53.決起
ボウリングへと移行する頃、ようやく琴穂も合流した。
服装は白のポロシャツに紺色のミニスカート、紺のハイソックスを膝下まで――って、見慣れた学校の制服だった。
恐らく、恵以外の人間は制服だから、浮かないように合わせて来たのだろう。
「ごめん! 遅くなっちゃった」
「ああ、待ちすぎて死ぬかと思ったわ」
「命かかってたの!?」
何で遅くなったの、とは聞かなかった。
理由は何となく察せる。シャワーや食事に加え、化粧もしていたのだろう。
とは言っても、素の顔とそんなに違いはない。
ただ、頬に少しだけ赤のチークが入っているのは、化粧エアプの俺でもわかる。あと涙袋、これは恵の影響だろう。
学校でも同じメイクなので、いまさら新鮮味を感じる事でもないけれど、ただ一つ言える事は、琴穂はいつも通り可愛いという事だった。
「よしっ! じゃ、チーム決めよっか!」
シューズを借りる前、恵がそう提案してきた。
3対3に分かれて、レーン合計で競うつもりらしい。
「ってか、試合後にボウリングかよ」
俺は不満げに言葉を漏らす。
大会期間中、それも登板後に、あの重い球を転がすなんて、強豪私学では考えられない暴挙だ。
「大丈夫、腕は2本あるでしょ」
「左で投げろってか……」
「あ、私も利き手で投げられないかも」
ちなみに、孝太さんと同じく琴穂も左利きだ。
例の怪我は完治してないので、まだ左手で投げるのは厳しい。
すると恵は、
「あー、そっか。じゃあ二人は分けたほうが……」
なんて言い出したので、俺は右腕を回しながら、
「ま、右手でやるけどな。さっき不戦敗だし」
と言って、堂上に視線を向けた。
「ほう……ようやくやる気になったみたいだな。面白い、今日こそは完全勝利を納めてやろう」
堂上は無表情のまま、指の音をボキボキと鳴らした。
恵と卯月が目を細めている。わかりやすいなぁ、とか思われてるのだろう。
そんな経緯もあって、無難に籤引でチームを決めた。
俺は琴穂と鈴木、堂上は卯月と恵を率いる事となり、しょうもない一戦は幕を開けた。
先頭投者は鈴木と堂上。
鈴木はカーブを投じると、ピンは全て倒れてストライクとなった。
さすがチャラ男。印象通りと言うべきか、流石に遊び慣れているな。
「ずっきー凄いっ!」
「いえーい! まー余裕っしょ!」
鈴木が右手を出すと、琴穂が控え目に手を合わせていた。
なるほど、琴穂と合法的にハイタッチできる訳か。俺も10本倒すしかないな。
一方、堂上は破壊力のある真っ直ぐでストライク。
この男は本当に何でもできる。何事においても負けたくない、という心構えが原動力になっているのだろう。
「やるじゃん堂上!」
「いいね~、これは勝てそうだね~」
堂上が女子二人に囲まれていた。
俺も男なので羨ましく思う部分もあるけれど、琴穂さえいればそれでいい。
続いて俺と卯月。
とにかくスペアでもいいから10本倒したい。
そうすれば琴穂と手を交わせる。正直、この為だけに投げると言っても過言ではない。
ちなみに、正史における大学時代のアベレージは170くらいだ。
体は16歳に戻っているが、頭ではその感覚を覚えているので、たぶん130くらいは狙えるだろう。
ほぼ真ん中、少しだけ逸れた位置を狙って、俺は真っ直ぐを投じた。
ボールはほぼ真ん中に吸い込まれていくと、ピンは心地好い音を立てながら、10本全て弾け飛んでいった。
「ひゅー! さっすが俺達のかっしー!」
先ずは鈴木と右手を交わす。主力なだけあって手の平は硬い。
彼はチャラチャラしているように見えるが、家でもバットを振り込んでいるのだろう。
……まあどうでもいいな。それよりも次だ。
「ふふっ、かっしーは何でもできるねっ!」
琴穂は控え目に跳ねながら、小さな右手を出してきた。
俺も合わせるように右手を出す。小さくて柔い手が、マメで硬くなった手の平に触れた。
正史では遊んだ事すら無かった中で、俺は今、琴穂と右手を交わしている。
いい、凄くいい。小さくて柔らかい手の感触は、一生忘れないかもしれない。
その後、卯月は1本と8本で計9本を倒した。
一投目こそ逸れたが、二投目で修正してくるあたり、運動神経と適応力の高さが窺える。
最終スコアは100を越えるかもしれない。恵と卯月には30点、琴穂には50点のハンデがあるので、俺との差はそこまで大きくならないだろう。
三人目、琴穂と恵。
この二人の実力差が、チームの勝敗を大きく左右するに違いない。
先ずは琴穂。
慣れない右手から、ゆったりとしたフォームで8ポンドの球を投じた。
凄まじく遅かったが、球は真ん中に吸い込まれていくと、ピンは両端1本ずつを残して計8本が倒れた。
「あっ、難しいやつだ……」
「いやいや、右手でそれなら十分っしょ!」
「ああ、さすが琴穂だな」
俺は右手を出すと、再び手肌が触れ合った。
うん、何度やっても最高だな。どんなに遠くなっても良いから、この手を握り合える日が来ると信じたい。
「ふふっ、残念だけど、今日は堂上が勝っちゃうね」
そんな俺達を見て、恵が笑みを溢した。
先程、プロのような美声を披露した彼女は、一体どんな球を投げるのだろうか。
恵は9ポンドの球を選ぶと、胸の位置まで持ち上げた。
2回ほど頷くと、助走を付けながら右腕を後ろに引く。
そして――。
センスの欠片もないフォームから放った球は、僅か2秒で溝に落ちていった。
「……」
「ちょ、恵ちゃんそれはないっしょ!」
恵は固まったまま苦笑いを浮かべた。
鈴木はゲラゲラと笑っている。俺も必死に笑いを堪えた。
ガーターは仕方ないにしても、フォームがあまりにもダサすぎた。
「ふふっ……ごめん、錘を外すのを忘れてたね」
恵はそう言ってロンTを捲ると、ポケットからアイフォンを取り出した。
うるせえ、それ何グラムだよ。だいたいお前、いま誰よりも楽な格好してるからな。
琴穂の二投目がミスで終わると、再び恵の番が回ってきた。
本気モードを自称する彼女は、禁断の両手掴みで転がすと、ボールは再び溝に吸い込まれた。
「恵マジかよー! あははは!」
「いやいやいや、下手くそすぎっしょ!」
「ふふっ……めぐみん可愛い~」
卯月と鈴木が爆笑している。琴穂も少しだけ笑みを溢していた。
「ふむ……これは意外だな。まさか恵が運動音痴だったとは」
「ああ。意外というか、弱点あったんだなぁ」
「い、いやー、ダンスとか水泳なら得意なんだけどなぁ~……えへへ……」
堂上と俺が言葉を交わすと、恵は恥ずかしそうに笑顔を浮かべた。
まあなんにせよ、彼女も無敵の超人という訳ではないという事だな。
「ってかボール重すぎない!? もっと軽いのないの!?」
「えぇ……これより軽いのは子供用だぞ……」
「え! この8のやつ子供用だったの!?」
「琴穂は手が小さいからな、まあいいんじゃね」
「よくないよっ! 私も重いのにするっ!」
と、そんな感じでボウリングの時間は過ぎていった。
結局、恵が盛大に足を引っ張った事もあり、この対決は俺達に軍配が上がった。
※
その後、ランドシックスを後にした俺達は、焼肉屋「牛端」の府中店を訪れた。
「いやー、何かすいません。タダ飯だけ食いに来ちゃって」
「お前ら元気だなぁ。ま、試合に支障が出なきゃ任せるけどよ」
そう言ったのは、夕食の直前に合流した野本と、最近全く出番の無かった畦上先生だった。
ちなみに、夕食は畦上先生の全額負担。つい先程までは、瀬川監督とその辺で飲んでいたらしい。
「しかし……もっと早く来れなかったのか? 野本がいれば結果も違っただろうに」
「僕がいたら人数半端にならない?」
「案ずるな、恵は審判でいいだろう」
「ちょ、ボウリングに審判いらないでしょ!」
堂上と野本の会話に、恵が珍しく突っ込むと、皆して笑みを溢した。
「つーかマジ疲れたわ。次の試合いつだっけ?」
「中2日だね~。けど雨予報だから、もっと先になるかも」
恵の言う通り、実際には雨天順延が続いて中4日となる。
この企画に渋々GOを出したのも、十分に休養が取れると知っていたからだった。
「じゃ、エース様。乾杯の音頭を……」
ふと、恵がキラーパスを放ってきた。
「え、俺がやるの? つーかジュースで乾杯いる??」
「ほう……その言い方だと、普段は別の物で乾杯しているようだな」
堂上がそう指摘すると、恵が足を蹴ってきた。
ああ、事情を知らない人間からしたら、こう解釈されてしまう訳か。これは失言だったな。
鈴木が「うひょー、飲酒野郎じゃん!」なんて茶化して来たが、本当にやらかしてそうなコイツにだけは言われたくない。
「えー、じゃあ手短に」
仕切り直すと、十四の瞳が俺に向けられた。
「先ずは、今日は集まって頂きありがとうございます。部員10人の都立でベスト8、それも東山大菅尾と都大三高に勝てた事は、本当に素晴らしい事だと思います」
そこまで語ると、一部の客が此方を見てきた。
恐らく、彼らは高校野球に詳しい人達なのだろう。
「ただ、これはあくまで通過点。甲子園まで後3勝という事で、本日は祝勝ではなく"決起"の意味を込めて、俺はこのグラスを交わしたいです」
そう続けると、辺りから「ひゅ~!」とか「おお~!」と聞こえてきた。
控え目に言っても恥ずかしい。知らない人達までもがジョッキを構えているから尚更だ。
「まあ、そういう訳で……絶対に甲子園に行きましょう! 乾杯!」
「かんぱ~い!」
合図と共に、部員達は一斉にグラスを掲げた。
ジュースでする乾杯は、何だかチープに感じるけれど、高校生としては正しい在り方なのだろう。
その後、堂上と食う量を張り合ったり、知らないオッサンに絡まれたりしながら、1時間半の食べ放題を満喫した。
余談ですが、恵の制服と革靴は瀬川監督が持ってます。至れり尽くせりです。
ついでに、1年生が分担して持ち帰るヘルメット等の共用荷物については、4回を投げた柏原は免除、鈴木と堂上はジャンケンで勝って今日は無しです。ご都合主義です。