129.思惑の裏に住む男
富士谷000 000 002=2
都大三000 000 101=2
【富】柏原―近藤、駒崎
【都】堂前、宇治原―木更津
真夏の明治神宮野球場には、吹奏楽部が奏でる「Chance三高」の音色が響いていた。
9回裏、同点、そして無死満塁という状況。絶体絶命とも言える場面に、スタンドも大いに盛り上がっている。
「只今のバッターは 8番 荻野くん」
ここで迎える打者は荻野。168cm小柄な強打者が左打席に入る。
彼は本来なら3番を打つ打者だ。パンチ力は十分にあるので、バットにすら当たらない三振で仕留めたい。
「(低めのスプリットからで。これならスクイズでも当てられないっす)」
駒崎の要求はワンバンするスプリット。
タイム時に話し合った通り、覚悟を決めてスプリットと心中する算段だ。
パスボールの恐れもある……が、そこは駒崎を信じるしかない。
「ふぅ……」
俺は息を吐いてから、セットポジションの構えに入る。
宇治原、大島、雨宮に打たれたのは何れもストレート。
もし直球に一点張りしているのなら、スプリットで上手いこと誘い込める筈だ。
一球目、俺は投球モーションから腕を振り抜いていった。
白球は荻野の膝元に吸い込まれていく。そして手元で鋭く沈むと――。
「(ストレート……じゃない!!)」
「ットライーク、スイング!!」
荻野は中途半端なハーフスイングで空振った。
スイング判定が取られて1ストライク。やはりというべきか、チーム単位で直球にヤマを張っていたのだろう。
「(続けましょう。全くついていけてませんよ)」
駒崎の要求は再び低めのスプリット。
俺は即座に頷いてセットに入る。この球を信じると決めた以上、全球スプリットも辞さない覚悟だ。
二球目、同じコースにスプリットを投じていった。
白球は構えた所に吸い込まれていく。荻野は手を出し掛けるも、何とかバットを止めてきた。
「ボール!!」
これはハーフスイングが取られずボール。
駒崎はスイング判定を求めるも、三塁審の両腕は横に広がった。
「(ふぅー……落ち着け俺、打てない球は振っても仕方ないんだ。無死満塁で無得点とかありえないし、元3番らしく工夫しないと)」
荻野は打席を外して呼吸を整えている。
いくら無死満塁とはいえ、ホームゲッツーを打とうものなら全てが台無しだ。
三高の打者としても、重圧なプレッシャーを感じているに違いない。
「(スプリット続けてだいぶ手が出辛くなった筈です。バックドアでカウント取りにいきましょう)」
三球目、駒崎の要求はバックドアの高速スライダー。
打ち気を逸らした所で、枠内に入る変化球でカウントを整える算段だ。
少しでも甘くなったら打たれる。
そう心で覚悟しながら、投球モーションに入っていく。
すると次の瞬間、荻野は唐突にバットを寝かせてきた。
意表を突いたスクイズの構え。
ただ、宇治原はスタートしていない。これはボール球を誘発する為のフェイクだ。
俺は気にせず腕を振り抜いていく。白球は構えた所に吸い込まれると、荻野はバットを引いてきた。
「ボール、ツー!!」
「おお~……」
「入ってないかぁ」
球審の判定はボール。スタンドからは安堵と落胆の息が漏れている。
正直、どっちとも取れる球だった。そして取って欲しかった。
カウントが劣勢になり、思わず溜め息が漏れてしまう。
「タイムで」
と、ここで駒崎は単独でマウンドに向かってきた。
3回の伝令には含まれない捕手のタイム。吹奏楽部の演奏が続行されたまま試合が中断される。
「たぶんスクイズ無いっすね。入れにいきましょう」
「やっぱそう思うよな」
「ええ。1点でいい場面で強攻連発は不自然っす。恐らくですけど……スクイズしないんじゃなくて、出来ないんだと思いますよ」
「そうだな。ま、どのみちもう外せないし入れるしかねぇ」
「ですね。いつも通り構えた所に頼みます」
僅かな時間の中で、駒崎とそんな言葉を交わした。
バントの構えこそ見せてきたが……恐らく三高にスクイズはない。
でなければ、こんな不自然な強攻はしないだろう。
一応、荻野は準決勝で送りバントが1つある……が、逆に言えばそれだけである。
荻野は本来なら木田の前を打つ打者。荻野が送ると木田は敬遠されてしまうので、常に強攻を強いられている打者だった。
「……プレイ!!」
球審が試合再開を告げると、荻野はサインを確認してからバットを構え直した。
カウントは2ボール1ストライク。次のストライクを狙ってくる可能性は十分にある。
「(枠内に入るスプリットで。先ずはカウントを有利に戻しましょう)」
四球目、駒崎は枠内に入るスプリットを要求してきた。
ウイニングショット連投の力業。もうカウントに後がないので、決め球で強引に打ち取るつもりだ。
「柏原たのむ抑えてくれええええ!!」
「荻野ー! センターフライでいいぞー!」
スタンドから歓声が響く中、俺はセットポジションの構えに入る。
それと同時に、三高の走者達は緩やかな動きでリードを取った。
あわよくば内野ゴロでホームゲッツー。
そんな思いを胸に、俺は左足を上げて投球モーションに入る。
あとは駒崎が構えた所に投げるだけ。
そう……本来であれば、それだけの筈だった。
しかし――。
「は、走ったぁ!!」
「わあああああああああああああああ!!」
次の瞬間、三高の走者は一斉にスタートを切ると、荻野は再びバットを寝かせてきた。
意表を突いたスクイズ敢行。スクイズを捨てた直後だっただけに、思わず目を丸めそうになってしまう。
大島のバスター、雨宮の強攻、そして荻野のスクイズ。
全て思惑の裏を突かれた。とても偶然とは思えない。
いや……偶然ではなかったのだ。
俺達は忘れていた。人間の心を見透かして、的確に心情を汲み取り、偶然を必然にする男の存在を。
「(あばよ富士谷。俺にここまでさせた事は褒めてやるよ)」
右投手の死角になっている背面……一塁側ベンチでは、木更津健人が嘲笑っている気がした。
富士谷000 000 002=2
都大三000 000 101=2
【富】柏原―近藤、駒崎
【都】堂前、宇治原―木更津