125.欲
富士谷000 000 002=2
都大三000 000 10=1
【富】柏原―近藤、駒崎
【都】堂前、宇治原―木更津
9回表、二死二塁。
尚も追加点のチャンスだったが、鈴木はファーストゴロに打ち取られた。
やはり宇治原を打つのは容易ではない。無理して良かったと痛感させられる。
「柏原さん」
「おう」
俺は三塁側ベンチの前まで戻ると、吉岡から水色のコップを受け取った。
そういえば……恵から差し出されるコップは必ず水色だったな。
最近は琴穂が多かったので、なんとなく懐かしさを感じてしまう。
「かっしー……」
「大丈夫、柏原なら抑えるよ。今までもそうだったろ」
ふと三塁側スタンドを見上げると、恵が不安そうな表情で祈っていた。
その横では夏美が励ましている。よし、まだ恵は倒れてないみたいだな。
「(ふへへっ……私の竜也めちゃかっこよかったっ!)」
一方、琴穂はベンチでニコニコと笑みを浮かべている。
俺の天使は相変わらず最高に可愛い。その笑顏を奪わない為にも、9回裏を0に抑えて全てを終わらせる。
『9回裏 都東大学第三高校の攻撃は 4番 サード 木田くん。背番号 5』
9回裏、都大三高の攻撃は、世代最強打者とも名高い木田哲人からだった。
高校生らしくない銀髪の男が左打席に入る。それと同時に、吹奏楽部が奏でる「世界で一番頑張ってる君に」の音色が聞こえてきた。
「上柏田くんは優しいね、僕の打席を増やしてくれるなんて! じゃ、好意に甘えて遠慮なくホームランを稼がせてもらうよ!! あはははははははははははははは!!」
木田哲人は高らかに笑い声を上げている。
この男は土壇場でも変わらない。ファッションではなく本物のキチガイだからこそ、気負ったり緊張する事がないのだろう。
「(柏原さん、本当に勝負でいいんですね……?)」
一球目、駒崎は恐る恐る内角高めのストレートを要求してきた。
ここまで全て外の遅い変化だった木田に対して、対極とも言える内角に決まるストレート。
流石の木田も目が追い付かないに違いない。
イニングは既に9回裏。木田はボール球の変化球も長打にしている。
出し惜しみは必要ないし、逃げても無駄なのは理解した。最後くらい天才に勝って引導を渡す。
「(あーあ、僕が打っても同点止まりかぁ。サヨナラがよかったなぁ!)」
俺が投球モーションに入ると、木田は予想通り大袈裟に踏み込んで来た。
お構いなく内角目掛けて腕を振り抜いていく。白球は構えた所に吸い込まれると――木田はピタリとバットを止めてきた。
「ットライーク!!」
「おおー! 木田と勝負かよ!」
「ええええ!? 敬遠でいいって!!」
146キロのストレートが決まってストライク。
逃げてきた今までとは一転、果敢に内角を攻めた一球に、スタンドもザワザワと騒がしくなっている。
「へぇ……天才の僕と勝負してくれるんだ。そうこなくっちゃね♪」
その一球を見て、木田は不敵な笑みを浮かべながら、舌を出して舐めまわしてきた。
余裕を見せている……が、意表を突いた一球でワンストライク。例え木田といえど付け入る隙は十分にある。
「(外のスプリット……ですよね。この勝負は柏原さんに託しますよ)」
二球目、駒崎の要求は外角低めのスプリット。
内角を見せた後に遠い球を振らせて、空振りないしファールを狙う算段だ。
もう最後だし何も出し惜しまない。
高校生活の全てを出し切るつもりで、俺は外角低めにスプリットを投じていく。
白球は構えた所に吸い込まれると、その瞬間――。
「(やっと来たね。3年間、ずーっとこの球を待ってたよ♪)」
木田は迷いのないスイングで掬い流してきた。
捉えた打球はレフト方向に大きく上がっている。やがてポールの外側に切れていくと、外野スタンドの上段でワンバウンドした。
「おおお~」
「あぶなかったぁ」
「すげぇファール……」
判定は当然ながらファール。
あまりにも大きい大飛球に、スタンドからも安堵と落胆の息が漏れている。
ただ、これで追い込んだ。史上最強の高校生とまで言われた木田哲人を。
「(木田さん相手に半端な変化球は投げるだけ無駄っすよね。ストレートで決めましょう)」
三球目、駒崎は内角低めのストレートを要求してきた。
外の後に近い球で振り遅れを狙う算段。カウントにも余裕があるので、ボールになる球で勝負したい。
これで打ち取れたら、此方としても願ったり叶ったり。
それくらいの気持ちで、内角低めのボールゾーンにストレートを投げ込んでいく。
しかし――。
「ファール!!」
「おおおお~!!」
「またポール際!!」
木田は147キロのストレートを、軽々とライトスタンドの上段まで運んでいった。
これも僅かにポールの外でファール。カウントは依然として投手有利だが、木田も俺の球を捉えている。
「もうスプリット以外はファールにするからさ、素直に決め球で勝負しようよ柏梨田くん! あんまりしつこいと他の球でもホームランにしちゃうよ?」
木田は余裕たっぷりの表情で煽ってきた。
勿論、こんな挑発には乗らない。まだボール球を存分に使えるので、枠から離れた球で勝負していく。
「ファール!!」
四球目、内角を抉る高速スライダー。
打球は一塁側スタンドの遥か上を超えていった。
「ファール!!!」
五球目、ワンバウンドする外のスクリュー。
これは三塁側ベンチに飛び込む打球でファール。
そして――。
「ファール!!!」
「ひぇ~!」
「あっぶねぇ……」
六球目、内角高めのストレートは、ライトのポールを僅かに逸れる形でファールになった。
宣言通りの全球ファール。明らかなボール球もあったというのに、ご丁寧にファールを打ち分けている。
「ね、これで分かったでしょ? もう柏矢倉くんはスプリットで勝負するしかないんだよ♪」
「ちょっとキミ流石にうるさい」
そう高らかに宣言する木田は、流石に喋り過ぎたのか球審に注意されていた。
とはいえ発言の中身は否定できない。彼は露骨なボール球でも、構わず捉えて意図的にファールにしている。
まさに木田哲人に泳がされている状態。
これ以上、威嚇ファールに付き合っても球数が増えるだけだ。
となると、かくなる上は――。
「(ウイニングショットを信じましょう。シングルまでならこっちの勝ちっすよ)」
七球目、駒崎の要求は内角のスプリット。
こうなったら、お望み通りスプリットを投げるしかない。
「(柏原くんが壊れるまでファール打っても良いんだけどね。その方が宇治原くんや大島くんは喜びそうだし)」
木田は不敵な笑みを浮かべながらバットを構える。
狙いは内角ギリギリ、ベース上くらいでワンバウンドする球。
このコースであれば、流石の木田でも長打は打てない筈だ。
少しでも高めに浮いたら持っていかれる。
それくらいの覚悟を持って、俺は投球モーションに入っていく。
やがて腕を振り抜こうとすると、その瞬間――。
「(ま、流石にスプリットだろうね。僕に決め打ちさせたのは君が初めてだよ。そこだけは評価してあげる♪)」
木田はステップを踏んで、バッターボックスの前に移動してきた。
狙い球なんて絞らない、来た球を打つだけの木田哲人が、スプリットに一点張りした前進ステップ。
意表を突かれた俺は、思わず目を丸めそうになってしまう。
ただ、ここで弱気になったら終わりだ。
打てるもんなら打ってみろ。それくらいの気持ちで、全力で腕を振り抜いていく。
もう後戻り出来ない以上、技量と気迫で勝るしかなかった。
白球は構えた所に吸い込まれていく。
やがて手元で鋭く沈んでいくと――木田はフォームを崩されながらも、右手だけで掬い上げてきた。
「わあああああああああああああああああああ!!」
「こ、これは伸びるぞ!!」
木田は片手ながらも綺麗に振り抜くと、打球はライト方向への大きなフライになった。
切れるか切れないか、柵を越えるか越えないか際どい当たり。
異次元過ぎるバッティングを前に、スタンドからも大歓声が沸き上がっている。
「えっ……?」
「(き、切れるよな?)」
「(越えない……はず……!)」
三塁側ベンチでは、琴穂が不安そうな表情を浮かべている。
他の選手達も目を丸めて、驚きのあまり言葉を失っていた。
「これは入るやろ!!」
「は、入ってくれええええ!!」
「頼む……俺達には野球しかねーんだよ……!」
一方、都大三高の面々は祈り続けている。
ネクストバッターサークルの宇治原も、中腰になって打球の行方を追っていた。
「切れろ!」
「入れ!!」
「どっちだ!?」
両チームの選手や関係者が見守る中、滞空時間の長いフライはライトのポール際に迫ってきた。
堂上は既にクッションに右手を付いている。ファールか、ホームランか、フェンス直撃か、或はフライアウトか。
運命の瞬間は直ぐそこまで迫っていた。
「(みんな心配性だなぁ。僕がしくじる訳ないのに)」
ホームランを確信して歩いている木田、明暗が読めずに固唾を飲み込む両軍の選手達。
果たして打球の行方は――。
「……ほらね、また僕が勝った。敗北が知りたい」
打球はライトのポールに当たると、その瞬間――木田は静かに右腕を突き上げた。
富士谷000 000 002=2
都大三000 000 101=2
【富】柏原―近藤、駒崎
【都】堂前、宇治原―木更津