4.出発
2012年8月2日。
富士谷野球部の3年生は、恵が入院している病院を訪れていた。
恐らく次に会えるのは甲子園で優勝した後。
もし途中で負けて帰るような事があれば、恵に合わす顔が無いというもの。
そう思って、奮起する為にも会いに来たのだが――。
「たった一人の妹なんですううううううううううううぅ!!」
「ちょ……離してください……!」
明らかに泥酔した瞳さんが、その辺の看護師に泣き付いていた。
せめて医者に頼めよ……という言葉は、今は心の中に留めておく。
「あ……こんにちは。心配しなくていいよ。この前は『私から末っ子アイドルの座を奪った天罰』とか言ってたから」
「そうですか……」
申し訳なさそうにそう言ったのは、某球団のスカウトを務める古橋さん。
何故ここに居るのかは謎過ぎるが、どうやら朝から飲んだ挙句、酔った勢いで見舞いに来たらしい。
「ほら行くよ、迷惑になるから」
「うぇええええええええええええん。美味しい焼肉食べないとこの悲しい気持ちが収まらないよぉおおおおおおおおおお」
「こいつ……」
古橋さんは瞳さんを引き摺りながら去っていく。
交際しているのだろうか。まあアラサーの恋愛事情に首を突っ込もうとは思わないけれども。
「嫌になっちゃうよね~。一番辛いのはこっちなのにさ~」
「お、恵ちゃん久しぶり~」
「めぐみんっ!」
瞳さんが立ち去ると、さっそく部員達は恵に駆け寄った。
ちなみに来たのは3年生のみ。大勢で来ると迷惑という部分で、下級生はグラウンドに置いてくるに至った。
「だいじょーぶっ?」
「今は薬が効いてて楽かも」
「無理すんなよ。寝てていいからな」
「私が寝てたらみんな来た意味なくなるでしょ~」
恵は今日も元気な素振りを見せている。
ただ、やはり顔色は良くないし、心なしか枕に落ちている髪の毛も多い気がする。
内心では辛いだろうな。此方も調整とかあるし、手短に済ませて早めに撤収しよう。
という事で、数分だけ雑談してから、部員たちを整列させた。
代表して俺が前に出る。出発挨拶……という訳では無いけれど、主将として決意くらいは伝える事にした。
「恵」
「なに」
「絶対に優勝するから」
「……当たり前でしょ。優勝じゃなきゃ許さないもん」
恵は不機嫌そうな表情で視線を逸らした。
素直じゃないのか、シンプルに具合が悪いのか。今はそれすらも分からない。
ただ一つだけ言える事は、彼女の笑顔を取り戻すには、優勝しかないという事だろう。
「……では、瀬川先生どうぞ」
最後に、端の方にいた瀬川元監督に話を振った。
その表情は非常に暗い……が、俺達は瀬川先生に育てられたし、話を振らない訳にはいかない。
畦上監督に感謝していない訳ではないけど、恩師から言葉の一つくらいは頂いておく。
「そうだな……。君達は私が見てきた生徒の中で一番優秀だった。3度の甲子園出場という結果がそれを物語っている。君達ならきっと優勝できると思うから、自分の力を信じて悔いのないプレーをして欲しい」
「うっす」
瀬川先生が手短に語ると、俺達は小さな声で揃えた返事をした。
手土産は優勝旗以外ありえない。その事実を全員で共有して、富士谷の一行は兵庫に旅立った。




