144.サヨナラ
富士谷000 000 002 000 01=3
都大三000 000 101 000 0=2
【富】柏原―近藤、駒崎
【都】堂前、宇治原―木更津
14回裏、二死満塁。
木田を空振り三振で打ち取った直後、右肘に唐突な違和感が走った。
明らかに普通ではない不吉な感覚。俺は目を丸めながら固まると、辺りの声がより鮮明に聞こえてきた。
「……」
「天才くん、三振やで。次は俺の番や」
そう木田に言葉を掛けたのは5番の宇治原。
木田は失意の表情で言葉を失っている。それだけ空振り三振がショックだったに違いない。
「……そんな気負う事ないやろ。君、7打席で4安打2四球1ホーマーやで。誰も責めんしようやっとるわ」
宇治原はそんな言葉を並べて木田を励ます。
そして此方に視線を向けると――口元をニヤリと歪めてきた。
「安心せい、柏原に余力はあらへん。俺も同じやから分かるんや、コイツはもうボロボロやってな」
宇治原はそう言って、石灰で描かれた白線を跨いだ。
14回裏、二死満塁。満身創痍の背番号7が右打席でバットを構える。
「これ以上はお互いに投げれへん。かと言って控えに託すのも興ざめや。ここまで来たら逆転サヨナラか無得点の二択、同点止まりは無しにしようや」
宇治原は珍しく挑発してきた。
普通の高校球児は打席で喋らない。その中で、彼は俺に対して言葉を掛けてきた。
それだけ、肉体的にも精神的にも限界なのだろうか。
なにはともあれ、先ずは投げられるか否かの確認だ。
俺は右腕を回してみる。肘に違和感こそ感じるが、普段通りスムーズに動かす事が出来た。
取り敢えずは投げられるな。
自分の将来を守る意味では、退いた方が良いんだろうが……そんな弱音を吐いている場合ではない。
スタンドには文字通り命を懸けた恵がいる。彼女に比べたら、俺はまだ温い立場なのだ。
「(なんか柏原さん打たれそうな気するなぁ……)」
「(定位置でいいかな。二死だと僕じゃバックホーム厳しいし、フライの取り易さ優先で)」
「(ふむ……こっちに打たせるといい。ライトゴロで締めてやろう)」
外野陣は堂上以外ほぼ定位置。
宇治原の声が届いたのか、それとも引っ張り方向の長打を警戒しているのか。
理由は分からないけど……前進するよう手招きする駒崎に対して、中橋と野本は躊躇気味だった。
「(……まぁ左中間はそんなに出なくてもいいか。宇治原さんはリーチ長いけど、タイプで言えばプルヒッターだし、外の球を引っ掛けさせたいっすね)」
一球目、駒崎の要求は外角低めの高速スライダー。
宇治原のリーチだとスプリットは掬い易いので、逃げていくスライダーを引っ掛けさせる算段だ。
「(……前進せーへんな、恩に着るで。この打席で全て終わらせようや。勿論こっちも押し出しは狙わへん、初球から打ったるわ)」
俺がセットポジションに入ると、宇治原もバットを強く握りしめた。
泣いても笑ってもココが激戦の終着駅。この打席の結果次第で、延長14回まで縺れた決勝戦の行方が決まる。
あと1打席、たった3球でいい。
そんな事を思いながら、俺は投球モーションに入っていく。
そして肘の痛みに耐えながらも――右腕を鋭く振り抜いた。
白球は構えた所、外角低めに吸い込まれていく。
スピードは何時もより遅め、心做しか曲がり出しが早くキレもない。
そんなスライダーに対して、宇治原は迷わずバットを出してきた。
「(球威もキレもあらへん……これで終わりや……!)」
宇治原は鋭いアッパースイングで白球を掬い上げていく。
そのまま美しいフォロースルーを描くと――鮮やかな動きでバットを投げ捨てた。
「わああああああああああああ!!」
「おおおおおおおおおおおおおお!!」
「いったかああああああ!?」
大歓声に包まれながら、打球はセンター方向に高々と上がっていく。
センター方向への深い当たり。フェンスにも届きそうな大飛球に、野本は目線を切って後進していった。
それは――俺にとって悪夢のような、悪い意味で既視感のある打球だった。
忘れもしない1度目の高校3年の夏。同じように最終回二死満塁のピンチで、成律学園の北潟にセンター後方の大飛球を放たれた。
大越は打球を追うも僅かに届かず。俺の一度目の野球人生が終わった。
そしてもう一つ……昨夏も全く同じシチュエーションで、周平に逆転サヨナラのセンターオーバーを打たれている。
これも野本は必死に打球を追ったが、ほんの2〜3歩分だけ追い付くに至らず、島井さんや阿藤さんは涙を飲む事になった。
正直、この悪夢を何回見たかも分からない。
それでいて、二周目でも幾度となく再現されるのだから、もはや呪いと言っても過言ではないだろう。
「おお、際どいぞ!」
「捕れる! いや捕ってくれ……!!」
「落ちろおおおおおおおおおおおおおおお!!」
歓声がピークに達する中、打球は段々と地面に近付いてきた。
捕れるか捕れないか際どい当たり。野本は後ろ向きで追ったまま、最後は精一杯体を伸ばして飛び込んでいく。
そこで白球の姿が消えると、球場全体が静寂に包まれた気がした。
「ど、どっちだ!?」
「捕ってる……?」
「溢したろ!!」
3万人を越える人間が注目する中、二塁審が倒れた野本を覗き込む。
果たして打球の行方はどうなったのか。運命の判定は――。
「アウト! アウトォ!!」
「わああああああああああああああああ!!」
「しゃあああああああああああああ!」
その瞬間――球場が揺れそうな程の、大きな大きな大歓声が沸き上がった。
センター野本の大ファインプレー。それと同時に、西東京最強の高校が決まった瞬間だった。
「よっしゃあああああああ胴上げするぞおおおおお!!」
「うぇ〜い!!」
マウンドに駆け寄ってくる選手達。
たた、当の俺はというと――正直なところ実感が沸いていなかった。
信じられなかったのか。疲れ過ぎたのか。或いは嬉し過ぎたのか。
わからない。わからないけど――1つだけ言える事がある。
それは――。
「……これで全部終わったな」
ようやく全ての柵から開放される。
本来の人生、本来の歴史にサヨナラ。
富士谷000 000 002 000 01=3
都大三000 000 101 000 00=2
【富】柏原―近藤、駒崎
【都】堂前、宇治原―木更津
・実例「西東京大会決勝戦の延長戦といえば……」
第88回全国高等学校野球選手権大会 西東京大会
決勝戦 明治神宮野球場
早稲田実業学校5x-4日本大学第三高校(延長11回)
・解説
ハンカチ王子して一世を風靡した斎藤佑樹氏(元日本ハム)の世代の決勝戦。
甲子園の歴史の中では駒大苫小牧との再試合が有名です……が、実は西東京大会の決勝戦も知る人ぞ知る名勝負でした。
余談ですが、2011年に日大三高が全国制覇した際は、逆に早実が決勝戦で1点差の激戦を演じていて、王者と最も善戦したチームになっていたりします。
色々と有名な小ネタは混ぜましたが、やはり西東京決勝の名勝負といえばこの試合。
あと一ヵ月少々で始まる今年の西東京大会も、過去にないくらい盛り上がるといいですね……!




