引いてテイクバックを取ると、歳川は力強く腕を振り下ろしていった。


「(流石にスプリットっしょ。ここは見逃して……)」


 それは――低めに吸い込まれる、高速域の一球だった。

 カウント的にはスプリットが投げ易い場面。鈴木も見送るつもりでバットを構えている。

 しかし――。


「(やべっ……!)」

 

 白球は沈まないまま、糸を引くように真っ直ぐ進んでいた。

 見逃し三振を狙ったストレート。鈴木は初動が遅れながらも、慌ててバットを投げ出している。

 果たして、白球の行方は――。


「ファール!!」

「おお~……」

「よく当てたな!!」


 当てただけの打球は、一塁側ベンチの方向に転がっていった。

 咄嗟のカットが決まってファール。恐らく、序盤なら空振りしていたに違いない。

 球速が落ちていたが故に何とか当てられた。そんな打球だった。


「ファール!!」


 五球目、同じく外角のストレート。

 ややボール気味の球だったが、打球は後ろに飛んでファールになった。

 先程の一球が効いている。故に、鈴木もバットを出さざるを得ない。


「(使うなら今しかないだろ。頼むぜ歳川)」

「(……うい。これで空振り三振だっぺ)」


 そして迎えた六球目、歳川は一つ目のサインに頷いた。

 鈴木はバットを構え直す。やがて歳川が投球モーションに入ると、次の瞬間――。


「(もー分かんねぇや。全部打つしかないっしょ)」


 鈴木はステップを踏んで一歩だけ前に出た。

 ストレートを警戒しつつ、スプリットが来ても落ち切る前に捉えようという判断。

 それはかつて、都立福生の森川純平が柏原に対して使った秘策だった。


「(そんな子供だましで打てる訳ねーべ。これで終わりだ……!)」


 力強く腕を振り下ろす歳川。タイミングを計る鈴木。

 白球は歳川の右手を離れると、その瞬間――。


「(あっ……!)」


 構えたミットよりも少し高め、腹くらいの高さに吸い込まれていった。

 それは――決して失投という程ではない、最終的には膝下くらいの高さに落ちるであろう一球。

 しかし、一歩前にステップした鈴木にとっては、やや真ん中よりの高さでもあった。


「(もらいっ!)」


 鈴木は迷わずバットを振り抜いていく。

 捉えた打球は左中間の方向へ。八百坂と鎌倉は守備位置よりも後ろの打球を追い始める。

 それと同時に、22時を回った事でブラスバンドの演奏が中断された。


「わあああああああああああああああああ!!」

「これは流石に……!」

「八百坂とってええええええ!!」


 演奏が鳴りやんだ阪神甲子園球場に、人間の声だけが飛び交っている。

 その場で膝を付く歳川、茫然と打球を見上げる瀬川、諦めずに打球を追う八百坂、そして――確信して右腕を上げる鈴木。

 果たして打球の行方は――。


「フェア!!」

「よっしゃあああああああああああ!!」

「東北初優勝の夢が……」


 フェンス手前でワンバウンドすると、スタンドからは歓喜と悲鳴の声が爆発した。





「……さて、ホテルに戻ります」


 鈴木のサヨナラ打が決まった瞬間、隣に居た木更津健太も席を立った。

 彼としては予想を的中させた勝負。ただ、それを誇る事もなく、淡々とした態度で去ろうとしている。


「流石の洞察力だね、完敗だよ。ジュースでも奢ろうか?」

「電車賃でも賄賂になる世界なんで遠慮しときます。それにスカウトさん、騙されてますよ」

「というと?」

「堂上勝負でも打たれていた可能性があるっすからね。スカウトさんの読みは外れましたけど、実は俺の勝ちでもないんすよ」

「はは、なるほど。こりゃ一本取られたな」


 木更津は冷静な態度で言葉を続ける。

 そして不意に空を見上げると――珍しく苦笑いした表情を見せた。


「……こんな読み合い幾らでも当てられるのに、なんで"あの時"だけは負けたんだろうなって……今でも思い出しちゃうっすね」


 あの時とは他でもない。

 西東京大会の決勝戦、14回無死二塁で柏原を迎えた場面である。

 今回と同じ5番から下る打順。その中で、木更津は柏原勝負を選択し、そして決勝点を献上した。


「……あの場面は柏原くんを敬遠すべきだったね」

「そーかもっすね。けど、押し出しや2点目のリスクを考えると、俺の計算ではやっぱ勝負の場面だったんすよ」


 木更津は再び語りだすと、言葉を続ける。

 

「ま、それだけ柏原が理屈じゃ語れない選手だったんでしょうね」

  

 そして少しだけ笑みを見せると、野球帽を被って背中を向けた。

 

「じゃ、今度こそ帰ります」

「お疲れ様。せっかくだし明日も楽しんでいきなよ」

「勿論っす。その為にホテル取ってるんで」


 そんな言葉を交わしてから、歴代最強だったチームの捕手は人混みに姿を消した。

 泣いても笑っても明日が最後。私もスカウトという立場ではあるが、東京を中心に観てきた人間として、明日の"東京決戦"を見守ろうと思う。


聖輝学000 004 001 000 0=5

富士谷111 100 010 000 1x=6

【聖】歳川―大松

【富】柏原、堂上、中橋、柏原、堂上―近藤

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― 新着の感想 ―
[一言] 鈴木「都立ですら6番の俺は...」いやいや冨士谷がおかしいだけだよ鈴木君!
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