106.定石のセンター返し
富士谷000 000=0
都大三000 000=0
【富】柏原―近藤
【都】堂前―木更津
日陰が増えつつある明治神宮野球場には、吹奏楽部が奏でる「さくらんぼ」の音色が響いていた。
『5番 ピッチャー 柏原くん 背番号1』
7回表、一死一二塁。
俺はバットの真ん中を握りながら、ゆったりした動きで右打席に向かう。
やがてバッターボックスの前に立つと、一礼してから石灰で描かれた白線を跨いだ。
「(ここで柏原かよ。打順変更ドンピシャじゃん。ほんと持ってねぇな畜生……!)」
堂前は険しい表情で汗を拭っている。
彼にとっては本日初、そして今大会最大のピンチだ。
きっと精神的にも効いているに違いない。
「(この試合の1点はデカすぎる。柏原も長打は狙わねーだろうし前でいい)」
一方、木更津は冷静に外野前進を指示していた。
二塁走者を返さない覚悟。逆に言えば、長打さえ出れば一挙2点が入る布陣である。
ここで大きいのが出れば決定的だが――堂前から長打を見込めないのも事実だ。
荒れているのを差し引いても狙いは絞り辛い。やはりというべきか、甘めの球をコンパクトに振り抜く打撃が求められる。
現実的な理想はセンター返し。
内にも外にも対応できるし、中に入ってきた球ならより打ち易い。
弱肩の篠原に打球を捕らせて、ヒット1本で津上を返せれば100点だ。
「(フロントドアから入るぞ。打たれても宇治原のとこならホームには帰れねぇからな)」
「(へいへい。もう首は振りませんよっと)」
一球目、堂前は1つ目のサインに頷くと、セットポジションから腕を振り抜いてきた。
速い球は俺の体に迫ってくる。ただ、堂前のコントロールを考えたら死球は絶対にない。
俺はそう確信すると、バックドアの高速スライダーに合わせてバットを振り抜いた。
「ファール!!」
「おおー……」
高々と上がった打球はバックネット裏に飛んでファール。
狙いは完璧だったが……咄嗟の反応だったが故に少し反応が遅れたな。
けど惜しいスイングでもあった。あの凶悪なバッテリーに対応できている。
定石通りなら次は外のストレート。
ただ、ここで変に絞ると察してくるのが木更津という男だ。
だから狙いは絞らない。あくまでコースは広く取って、センター返しを心掛けていく。
「(カウント有利だしな。得意のアレそろそろ決めるぞ)」
「(了解。ここ抑えりゃ勝ち確定だし全力で行く)」
二球目のサイン交換も秒で終わった。
堂前はセットポジションに入ると、綺麗なスリークォーターから腕を振り抜いていく。
放たれた球は――外角低めのストレート。俺は手が出かかるも、なんとかギリギリでバットを止めた。
恐らくコースは僅かに外れている。
仮に打ったとしても、難し過ぎてヒットにできる球ではない。
ただ、それでも木更津は枠内でミットを止めていた。
機械判定ならボールであろう球。果たして、球審の判定は――。
「ットライーク、ツー!」
「おおおおおおおおお!!」
「149キロ! まだまだ元気あんじゃん!」
ストライクが宣告され、あっと言う間に追い込まれてしまった。
これが堂前の緻密なコントロールと、木更津のキャッチングの合わせ技。
この大一番で決めてきたな。敵ながら感心してしまう。
さて……これで際どい所も見逃せなくなった。
届きそうな球は全部打つ。凡退するようならそれまでだ。
「(外スラからのインで。テンポ良く頼むぜ)」
木更津はミットを叩くと、堂前はセットポジションから投球モーションに入った。
速い球は外角低めに吸い込まれていく。これは入る――と思ったのも束の間、白球は手元で鋭く逃げていった。
枠内から枠外へ逃げる高速スライダー。
先程、外の際どい所でカウントを取られたが故に、手が出やすくなっているコースだ。
何とかバットを止める俺、右手を回してスイング判定を求める木更津。
果たして球審の判定は――。
「ボール!」
「おお〜……」
ボールが宣告されると、スタンドからは安堵と落胆の息が漏れた。
ただ、そう安心してもいられない。木更津は素早く返球し、堂前は最低限の静止でセットに入ろうとしている。
地味に厄介な高速テンポの超クイック。
堂前は腕を振り抜くと、ストレートは内角低めに吸い込まれていった。
テンポと制球を重視した分、球速は抑えられているが……これはフレーミング次第じゃ枠に入る……!
「ファール!」
俺は咄嗟にカットすると、打球はバックネットに飛んでいった。
くそ、いちいち心臓に悪いな。とても疲労で荒れているとは思えない。
カウントは依然として1ボール2ストライク。
そろそろチェンジアップが来そうだが――この手の読み合いには散々負けてきた。
狙いは最後まで変えない。ボールになる変化球を警戒しつつ、打てそうな球をセンターに運ぶ。
「(……津上のはテキサスだったしな。ボールでもいい、ここまで捉えられてないチェンジいくぞ)」
「(よっしゃ得意球だ。これで決める!)」
そして迎えた五球目、バッテリーのサイン交換は秒で終った。
堂前はセットポジションの構えに入る。そして投球モーションに入ると、俺は左足を引いてテイクバックを取った。
「(頼む……空振ってくれ……!)」
堂前は鋭く腕を振り抜いていく。
初動は内角のストレートに見える球。俺は引き付けてからバットを出すも、ブレーキの掛かった球は深く沈んでいった。
ここで決め球のチェンジアップ。
まんまと手を出してしまったが――引き付ける意識があったが故に、タイミングは辛うじて合わせられそうだった。
そして……このコースは……堂前にしては僅かに甘い……!
「わあああああああああああああ!」
「(なっ……嘘だろ……!)」
俺はコンパクトに掬い上げていくと、打球は二遊間の頭上に飛んでいった。
両スタンドから大歓声が沸き上がる。木更津は素早くマスクを外し、バックホームに備えていた。
「(くそ……届け……!)」
「(……これは届かねぇな。ホームで殺す)」
ショートの荻野は飛び上がり、セカンドの町田は早々に諦めている。
やがて白球は荻野のグラブの先を超えると、センターの篠原は合わせるように足を止めた。
果たして白球の行方は――。
「フェア!!」
富士谷000 000=0
都大三000 000=0
【富】柏原―近藤
【都】堂前―木更津