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49.これもまた高校野球

都大三000 200 102=5

富士谷400 000 00=4

(三)宇治原、吉田―山城

(富)金城、柏原―近藤


※シート変更

⑨浅田 PH→中

⑧金子 中→遊

 田んぼのようなグラウンドには、相変わらず強めの雨が降り頻っている。

 こんな天気だというのに、各スタンドの観客達に帰る気配は無い。

 東山大菅尾戦のような奇跡を、もう一度期待しているのだろうか。


『9回の裏 都立 富士谷高校の攻撃は、3番 ライト 金城くん。 背番号 9』


 叫ぶような声援と、紅の前奏と共に、金城孝太が左打席に入った。

 三塁側のネクストからだと、その真剣な表情がよく見える。


 マウンドに立ちはだかるのは、都大三高の2年生エース・吉田さん。

 2回以降は被安打1と、ほぼ完璧に近いピッチングを披露している。

 未だ突破口は見えていない。けど、この回に打たなければ俺達は負ける。


 一球目、吉田さんは速球を振り下ろした。

 放たれた白球は、捕手の遥か上を越えていくと、クッションに直撃して大きな音を奏でた。


 少しだけ希望が見えてきた。

 俺はサイドスロー、かつ今日はアウトステップ気味に踏み込んでいたから影響が少なかったが、この雨天でだいぶマウンドが緩んでいる。

 踏ん張って振り下ろす投手にとって、この足場は非常にやり辛いだろう。 


 それでも連打が出るとは思えない。

 ただ、ランナーさえ出れば暴投で進塁できる。

 もっと言うなら、フォークや全力の速球は投げ辛くなるだろう。


 続く二球目、置きにいったストレート。

 甘い――と思ったその瞬間、孝太さんは鋭く振り抜いた。


「しゃあっ!!!」

「孝ちゃんパイセン二塁いけるよー!」


 打球は左中間に落ちると、孝太さんは一塁も蹴った。

 よし、長打になる。そう思ったその時――。


「あっ……!」


 孝太さんは足を取られると、一二塁間で転倒した。


「えぇ……」

「ま、まじ……?」


 一塁側ベンチが静まり返る。

 嘘だと言って欲しかった。けど、無情にもプレーは続いていた。

 孝太さんは慌てて起き上がる。それと同時に、外野から返球が返ってきた。


「……アウトォッ!」


 二塁手の木代さんがタッチしてワンアウト。

 孝太さんはその場で踞り、悔しそうに地面を叩いた。


「は、はは……」

「終わった……」


 静まり返った一塁側は、すっかり意気消沈していた。

 俺は静かにネクストを立つと、遅めの小走りで打席に向かう。


 都大三高は、都立高校に30年以上負けていない。

 そして――その記録は今後10年以上も続く事になる。

 そう簡単に破れるものではない。実力以上に、この高校は何か持っている。

 連勝記録に終止符を打つには、誰しもが予想しない奇策が必要なのだろう。


「タイムお願いします」


 俺は右打席に入る前、主審にタイムを要求した。

 ネクストの堂上に手招きすると、堂上は小走りで此方に来る。


「もし、お前まで打席が回ったら、あの辺を狙って打ってくれ」


 俺はそう言って、ある場所を控え目に指差した。


「ふむ……作戦に異論は無いが、言い方に違和感があるな。俺の打席は絶対に回ってくるであろう」


 堂上は顎に手を当てて言葉を返す。


「……どうだろうな」


 俺は瞳を閉じながら、少しだけ笑みを溢した。


『4番 ピッチャー 柏原くん。背番号1』 

 

 ブラスバンドが奏でるさくらんぼと共に、俺は右打席に入った。

 少しだけ主審を睨むと、続けてマウンドに視線を向ける。

 吉田さんは元々タフな投手なだけあって、あまり疲れは見せていない。


 ここから連打が出る可能性はゼロではない。

 ただ、相手は()()()()()都大三高。今のマウンド状況を考えたら、連続四死球で下位に回る未来が容易に想像できる。

 そうなったら終戦だ。かと言って、俺に二発目が出るとも思えない。 


 初球、吉田さんは速い球を振り下ろした。

 高さは中、コースは外、少し球威は抑えている。


 狙う当たりはただ一つ。

 先程から走守でミスが頻発し、表の攻撃で一番気負っていた選手が守る場所。

 俺はそこに向かって、上からバットを叩き付けた。


「セカン!」


 吉田さんはそう叫びながら、右手で握り拳を作った。

 何処と無く表情も綻んでいる。恐らく、普段なら追い付く打球なのだろう。

 けどな――。


「あっ……!」

「「わあああああああああああああ!!」」


 もう、そこで()()は出来ないんだよ。


 打球は一二塁間のゴロとなると、二塁手の木代さんは足を取られて見送った。

 俺は大袈裟にオーバーランして、ズザァーッと足を滑らせる。

 やがて足が止まると、落ち着いて一塁に帰塁した。


「さすが竜也。狙ったのか?」

「ああ」


 そう聞いてきた一塁コーチャーの渡辺に、背を向けたままバッティング手袋を放り投げる。

 俺は三塁の木田哲人を見ながら、少しだけ舌を出してみた。


「(さすが凡人、たかがシングルヒットで随分と得意気だね)」


 木田もニヤニヤと俺を見つめ返す。

 何を考えているかは想像するに容易いが――俺の狙いは出塁する事じゃない。

 連続四死球なら無得点で下位打線に入る。その中で、俺がセカンドを狙った本当の理由は――。


「タァーイム!」


 その瞬間、二塁審が声を上げると、審判達が一ヶ所に集まった。

 木田から笑顔が消える。この瞬間を、俺はこの打席で狙っていた。


 恵の言葉の意味も、8回以降に集中して使われたタイムの真意も、今なら理解できる。

 そう、俺達の本当の狙いは――。


「ゲーム中断! ベンチ戻ってー!」


 雨天中断、そして――雨天コールドだった。


 今思えば、むしろ遅すぎるくらいの判断だった。

 9回表の守備、吉田さんの大暴投、孝太さんの転倒、そして今のプレー。

 この球場で野球というスポーツは、とっくに成り立たない物となっていたのだ。


 その中で、ギリギリまで中断されなかった理由は、雨天中断の判断は、守備側に重きを置かれるからだ。

 富士谷は元々守備が悪く、孝太さんの転倒は攻撃側のミス。吉田さんの暴投も、出塁や進塁には繋がっていない。

 決定打を与えるには、出塁しつつ都大三高の守備のミスを誘う必要があった。 

 

「お前の狙いって、こういう事だろ?」


 ベンチに戻る際、俺は苦笑いを浮かべながらスタンドを見上げた。


「ふふっ、流石かっしー。ってか上手すぎでしょ」


 恵は微笑みながら、右手の親指を立てた。





 三塁側、富士谷の応援スタンド。

 生徒や保護者達は、次々と屋根がある裏へと避難していく。

 そんな中、私――瀬川恵と琴ちゃん、そして与田先生だけが、三塁側のアルプスに残っていた。


「これ、雨が止まなかったらどうなるの……?」


 琴ちゃんは、グラウンドを見つめながら、不安げに声を漏らした。


「うーん。先生、野球の事はよくわからないけど、確か雨天コールドってのがあるんだろ? このまま試合終了になるんじゃないか?」


 与田先生がそう答える。

 彼の言う通り、高校野球においては、7回が終了した時点で試合が成立する。

 つまり――9回裏まで迎えたこの試合は、雨天コールドの条件を満たしているのだ。


「じゃあ……このまま負けになっちゃうの……?」


 琴ちゃんは消え入りそうな声でそう言った。

 与田先生も、そんな琴ちゃんを見て言葉に困っている。

 確かに、今の富士谷は1点ビハインド。このスコアで試合が成立すれば、敗戦を喫する事になるけど――。


「ううん、その逆。勝つのは富士谷だよ。8回時点でのスコアになるからね」


 私は横からそう答えた。

 富士谷はまだ、9回裏の攻撃を終えていない。

 このまま雨天コールドとなれば、9回表の攻撃は取り消され、8回終了を以ての試合成立となる。

 つまり――9回表の2点は無効となり、4対3で富士谷の勝利となるのだ。


「そっか。少し安心したけど、それは相手が可哀想……」

「琴ちゃんは優しいね」


 私はそう言って彼女の頭を撫でた。

 相手に同情する気持ちもわかる。だって、あとアウト二つで勝てたのだから。


 ただ私としては、そもそも9回裏まで引っ張った事が可笑しいと言いたい。

 この試合は、正史よりも遥かに時間が掛かっている。

 走者の転倒は8回表にもあったし、9回表を迎えた時点で、東東京や八王子市民球場では、2試合目の順延が発表されていた。

 府中市民球場は1試合のみとはいえ、既に試合ができるコンディションではなかったのだ。


 中断から約15分、雨足は更に強くなる。

 そんな中、与田先生が声をあげた。


「お……相手の選手が出てきたぞ。やるんじゃないか?」


 一塁側のベンチ前、及びブルペンでは、都大三高の選手達がキャッチボールを始めていた。

 違う。これは再開の準備ではなく、所謂「この雨でも野球できますよ」というアピールに過ぎない。


 全く心が痛まない訳ではない。

 これは未来を――天気を把握している私が、意図的に狙った中断だ。

 正史でも東東京や八王子の2試合目は順延になる。それなら、1試合目にもタイムリミットが存在する筈、という読みだった。

 伝令の配分に関しても、リードしていたら7回まで伝令なし、8回以降に集中して使うよう、お父さんに伝えていた。


 中断から30分、少しだけ雨脚が弱まったけど、予報ではまた強まる見込みだ。

 グラウンドは相変わらず田んぼ状態で、とてもじゃないが試合どころの話ではない。


 そして遂に――主審の方が、ホームベースの前に現れた。


「……ゲーム!」


 そう告げると、球場がざわめいた。

 人が次々と客席に戻ってくる。続けて、主審の方がマイクを取った。


「えー、球審の野沢です。只今の状況について説明します。

 現在、試合のできる状況ではなく、今後も雨が降り続く予報の為、雨天コールドのルールを適用します。

 9回裏の攻撃が終わっていない為、 都大三高の……えー、9回表の攻撃を無効とし、8回コールドゲーム。4対3で富士谷高校の勝利とします」


 その瞬間、球場全体から歓声と不満げな声が飛び交った。

 富士谷の選手達が整列に向かう――が、雨天コールドの際は整列しない。審判達に止められると、ベンチに戻っていった。


 一方で、都大三高の選手達はベンチ付近から動かない。

 その中で、背番号6の選手――石田さんが、主審の元へ駆け寄った。


「とっとと帰れー! 見苦しいぞー」

「おい審判! 最後までやれよぉ!!」


 客席から野次が向けられる。

 石田さんは逃げるようにベンチに戻ると、都大三高の大倉監督は、鬼の形相で何かを怒鳴った。恐らく、まだ諦めていないのだろう。

 石田さんは今にも泣きそうな顔で、再び主審の元へ駆け寄った。


 無意味だ。審判の決定は絶対である以上、その抗議は選手に辛い思いをさせるだけでしかない。

 一塁側のベンチでは泣いている選手も見受けられる。ただ背番号19の選手だけは、退屈そうにふんぞり返っていた。


「石田、戻ろう。すいません、ありがとうございました」


 やがて、背番号3を付けた選手――崎山さんが主審の元へ行くと、帽子を取って一礼してから、石田さんを連れて帰った。

 それでもベンチの選手達は動かない。いや、動けないと言うのが正しいか。

 その瞬間、無情にもバックスクリーンから9回表の得点が消えた。


「なんだか呆気ない終わり方になったなぁ」


 与田先生がそう溢した。

 呆気ない、というのは観客視線での感想に過ぎない。

 富士谷の選手達にとっては奇跡の勝利。そして――都大三高の選手にとっては、長い人生において何度も脳裏を過る悪夢となるのだ。


 気持ちのよい終わり方ではないかもしれない。

 けれども――これもまた高校野球の結末の一つ。

 私は琴ちゃんと抱き合って、温かい感触を確かめながら、この勝利を噛み締めた。

都大三000 200 10=3

富士谷400 000 00=4

(三)宇治原、吉田―山城

(富)金城、柏原―近藤

※8回雨天コールドゲーム


・補足「府中市民球場で雨天コールドゲームになった実例について」

2016年度 西東京選手権大会3回戦 府中市民球場

東京都市大高4―1大成(7回雨天コールドゲーム)


・解説

前評判は互角だった3回戦。

この日は朝から天候が悪く、雨時々曇という天候で試合開始が告げられました。

やがて都市大高のリードで迎えた8回表、大成高校の守備中に雨が強くなり雨天中断。

その際、負けていた大成高校は、ベンチの前でキャッチボールや素振りを行うなど、まだ試合できるとアピールしていたのを覚えています。

ただそんな抵抗も虚しく、無情にも雨天コールドが告げられました。


また、この年は沖縄大会でも雨天コールドの試合がありました。

浦添商業と小禄高校の試合です。此方は有名かもしれません。

8回表、浦添商業が逆転したものの、8回裏の途中で雨天コールドが成立。

8回表の得点が無効となり、7回終了時点でリードしていた小禄高校の勝利となりました。

展開としては、この試合がモデルとなります。


創作で雨天コールドゲームをやるってどうなんだ……って感じもしますが、この物語はまだ1年目。この先も試合は沢山あります。

これも高校野球の終わり方の一つという事で、今回は見逃して頂けたら幸いです……!

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― 新着の感想 ―
[一言] 去年から継続試合が導入されているのでタイムスリップした事による恩恵となりそうですね 9回2アウトから再開した試合が既に今年でも何試合かあるので球児にとっては良かったと思っています
[一言] リアリティがあって素晴らしい!
[良い点] 後書きに史実にも起きた試合展開、試合終了の1つであり、その試合内容は終了理由も明記されているので、 ご都合主義かよぉ! という気分を味合わない点。 [一言] やっぱり架空の物語とはいえ…
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