54.取捨選択
決起集会の翌日、俺は2年6組の教室を訪れた。
夏休みで寂しくなった教室では、既に何人かの部員が腰を掛けていて、何やら少しだけ騒いでいる。
「こっちでも記事になってるよ」
「お、柏原のインタビュー載ってるぜ!」
そう言って携帯を見せてきたのは京田だった。
なんてことはない、都大三高に勝利したという事実が、ネットやスポーツ紙で記事になっていたのだ。
「ああ。やっと注目されてきたって感じがするな」
適当な言葉を返して、記事のタイトルに目を通してみる。
『サイドスローからスプリット!? 異色の1年生・柏原が先制満塁弾&4回5K1失点で三高斬り!』
自分で言うのも変な話だが、素晴らしい見出しだな。
ちなみに、東山大菅尾の時は「東山大菅尾、初戦で破れる」が中心で、後は因縁がある孝太さんの記事が載ったくらい。
ここに来てようやく、富士谷という高校がメディアから注目され始めた。
「僕はこの都立旋風ってのが好きだなぁ」
「確かに。ここまで都立にチャンスありそうな年もないしね」
野本と渡辺がそう続ける。
準々決勝には3校の都立が残った。比野高校、昭成高校、そして富士谷高校。
都大三高、早田実業の2強も不在であり、世間では「約30年振りに西東京から都立が出るのでは?」と期待が寄せられていた。
尤も――正史通りなら、比野と昭成はココで消える。
つまり、世間の期待を実現できるのは、この富士谷以外に無いという事だ。
「よし、みんな集まったね。始めようか」
そう言って教壇に立ったのは孝太さん。
気付けば、指導者を含めた部員全員が教室に集っている。
ここに集まった理由は他でもない。準々決勝に向けてのミーティングを行う為だ。
「先ずは相手確認。第三シードの都大二高だけど……流石に知らない人はいないよね」
都東大学第二高校。
コンスタントに上位進出する力があり、偏差値も70を越えている文武両道の強豪校。️
野球推薦や特待の類いは無いが、附属中学が軟式野球の強豪で、その選手達を中心にチームを仕上げている。
「都大二高といえば、三高にも劣らない強力打線。今年は早田実業や東栄学園もコールドで下してるし、簡単には抑えられないと思う」
都大二高は伝統的に打力が高く、打線だけなら西東京トップクラスとも名高い。
それは今年も例外ではなく、中野区の強豪・東栄学園や、谷間とはいえ早田実業をコールドで破った。
「それから忘れちゃいけないのが、西東京No.1右腕とも言われている横山達平だね。MAX146キロのストレートに加え、縦のスライダーを投げるよ」
そして――今年の都大二高を象徴する選手が、西東京No.1右腕とも名高い横山さんだ。
カタログスペックも然ることながら、大崎さんのようなスタミナ不足も、吉田さんのような立ち上がりの不安もない。
非常に完成度の高く、隙らしい隙がない好投手と言えるだろう。
「じゃ、何か具体的な対策とか、注意すべき点がある人」
続けて、孝太さんは俺達に意見を求めた。
「いや……強力打線に最強投手って、それもう西東京最強ですよ。対策とか無くないですか……」
「いやほら、近くから投げた球を打つとか、他に知ってる選手とかさ……」
阿藤さんが弱音を吐くと、孝太さんは困惑気味に言葉を返した。
東京トップクラスの打線に西東京No.1右腕。この文字だけを見れば、西東京最強のチームだと錯覚するのも無理はない。
ただ――俺と恵は知っている。
この都大二高、正史では東山大菅尾に破れている事を。
正史の準々決勝、両チームは控え投手を先発させた。
都大二高は1年生左腕の折坂、東山大菅尾は同じく左腕の大林さん。
しかし、序盤から点の取り合いになると、お互いに次々と投手を代えていった。
東山大菅尾は板垣さん、鵜飼さん、小野田さん。
都大二高は大野さん、直江さん、工藤さん。
お互いにエースを出し惜しんだ結果、試合は7回終了時点で9対9となった。
その際、都大二高は20近い安打を放ったのに対し、東山大菅尾はその半分くらいだった。
この数字の差というのが、都大二高の伝統的な弱点を物語っている。
走塁守備が粗く、暴走による走塁死や失策による被出塁が多い。だから出塁ほど点が入らず、少ない被安打で失点が嵩む。
そして――。
「あくまで自分の読みですけど、横山さんは登板しないと思います。なので他の投手に対策を絞って、乱打戦に持ち込みたいですね」
俺がそう提案すると、恵が笑みを溢した。
試合の明暗を分けたのは、エース登板の有無。
東山大菅尾は8回から大崎さんを投入し、2回を1失点。
対して都大二高は、外野に下げた大野さんを再登板させて、最終回に2点を失った。
つまり、噂の横山さんは最後まで登板しなかった。
いや――登板できなかったと言うのが正しいか。
「竜也が言うならそうなんだろうけど……理由を聞いていいかな」
「たぶん……いや間違いなく、横山さんは怪我してるからですよ」
俺は得意気に断言した。
正史の横山さんは、早田実業戦の最中に肉離れを起こし、好投していたにも関わらず5回途中くらいに降板している。
それは今回も変わらない。高校野球の速報サイトによると、横山さんは4回1/3で交代していた。
「確かに、早田実業相手に4回1/3を1失点の内容、それも点差が開く前に降板しているのは怪しいね。けど、足がつっただけかもよ? 実際、掲示板にはそう書いてあるし……」
孝太さんは少しだけ難色を示した。
無理もない。横山さんの肉離れが明るみに出るのは、準々決勝で敗戦した後の話だ。
現時点では「ちょっと足がつっただけ」という建前で通している。
主力投手の怪我というのは、どの高校も可能な限り隠す傾向にある。
その情報だけで相手に自信を与えてしまうし、対策する投手を絞られてしまうからだ。
「もし読みが外れたらヤバいよなぁ」
「けど、出てこない投手の対策をしても……」
他の選手達からも、チラホラと不安げな声が漏れ始めた。
俺は未来を知っている。ただ、それを証明する事はできない。
結局、俺の発言は「憶測」と捉えられてしまうのだ。
「私もかっしー……柏原くんに同意します」
悶着が続く中、そう声をあげたのは恵だった。
「谷間とはいえ格上の早田実業相手に、打っても5番の大エースを、そう簡単にベンチまで下げるとは思えません。
それに――万が一でてきたとしても、付け焼刃の対策で打てる投手でもないと思います。ならいっそ、捨ててもいいんじゃないかなって」
恵はそう語ると、瀬川監督は顎を擦りながら頷いた。
勿論、恵は「万が一」が起こらない事を知っている。
これは選手達を納得させる為の方便に過ぎない。
「あー確かに。結局、吉田さんですら打てなかったしなー」
「元々、僕達のほうが格下だし、可能性の高い戦略に賭けるってのはアリだね」
「つーかうちのマシン、140ちょいまでしか出ないしな……」
選手達から同意の声があがり始めた。
恵は本当に頼りになる。堂上が「俺は妥協するつもりなどない」とか言ってるけど、コイツは本当にブレないな。
「なるほどね……よし、じゃあそうしよう。ちなみに控え投手の情報は?」
「任せてください、5番手まで把握してますよ」
「さすが竜也、後で頼むよ」
選手達の意見が纏まった。
恵を溺愛している瀬川監督は勿論、畦上先生も納得の様子だった。
この二人は選手の意見を尊重してくれるから話が早い。
もし他の高校だったら、ここまで上手く正史を利用する事はできなかっただろう。
それから、グラウンドでは打撃練習を中心に行った。
都大二高の控え投手は、俺の知る限りだと計4人。
彼らの特徴に合わせて、マシンや打撃投手を設定する。
先ずは正史の先発、折坂から。
現時点ではMAX120キロ台後半くらいの左腕。
富士谷は右打者が多いので、彼の攻略には苦労しないだろう。
続いて2年生右腕の大野さん。
上背は無いが、MAX136キロの速球と縦カーブを投げる。
オーソドックスな右腕で、変な癖もないので対策は立てやすい。
上記二人はマシンで再現して、徹底的に打ち込んだ。
残りの二人は工藤さんと直江さん。
工藤さんは極端なインステップの右腕、直江さんは右のアンダースロー。
どちらも癖はあるが、投げている球は大した事がない。
この二人に関しては、インステップで横投げの俺が、少しだけフォームを変えて再現した。
そして、それでも不安という選手には、17mくらいの距離から最大出力のマシンを打たせてみた。
縦スラは再現できないので諦める。何はともあれ、次の試合で大事になるのは、次々と代わる投手に戸惑わない事となる。
マシンや打撃投手を使った再現練習は、実を言うとあまり好きではない。
結局のところ実物とは異なるし、もし雨天順延で連戦になった時に、不利になる場合があるからだ。
例えば、4回戦で150キロ右腕、中2日の5回戦で変則左腕と当たるとする。
再現投手で対策を立てるなら、当然ながら150キロの球を打ち込み、勝利した後に変則左腕の対策を取る事となる。
これが雨天順延が続いて連戦になった場合、150キロ対策をして、かつ150キロ右腕と対決した後、まともに練習もできぬまま、変則左腕と対決する事になるのだ。
そうでなくても、予想外の投手で奇襲を掛けられた場合、一点張りの対策は無駄どころか仇となる。
究極の理想で言えば、普段通りの練習をして、実力で捩じ伏せるのが望ましい。
ただそれは極論に過ぎないので、色んなパターンを想定しつつ、一点張りを避けた再現練習をするのが望ましいだろう。
「ま、私達は順延もある程度は把握してるんだけどね」
練習後、恵と喫茶店を訪れて、そんな話をした所だった。
「それで……乱打戦に持ち込むって言ったけど、都大三高みたいに抑え込むのは厳しいの?」
「やってみなきゃ分かんないけど、まあ無理だと思ったほうがいいだろ。俺は転生者と言っても体は1年生だし、孝太さんはもう投げられないからな」
乱打戦と断言したのには理由がある。
都大二高には、木田のような突出した打者はいないものの、チーム全体の打力で言えば東山大菅尾や都大三高よりも上だ。
そして、暴走の多い走塁に関しても、富士谷の脆い守備の前では積極的な走塁と化す。
孝太さんも投げられない以上、4点以内で凌ぐのは難しいだろう。
「そっか。じゃ、こんなもんかな」
「待て。今回は隠してる作戦とかねーよな?」
俺は少しだけ恵を睨んだ。
ずっと確認したかった事がある。それが雨天コールド作戦の事だ。
俺は事前に聞いていなかった。けど、瀬川親子は密かに狙っていた。
知っていたら、俺も序盤から協力できたのに。
「あー、言うと思った。もうないよ、あれはとっておきだったから」
「とっておきって……教えてくれりゃよかったのに」
そう指摘すると、恵は得意気に笑った。
「かっしーは性格悪いからね~。言ってたら露骨に時間稼ぐでしょ~?」
「そりゃー勿論。100回くらい牽制入れてやるよ」
「ほらぁー! けどさ、それで7回成立前に中断されたり、時間ばっかり気にして集中できなくなったら嫌だなぁーって」
恵がそう語ると、俺は「なるほどね」とだけ返した。
「やっぱさ、私も試合に貢献したいんだよね」
「もう十分してるだろ、選手集めたのもお前なんだし」
「違うんだって! 私は試合中に貢献したかったの! 実際、私のタイムキーパーは上出来だったでしょ?」
ドヤ顔の恵に、俺は「はいはい」と適当にあしらった。
恵には少しだけ頑固な部分がある。そういう所は子供っぽくて、可愛いげがあるようにも思えた。
「じゃ、今度こそ終わりかな」
「あともう一つ。今更だけど、なんで卯月に記録員を譲ったんだよ。お前がベンチに居たほうが、ああいう場面で意思の疎通しやすいだろ」
「えー、だってマネで一番頑張ってるのはなっちゃんじゃん? そこは譲らないとね~」
ちなみに余談だが、スタンドから選手への指示は禁止事項である。
まあ……恵の場合、マネージャーの声援としか思われないのだろう。
そんな事を思いながら、俺達は喫茶店を後にした。
最近、一話あたりの文字数が多く見えるのは気のせいじゃないです。
できるだけ短くまとめられるように努力します……!