5.堂上という男
野球部に仮入部した俺は、1枚のメモ書きを握り締めながら、1年5組の教室を目指していた。
堂上 剛士と野本 圭太。これから会う生徒の名前だ。
野本の事は少しだけ覚えている。正史では主将を務めていた……気がする。
俺は東東京の球児だったので、富士谷の事はあまり詳しくない。
他に知ってる事と言えば、本来なら中里と杉山という選手がバッテリーを組む事くらいで、堂上に関しては全く記憶になかった。
「っと、失礼しまーす……」
1年5組の教室に着くと、恐る恐る扉を開けた。
あまり人見知りはしないが、アウェーの空間に入るのは苦手だ。
なにやら男女の声が聞こえる。帰宅部で青春しようとしてる連中が騒いでるのだろうか――。
「どーのーうーえー! いいから野球部いくぞ!」
「行かんと言っているだろう」
「堂上くん、諦めて行こうよ。君には野球しかないんだからさ~」
「行かん」
そこにいたのは、椅子に座りふんぞり返っている堂上らしき男と、それを引っ張る男女だった。
※
何とか堂上達を連れ出すと、再びグラウンドに集合した。
ちなみに、残りの2人は見つからなかったらしい。成果あったの俺だけかよ。
「1年5組、野本圭太です。ポジションは外野。個人的な野球観としては機動力を重視しています。その理由は……」
「なげーって! えっと……卯月夏美、マネージャー志望です」
短めの黒髪に眼鏡、いかにもデータとか好きそうなのが野本。スラッとした体格をしている。
マネージャー志望の女の子は卯月夏美。髪は橙色のサイドテール。顔も可愛らしいが、少し気が強そうな気もする。
何れも、堂上を引っ張り出そうとしてた生徒だ。
「堂上剛士。上落合中の4番でエースだったが、野球部に入る気はない。以上」
そう言って去ろうとしたのが堂上。
髪は短めのウルフカット。目付きは鋭く、いかにも愛想の無さそうな顔付きをしている。
身長は俺と同じ――176cmくらい。体にも程よく厚みがあり、体格は申し分ない。
「しかしだな堂上。お前は野球推薦で入ってるだろ?」
「入部届けを出して直ぐに辞めます。都立ならそれで問題ないでしょう」
畦上先生が指摘するが、堂上は全く動じない。
「なんで入りたくねーの?」
「語るまでもないだろう。部員1桁の野球部に未来などない。今からでも他の競技を始めたほうが試合で勝てる、それだけだ」
堂上は表情を変えずにそう答えた。
成る程、全く記憶に無い訳だ。彼は正史では入部しない、つまり存在しない選手なのだろう。
「そもそも、俺がここを選んだ理由は田村さんがいたからだ。あの人がいないのなら、野球に拘る理由もない」
「田村さん?」
「辞めてった部員の一人だね。去年、1年生でエースだったんだけど……」
孝太さんは、どこか残念そうにそう答えた。
「尊敬してたんだな」
「違うな。俺は中学2年の夏、あの人にエースを奪われた。ただそれは年功序列で決まった事だと思っている。だから高校で決着をつけに来た、と言ったところだ」
そんな理由で来たのかよ、とは言わなかった。少なくとも俺は言える立場じゃない。
しかし、異常なほど勝敗に拘るあたり、相当な負けず嫌いなのだろう。
そんな悶着が暫く続くと、近藤が得意気に前に出た。
「よくわかんねぇけど、いると思ってた凄い投手が不在で拗ねてんだろ?
だったらよ……凄い投手ならココにいるぜ」
近藤はそう言って、俺に親指を向けた。
他人の袴で戦うんじゃねえ、という喉まで出かかった叫びを、グッと飲み込んだ。
「何が言いたい?」
「田村さんとやらの決着はしらねーけど、柏原がいれば甲子園も夢じゃない。この野球部に未来が無いなんて事はねーよ」
「ふむ……なるほど。しかし、俺は柏原とやらの実力を知らん。証明が必要になるな」
堂上は言葉を続ける。
「つまり、俺と勝負しろ――と言う訳だな」
「そうはならねえだろ」
考えるよりも先に口が動いた。
どんだけ勝負好きなんだよ。俺が投球を見せるだけでいいだろ。
なんにせよ、この男の勝敗への拘りは異常だ。土村の比じゃない。
井の中の蛙、大海を知らず。この野球界には土村よりも面倒臭い奴が存在したらしい。
「いいだろう。逃げたと思われても癪だ。今ここで野球との決着をつけるとしよう」
そして人の話を全く聞かない。気付けば、近藤達もすっかりやる気になっている。
まるでゲームや漫画みたいな展開だが、それに疑問を傾ける人間は誰もいなかった。
「はーぁ、仕方ねえな。俺が勝ったら野球部に入れよ」
「いいだろう。俺以外にも優れた選手がいるのなら、入部を拒む理由もないからな」
こうして、空前絶後の負けず嫌いとの対決が始まった。