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51.伏兵?

 府中市民球場を後にした俺は、恵との約束――ベスト8進出の祝勝会を行う為、府中本町へと足を運んだ。

 何故わざわざ隣の駅に……とは思わなかった。ただそれ以上に、俺は今の状況に困惑していた。


「じゃー誰から歌うよ?」

「誰でもいいだろう。どんな順番でも点数はかわらん」


 そう言葉を交わしていたのは、鈴木と堂上だった。

 照度の低い暗めの部屋では、大きなディスプレイと小さなタブレットが輝いている。

 大きな机には無数のドリンク。そして――ソファーに腰をかけていた俺は、この状況にただただ困惑していた。


 祝勝会って、二人で喫茶店じゃないのかよ。

 それも試合後にカラオケなんて、正気の沙汰とは思えない。


 今に至るまでの経緯は以下の通りだ。

 試合後、恵の誘いに乗った一部の部員達は、電車で府中本町に移動し、中華料理屋「餃子の将軍」で腹を満たした。

 そして、複合娯楽施設「ラウンドシックス」を訪れると、先ずはカラオケを選択した。


「ふふっ……もしかして二人っきりが良かった?」

「いや全然。微塵もそう思わねーけど」

「えー! もうちょっと残念そうにしてよー!」


 恵が得意気に絡んできたので、俺は適当にあしらった。

 確かに、打ち合わせに無かった雨天コールド作戦の事とか、二人きりの時に言いたい事はあるけど、そんなのは後でもできる話だ。

 それよりも今、もっと残念な事実が一つある。


「琴穂いなくね……?」


 恵にだけ聞こえるように、小さな声でそう漏らした。

 今いるメンバーは俺、恵、堂上、鈴木、卯月の計5人。

 俺の天使こと、金城琴穂の姿が無かったのだ。


「あー、そこは安心していいよ。着替えたりしてから来るって」


 ああ、なるほど。

 着替えを持つ選手達や、ずっとベンチにいた卯月はまだしも、スタンドの琴穂は制服のまま雨に晒されてた訳か。

 ちなみに、恵は持参した私服に着替えている。水色のロンTとショートパンツ(見えないけど)、素足にサンダルという、非常にラフな格好だった。


「それならよかったわ。ちなみに他の奴は?」

「先輩達と陽ちゃん、ゴリくんは帰って休みたいって」


 陽ちゃん……ああ、京田の事か。

 妥当な判断だな。来てる奴が可笑しいまである。


「圭太は帰って高タンパクな食事を取りたいとか言ってたな。晩飯だけなら合流してもいいって」

「ナベちゃんは彼女が厳しいからな~。彼女が知らない女とは遊んじゃダメなんだってよ~」


 卯月と鈴木がそう続けた。

 野本はやっと頭脳派らしい一面を見せたな。

 渡辺は彼女いるのか。羨ましい限りだな、全く。


 そんな事を思っていたその時、室内には「怪盗少女」が流れ始めた。

 俺達は一斉に画面を見る。その横では、マイクを握った堂上が、無表情で立ち尽くしていた。


「「お前がそれ歌うのかよ!!」」


 俺と卯月が同時に叫んだ。

 お前が歌うのは無茶だろ。せめて女子に歌ってもらえよ。


「選曲に時間を掛けても仕方がない。一巡目は自分の応援曲縛りでいいだろう」


 よくねーよ。俺さくらんぼじゃねーか。

 いや、いい曲だとは思うけど、シラフの男が簡単に歌える曲じゃないぞ。


 と、言い返す間もないまま、絶対に笑ってはいけない堂上の怪盗少女が始まった。

 いっそ下手糞であって欲しかったけど、これがまた妙に上手いのが腹立たしい。

 ただそれは決して、女性アイドルのような高い声が出ている訳ではなく、オペラ歌手のような癖の強い低音で歌うのだから、俺は笑いを堪えるので精一杯だった。


「ふむ……92点か。もう少し高いと思ったのだがな」


 歌い終えた堂上は、何事も無かったかのように席についた。

 この採点もおかしい。確かに上手いけど、音程とか1ミリも合ってないだろ。

 

 次の曲は……入ってないな。みんな笑いを堪えるので精一杯だったのだろう。

 琴穂のリアクションも見たかったな。不在なのが悔やまれる。


「卯月、歌っていいぞ」

「やだよ。鈴木こういうの好きだろ」


 堂上はタブレットを卯月に手渡した。

 卯月は鈴木に受け流すが、


「いいけどよー、男女交互のほうが良くね? つーか歌わないとかナシっしょ~」

「じゃ、じゃあ恵が先な!」

「仕方がないなぁ」


 と突き返され、今度は恵に手渡した。

 恵は手際よく入力すると、画面にはCHE.R.RYが表示された。


 恵はわざわざ前に出てから、瞳を閉じてマイクを口元に近付ける。

 その歌声は、安っぽい言葉では表せないくらい美しく、それ以上に感情が籠もっていた。

 ふと、卯月に視線を向ける。ハードルが上がったからか、非常にバツの悪そうな顔をしていた。


 恵の美声が流れる中、俺はコップを片手に部屋を出た。

 ドリンクバーの側まで行くと、そっと壁にもたれ掛かる。


 実を言うと、俺も歌うのは好きじゃない。

 酒があればノリで歌えるが、今の俺は未成年。帰宅部ならまだしも、野球部に不祥事は許されない。

 転生もいい事ばかりではないな、なんて思っていると、


「あっ」


 コップを持ったサイドテールの少女――卯月夏美と目が合った。


「んだよ、柏原もサボりか?」

「"も"って、お前はサボりなのかよ」

「あの後には歌えねーよ。私あんまり上手くないし……」


 卯月は恥ずかしげに目線を逸らした。

 口調は男勝りだけど、こういう部分は凄く女の子らしい。


 暫くの間、なんともいえない空気が漂った。

 スキップできるのは精々一巡だ。終わりまでサボる訳にはいかないし、タイミングを計って戻る必要がある。

 そんな事を思っていると、


「なぁ、このまま他のことしようぜ」


 卯月はそう言葉を漏らした。


「正気かよ。勝手に消えたら反感買うぞ」

「次のボウリングまでだよ。そのとき合流すりゃ大丈夫だろ」

「このあとボウリングも控えてるのかよ……」


 俺は呆れ気味に言葉を返す。

 純粋な高校生は元気だな。実質20代中盤の俺は早くも帰りたいまである。


 まあ、途中で帰る訳にもいかないし、琴穂の歌声が聴ける訳でもないので、俺は卯月の提案に従う事にした。

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