141.定石を捨てた男
富士谷000 000 002 000 01=3
都大三000 000 101 000 0=2
【富】柏原―近藤、駒崎
【都】堂前、宇治原―木更津
「ボール、フォア!!」
「わあああああああああああああ!!」
「サヨナラの走者も出た!」
14回裏、一死二塁という場面で、町田はフルカウントから四球を選んできた。
露骨にカットする町田に根負けした形。ただ、その間に変化球の状態も確認できた。
取り敢えず、意識して強く握れば今まで通りに投げられる。
初球のスプリットも、二球目のスクリューも、しっかり手元で曲がってくれた。
お陰でカウントが悪くなり、この四球に繋がってしまった訳だが……。
「(……今日は攻守でクソの役にも立たなかったな。勝てなかったら俺の責任、弁解の余地もねぇ)」
一死一二塁、ここで迎える打者は木更津健人。
西東京イチの洞察力と分析力を持つ男が、一塁側ネクストバッターズサークルを立ち上がる。
「(右サイドに対して左打席。表の無死二塁で5番と勝負。何れも定石通りだったけど、今日は全部裏目に出ちまった」
木更津はゆったりした動きで、本日7度目の左打席に近付いた。
しかし、そこで立ち止まってしまう。彼はバットを片手に、少し考え込んでいる様子だった。
「(根拠も理屈もねぇ事はしたくねぇけど……ここまで追い詰められた以上、高校野球ってのは"そういうもの"だと認めるしかねぇ。それなら――)」
やがて木更津は顔を上げると、唐突な動きで球審の背後に回り込む。
そして右打席の後ろに立つと――。
「(俺は今から定石を捨てる。不調な左ではなく、未知数の右に全てを託す……!)」
石灰で描かれた白線を跨いで、右打席でバットを構えた。
「えっ……右サイド相手で右に入るの!?」
「あの木更津が逆張りかよ」
予想外の選択に、スタンドもザワザワと騒がしくなっている。
それもその筈。右投手が相手の場合、スイッチヒッターは左打席に入るのがセオリーだ。
サイドスローなら尚更である。横投げや下投げは、対角の打席からだと球が非常に見易い。
その中で――定石を愛する木更津が右に入った。その意外性は計り知れない。
尤も、これは正史の木更津が使っていた手法でもある。
というのも、一周目の俺は「序盤の右打者にはスライダーが軸」という組み立てだったので、スプリットを避ける為に使ってきたのだ。
勿論、今回は出し惜しまないので関係ない。カウントが整ったら容赦なく決めにいく。
「(ラッキーですよ。内角攻めましょ)」
一球目、駒崎の要求は内角のストレート。
右vs右に慣れてない木更津に対して、窮屈な内角で詰まらせる算段だ。
俺はセットポジションから腕を振り抜いていく。
白球は構えた所に吸い込まれると、木更津はタイミングを合わせながら見送ってきた。
「ットライーク!!」
「(内角なのは分かってんだよ。いきなり手出すほど俺はバカじゃねぇ)」
146キロのストレートが決まってストライク。
木更津は球筋を見て頷いている。ここで軽率に打たない辺り、ちゃんと平常心を保てているに違いない。
「(続けましょう。但し今度はツーシームで)」
駒崎は内角を攻め続ける姿勢。
ファーストスイングで捉えるとは思えないし、ここで窮屈な内角を続けるのは賛成だ。
後は力強い球を投げ込めるかどうか。詰まればワンチャン併殺も狙える。
二球目、俺はセットポジションから腕を振り抜いた。
放った球は――内角に食い込むツーシーム。木更津は巻き付けるようにバットを振り抜くと、鋭い打球は三塁側のファールゾーンに飛んでいった。
「ファール!!」
「おおー!」
「捉えてる!!」
これで0ボール2ストライク。たった2球で木更津を追い込めた。
ただ、木更津も捉えているので、ここから先は慎重に攻めたい所だ。
「ボール!!」
「(やっぱ右には使うよな。それは余裕で読めたわ)」
三球目、外の高速スライダーは見送られてボール。
流石に安直過ぎたか。バットは微動だにしていなかった。
そして――。
「ボール!!」
四球目、内角高めのストレートは、僅かに外れてボールになった。
球速表示は145キロ。対角かつ四角ギリギリの145キロだったが、木更津の選球眼に軍配が上がった。
「(……我ながら今のはよく見たわ。さて、そろそろ入れないと満塁で木田に回っちまうぜ?)」
木更津は口元をニヤリと歪めながらバットを構え直す。
彼は選球眼もミートセンスも抜群だ。四球狙いで粘ってくる可能性も十分にありえる。
これ以上はカウントを悪くできない。腹を括って勝負するしかないだろう。
「(決めましょう。左右こそ違いますけど、今日の木更津さんは外のスプリットに合ってないっすよ)」
五球目、駒崎の要求は外角低めのスプリット。
枠内に入るか入らないくらいの高さで、あわよくば見逃し三振も視野に入れる算段だ。
「(……外かな。今日は外のスプリットに散々やられてるし、勝負するならココしかねぇだろ)」
俺はセットポジションから左足を上げると、木更津も左足を引いてテイクバックを取った。
先程のような失投は絶対に許されない。白球を力強く挟み込みながら、鋭く右腕を振り抜いていく。
白球は構えた所、外角低めに吸い込まれていった
木更津は迷わずバットを出していく。白球は手元で鋭く沈むと、次の瞬間――。
「(柏原のスプリットは僅かにシンカー方向に曲がる。だから左だと芯までは届かなかった。けど右なら逆に入ってくるから……ギリで届く!!)」
木更津は精一杯腕を伸ばすと、シャープなスイングで捉えてきた。
俺は思わず目を丸めてしまう。ちゃんと沈んでくれただけに、このバッティングには驚きを隠せない。
左では僅かに届かなかった外のスプリット。
ややシンカー気味の独特な軌道に対して、木更津は右から打つ事で突破口を見出したのだ。
「わあああああああああああああああああああああ!!」
「捕ってええええええええええええええええ!!」
「抜けるぞ!!」
鋭いゴロは一二塁間、ちょうど真ん中あたりに飛んでいく。
鈴木と渡辺は同時に飛び込む――が、どう見ても届きそうにない。
打球はあっと言う間にライトまで抜けていくと、ライトの堂上は左手だけで捕りにいった。
そして――。
「篠原ストップ!!」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「すげぇ!!」
渾身のバックホームを披露すると、篠原は三塁を過ぎた所で引き返した。
ホームインは阻止して一死満塁。なんとか同点打は阻止したものの、木更津の一打で最悪の事態になってしまった。
「っしゃあ!!」
「先生があんなガッツポするの初めて見たわ」
「それだけ本気っちゅー事や!」
木更津は握り拳を作りながら吠えている。
あの冷静沈着な男が叫ぶのだから、それだけ嬉しかったに違いない。
それもその筈、このレフト前ヒットはただの単打ではない。
並のシングルヒットより重く、普通の一死満塁より価値がある好機だった。
何故なら――。
「チェックメイトだよ柏原くん。流石に焦らされたけど……僕達の勝ちだね」
14回裏、1点リード、一死満塁。
退路を完全に断たれた所で、本日出塁率10割の男――木田哲人の打順を迎えた。
富士谷000 000 002 000 01=3
都大三000 000 101 000 0=2
【富】柏原―近藤、駒崎
【都】堂前、宇治原―木更津