32.シロクマ起源論争
智殿和0=0
富士谷=0
【智】山本-道端
【富】堂上-駒崎
炎天下の甲子園では、これから1回裏の攻撃が始まろうとしていた。
智殿和歌山の先発は右腕の山本。背番号は10番だが、初戦に続き2試合連続で先発を任されている。
和歌山大会でも最多イニングを投げており、彼が事実上のエースで間違いない。
タイプとしてはオーソドックスな本格派。
最速139キロの直球とスライダーが武器で、制球もそれなりには纏まっている。
ただ、球種はスライダーとカーブのみなので、狙い球は絞り易い投手だった。
『1回裏 都立富士谷高校の攻撃は、1番センター野本くん。背番号8』
富士谷の先頭打者は野本。スマイリーの音色が響く中、左打席でバットを構える。
彼は2年半で体重が11キロも増えた。その風貌は強打者そのものと言っていい。
「(ストレートに絞ろうかな。左打者から逃げる変化は無いみたいだし)」
「(足速いけど不器用なんだよなコイツ。セーフティ気にしなくていいのは楽だわ)」
落ち着いた構えでマウンドを見つめる野本。一方、山本はテンポ良く投球モーションに入っている。
ノーワインドアップから腕を振り下ろすと、白球は弧を描きながら枠内に入っていった。
「ットライーク!」
バックドアのカーブが決まってストライク。
野本は打つ気が無さそうだった……が、何やら首を傾げている。
「(このカーブ大した事ない……? なんかストレート待ちでも打てそう)」
「(振る気なかったな。もう1つバックドアで取ろう)」
「(うい)」
走者が居ない事もあり、バッテリーのサイン交換は秒で終わった。
山本は投球モーションに入っていく。力強く腕を振り下ろすと、白球は外角に吸い込まれていった。
放たれた球は――バックドアのスライダー。
白球はキレのある鋭い変化で、外から中へと吸い込まれていく。
しかし――。
「(カーブ……じゃないけど打てる!)」
野本は迷わずバットを振り抜くと、痛烈な打球は一瞬で一二塁間を抜けていった。
ライト前ヒットで無死一塁。やや狙いとは違ったようにも見えたが、力で強引に決め球を制した。
「(打っていいぞ。その為の渡辺2番だからな)」
「(了解です)」
続く打者は渡辺。畦上監督は打てのサイン(ノーサイン)を出している。
この判断は個人的にも賛成だ。バントさせるなら京田でいいし、或はセーフティを狙える中橋でもいい。
その中で、わざわざ渡辺を2番にしているのだから、一部の好投手を除けば強攻で間違いない。
「おおおおおおおお!!」
「いきなり連打か~」
この采配は見事に的中し、渡辺は四球目のストレートを右中間に弾き返した。
俊足の野本は二塁を蹴って三塁まで到達。連打で無死一三塁となり、これ以上にない絶好のチャンスを迎えた。
「(さーてと、外野フライでも1点だしデカいの狙おーっと)」
ここで迎える打者は津上。世代最強内野手とも名高い男が右打席に入る。
三塁側スタンドからは波乗りかき氷……ではなく、もう一つのチャンステーマ「シロクマ」の音色が聴こえてきた。
さて……初戦では"あえて"割愛した第二チャンテについて、少しだけ解説しておこう。
シロクマは元々シートノックで採用していた曲。この時代の高校野球では普及していないが、吹奏楽部の間ではそれなりに憧れの曲らしい。
実のところ、このシロクマこそが、智殿和歌山の間にある「隠れた確執」でもあった。
この時代では普及していないシロクマだが、10年後だと甲子園でも稀に聴ける曲である。
ただ、もしコアな高校野球ファンに「シロクマを演奏する高校と言えば?」という質問をしたら、恐らく10人中10には「智殿和歌山の曲」と答えるだろう。
動画サイトで「高校野球 シロクマ」と検索しても智殿和歌山の動画ばかり。
最古の動画も2017年の智殿和歌山(相沢談)であり、高校野球におけるシロクマの起源は智殿和歌山とされていた。
しかし、そこに待ったを掛けたいのが俺と恵である。
というのも、富士谷は以前からシートノック曲として採用しており、起源という意味では此方が先なのだ。
正史においては惨敗で終わった起源論争を、未来人として覆したいという思いがあった。
尚、敗戦理由は言うまでも無く高校の知名度の差だ。
智殿和歌山は甲子園の常連校。一方で、富士谷は良くてベスト16くらいの都立である。
甲子園で演奏できる智殿和歌山が勝つのは当然と言えるだろう。
ただ、敗戦した理由はもう一つある。
富士谷はシロクマをシートノック曲として採用していた訳だが、高校野球の中継は地方含めシートノックは放送していない。
つまるところ、シートノック曲というのは現地の人間しか聞けないのだ。
だからこそ、今回は中継でも流れるチャンステーマに昇格させた。
正直な所、あまりチャンステーマっぽい曲ではないのだが、この起源論争に勝つ為だけに採用するに至った。
「(いきなりピンチかよ。クソ、何か変な曲かかってるし……!)」
話を試合に戻して無死一三塁。マウンドの山本は既に汗だくになっている。
一死も奪えずに先制のピンチだ。ここで富士谷の中軸を迎えるのは脅威に違いない。
「ボール!」
「ボール、ツー!」
一球目、スライダーは外れてボール。
二球目はストレート。これはワンバウントしてボールになった。
連打を浴びて逃げ腰になっているのだろうか。明らかに制球が乱れている。
「(満塁で柏原は絶対駄目。こいつチャンスにめっちゃ強いもん)」
「(わかってる。次は絶対入れるわ)」
「(これ余裕で打てるな。カウント取りにきた球狙おっと)」
サインを出す捕手の道端。それに頷くマウンドの山本。
津上はバットを長く持ったまま、オープン気味に大きく構えた。
「(もう1点はいい。あわよくばゲッツーで……!)」
三球目、山本はセットポジションから腕を振り下ろす。
放たれた球は――フロントドアのスライダー。白球は内角から真ん中に鋭く曲がると、次の瞬間――。
「(ほら来た)」
津上は迷いのないフルスイングでバットを振り抜いた。
捉えた打球はあっと言う間にレフトの頭上へ。会心の一打に対して、レフトの中塚は早くも足を止めている。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「これはいった!!」
「ちゃんと走れや!!」
巻き起こる大歓声、柵越えを確信して歩き出す津上。
大きな当たりはグングン伸びていくと、白球はレフトスタンドの中段に突き刺さった。
「わああああああああああああああああああ!!」
「富士谷つえええええええええええええ!!」
津上のスリーランホームランが炸裂して一挙3点先制。
一死も奪えぬまま劣勢となり、マウンドの山本はガックリと項垂れた。
新チャンステーマが流れる中での3点先制ホームラン。
これは願ってもない展開だな。コアな高校野球ファンの印象にも強く残るに違いない。
この3点が勢いを齎したのか、富士谷は初回から打線が爆発。
打者一巡の猛攻となり、一気に試合を決定付けた。
智殿和0=0
富士谷7=7
【智】山本、小林-道端
【富】堂上-駒崎




