137.定石の男
富士谷000 000 002 000 0=2
都大三000 000 101 000 0=2
【富】柏原―近藤、駒崎
【都】堂前、宇治原―木更津
「タイムお願いします」
「タァイム!!」
14回表、堂上に二塁打を浴びた所で、俺――木更津健人はタイムを取った。
無死二塁で柏原を迎える場面。1イニングに1度だけ使える「間」を使うなら今しかない。
「すまへんな。フォアだけはアカンと思って」
宇治原は右手を立てて謝っている。
打たれたのはド真ん中のストレート。いくら160キロ超とはいえ、中軸相手には甘過ぎたと言える。
ただ、正直に言えば俺のリードも場当たりだった。宇治原だけは責められない。
「いい。堂上に関しちゃ俺も自信なかったからな。それより肩は大丈夫か?」
「平気や。金ちゃん(大金)よりエエ球放れる自信あるで」
「……そうかよ」
口ではそう言っているが……表情から察するに肘や肩にもダメージが来ている。
恐らく痛みまではないだろうけど、少なからず違和感は感じているに違いない。
もう一つ、宇治原にとっても真夏の7イニング目は1年ぶりだ。
まだ体力的には平気だろうけど、どれだけ耐えられるかは未知の領域である。
ここにきて圧勝続きの弊害が出るとはな。強すぎるのも考え物だと痛感する。
「で、柏原どうする?」
「監督は敬遠でもいいって言ってたけど……」
「表の無死二塁だぜ? 鈴木も打ってるし危なくね?」
「けどここまでコイツ1人にやられっぱなしだとねぇ」
と、ここで伝令を含めた全員がマウンドに集結した。
焦点は無死二塁で柏原をどうするか。彼の勝負強さを考えると、どうしても逃げ腰になってしまう場面だ。
さて、状況を一つずつ整理していこう。
同点、14回表、無死二塁、5番打者。定石で考えるなら敬遠は"ナシ"だ。
もし敬遠した後に送られたら一死二三塁。
表の攻撃では何点でも取れる以上、2点目の走者を出すリスクが高過ぎる。
強攻だとしても鈴木は長打を放っているし、打率だけなら柏原と遜色ない。
そもそも、得点期待値という観点なら敬遠は愚策なのだ。
その中で――敬遠しても良い場面というのは、打者が飛び抜けて上手い場合か、逆に後続が自動アウトの場合に絞られる。
例えば……打者が木田だとしたら、ここは有無を言わさず敬遠択一だ。
あまりにも打ち取れる確率が低すぎる。人類レベルで例外な存在である以上、一塁に歩かせておくのがベターだ。
それから2年前の秋のように、バッター鈴木、ネクスト近藤なら敬遠で間違いない。
プロ野球のセリーグでも8番打者の敬遠が多いように、敬遠は「迎える打者の力量」よりも「次の打者の力量」の方が大きいウェイトを占める。
実際、名門校のドラフト上位候補はあまり敬遠されない。一方、地方レベルの公立校だと、ドラフト下位クラスでも敬遠される事が多かった。
じゃあ、柏原はどうか――と言われたら、数字上はそこまでする打者ではない。
聞いた話だと高校通算本塁打は58本。打者としてもプロ注目クラスではあるが、都立同士の練習試合で荒稼ぎしているだろうし、毎年何人か居るレベルの強打者だ。
また先述の通り打率も鈴木と同程度であり、次の打者という観点でも敬遠が得策とは思えない。
しかし、彼には打率以上……いや得点圏打率以上の不思議な勝負強さがある。
今日の試合では9回表に逆転タイムリー。去年も逆転サヨナラツーランを放っているし、一昨年は初回に満塁弾を放った。
あまりにも要所で打ち過ぎている。夏だけで言えば、三高は彼の打撃にやられっぱなしなのだ。
「どうすんよ」
「先生に任せるで」
「先生の判断はいつだって正しいからな!」
「あはははは、勝負しようよ先生! 敬遠なんてつまらないじゃん!!」
選手達の視線と期待が俺に降り注ぐ。
勝負か敬遠か。全ては「先生」と呼ばれる俺に託された。
オカルトを信じて敬遠したとして無死一二塁。
打率だけなら柏原と変わらない鈴木を迎え、仮に送ったとしても一死二三塁で中橋を迎える。
そうなってくるとスクイズとの勝負か。読み合いは得意だけど、セーフティスクイズも踏まえて考えると分が悪い。
この勝負すら四死球になると満塁で駒崎と京田or代打。
打者的には楽になるけど、今度は押し出しのリスクを背負う事になる。
堂前ならアリだが宇治原では怖い。まぁ……そもそも鈴木が送るとも限らないが。
一方、定石通り勝負するとどうなるか。
やはり最大のリスクは勝負強い柏原に打たれること。このパターンで何度もやられてきた。
それに柏原が打って終わりではない。四球より悪い結果になった後、更に後続の打者も続いていく。
ただ、根本の相性で言えば俺は柏原に強い。
去年打たれたのは逆球だったし、一昨年は俺じゃなかった。
そもそも本来の話をするならば、むしろ直感的な鈴木の方が苦手なのだ。
……考えるまでもなかったな。
ここで下す決断は一つしかない。そう思って顔を上げると――。
「勝負するぞ。今度こそ柏原に勝ってトドメを刺そう」
俺は全員に向かってそう言い放った。
無死二塁で敬遠はしない。定石通り勝負して、このピンチを最短で終わらせる。
「おお、勝負かよ」
「そう言うと思ったで。やられっぱなしも癪やからな」
「先生なら冷静に敬遠かと思ったわ」
「いいよいいよ! 打たれても僕まで回せば逆転サヨナラだしね!」
選手達は様々な反応を見せている。
ちなみに最大の決め手は定石だから。長々と考えていたけれど、最終的には原点に戻ってきた。
柏原との相性だとか、柏原と鈴木の比較だとか、押し出しのリスクだとか、そんなものは些細な事だ。
ましてや「最後は勝っておきたい」「柏原を抑えて流れを掴みたい」「都立相手に敬遠とかみっともない」なんてクソみたいな感情論は一切ない。
口ではそれっぽい言い回しをしたけど、この結論に導いたのは定石という言葉だけだった。
定石というのは、一番有効だからそう呼ばれる。
奇策だとか裏を突くだとか、そんな物は上手くいった所で結果論に過ぎない。
だから俺は――定石を信じ続けて結果を出してきた。
野球は確率のスポーツである。
根拠の無い奇策は一切使わない。
例外は確信を得た時だけ。
それが定石をこよなく愛した……俺という男の信念だ。
「いいか、定石通りの選択だからな。通用しなかったら実力不足って事だぞ」
「任せろや。先生も完璧なリード頼むで」
「ったりめーよ。俺を誰だと思ってる」
「先生や!」
「悟り妖怪」
「リード厨」
ああ、クソい……じゃなくて、ここで夏は終わらせない。
春夏連覇は通過点。国体も含めて公式戦無敗で、高校野球史上最強のチームを名実共のモノにする……!
富士谷000 000 002 000 0=2
都大三000 000 101 000 0=2
【富】柏原―近藤、駒崎
【都】堂前、宇治原―木更津