48.神に愛された二人の決戦
都大三000 200 10=3
富士谷400 000 00=4
(三)宇治原、吉田―山城
(富)金城、柏原―近藤
8回裏、富士谷の攻撃は、無情にも三者凡退で終わった。
恵が「もっと球を見てこう!」と煩いのでボールを見させたが、多少の球数こそ稼げたものの、見逃し三振を繰り返す事となってしまった。
雨空の決戦も最終回を迎えると、グラウンドはすっかり田んぼのようになっていた。
歩く度にピチャピチャと音がなる。最悪のコンディションだが、菅尾戦ほどの緊張はない。
俺達には裏の攻撃がある。そう思えば、落ち着いて投げる事ができる。
9回表、都大三高の攻撃。
先頭の石田さんに代打が出され、背番号9の浅田さんが左打席に入った。
179cm79kgと体格は良いが、どこかガサツそうな雰囲気がある。
打ち損じのファールで追い込むと、最後はスプリットで空振り三振に打ち取った。
一死無塁、続く打者は木代さん。
今日は無安打と当たっていない。まだ2年生という事もあり、どこか表情に固さを感じる。
こういう打者はやりやすい。
内のストレートでサードライナーに打ち取ると、木代さんは悔しそうにヘルメットを投げ付けた。
サクサクと進んで二死無塁。
打席には左の強打者・金子さん。この選手も2年生だが、木代さんほど表情に固さはない。
俺はボールの交換を要求した。
2年生にはあまり使いたくない――が、そうも言ってられそうにない。
未だ被安打率0割の決め球・スプリット。この球で試合を決める。
初球、外いっぱいのスプリット。
「ットラーイクッ!」
「(なるほど、入れてくる事もあるのな)」
見逃されてストライク。金子さんは落ち着いて頷くと、再びバットを構えた。
二球目、フロントドアのツーシーム。
あわよくば打ち損じを狙った球は、一塁側のスタンドに運ばれた。
「ファール!」
「(ッチ、少し外したか)」
これでツーストライク、ノーボール。投手有利のカウントとなった。
「(追い込まれたな。この投手は三球勝負が多いし、次の球は――)」
新品の球を貰った三球目、狙いは内角低めのスプリット。
外れてもいい。股の高さ、ベースの縁を目掛けて、俺は腕を振り抜いた。
「(どうせスプリットだろ、クソッ……!!)」
落ちる球に対して、金子さんはバットを出してきた。
なんとか当てるも、弱々しいゴロがセカンドに転がっていく。
よし、これでスリーアウトだ。
そう思った次の瞬間――捕った阿藤さんは足を取られると、一塁への送球が遅れた。
「……セーフ!」
「っしゃあ!!!!」
審判のコールと共に、金子さんは一塁ベース上で雄叫びを上げた。
また守備のミスだ。グラウンドコンディションも最悪なので、仕方がないと言えば仕方がない。
「タァイム!」
と、ここでタイムが取られると、例によって島井さんが駆け付けた。
内野陣も集まると、一様にしてグラブで口元を隠す。
「こっちが裏だし、ホームラン打たれなきゃいいってよ」
「アバウト過ぎでしょう……」
そんなこと伝える為にタイムとったのか、とまでは言わなかった。
呆れる俺を見て、島井さんは少しだけ笑みを溢す。
「楽になれたか?」
「……そっすね。それ、島井さんが考えたんですか?」
「いや、監督はマジで言ってたよ。柏原はこういう突っ込み所がある発言が好きだろうって」
意外と良く見てるな。恵の入れ知恵か?
なんにせよ、長く監督やってるだけはある。
「じゃー俺は戻るけど、もう一人出したらまたタイムとるらしいから、よろしく!」
「えぇ……流石にもういいっすよ……」
とは言ったものの、もう一人だしたら木田に回る。
伝令を連発する形になるが、奴の前に間を置くという判断は悪くないだろう。
尤も、次の打者で終わらせれば関係のない話だ。
ただ俺にはわかる。恐らく、その願いは叶わない。
続く打者は左の吉沢さん。
初球、ツーシームを打ち損じるも、ショートへの弱い当たりは大失速。渡辺は投げられずに内野安打になった。
あまりにもグラウンド状態が悪すぎる。この様子だと、ゴロでアウトを取るのは難しい。
そして、瀬川監督は三度目の伝令を使った。
島井さんは「最悪、四球でもいいって」と口にすると、俺はコクりと頷いた。
1点差、二死一二塁、本来なら四球も出したくない場面。
ただ次の打者だけは、そんな常識が通用しない天才である事は、この球場にいる全ての人間が理解していた。
『4番 サード 木田くん 背番号 19』
世代最強打者とも名高い男・木田哲人。
結局、このキチガイに回ってしまった。神様がこの打者で締めろと言っているのだろうか。
一塁側、都大三高の応援スタンドからは、某軽自動車のCM曲が奏でられている。
その歌を口ずさみながら、木田が左打者入った。
「世界で一番頑張ってる君に、いい歌だね。世界で一番頑張ってる僕に相応しいと思わない?」
話しかけんじゃねえ、ブチ当てるぞ。
俺は無視してセットポジションに入る。
「つまらないなぁ。ま、仕方がないか。これから投げる相手は神に愛された天才打者。怖くて怖くて仕方がないだろうからね!」
木田はそう言ってバットを構えた。
近藤はミットを内に構える。打者の懐、ボールになってもいいストレートだ。
スプリットは打たれてないが狙われている。できれば追い込むまで軌道を見せたくない。
初球、当てる気持ちで腕を振り抜く。
放たれた速球は、構えた所よりも打者側に吸い込まれた――が、審判の右腕が上がった。
「ットラーイクッ!!」
「うん、僕ならストライクでいいかもね。だって、そこも打てるもん」
木田は何かを呟くと、主審に注意された。
打席でペラペラ喋るから嫌われる。ざまあみろって感じだ。
「(とは言ったけど、スプリットのせいで振り辛いんだよね。天才の僕ならあと一回だけ見れば打てるんだけど……ん?)」
「……タァイムッ!」
と、今度は打撃のタイムが取られた。
次の次の打者、背番号3の崎山さんが監督の指示を伝えにいく。
「えー、天才の僕に伝令とかいります?」
「うっせ! いいから声のボリューム下げろ!」
そう言葉を交わして、崎山さんは木田の肩に手を掛ける。
長らく会話が続くと、やがて左打席に戻ってきた。
続く二球目、何を投げようか。
スプリットはまだ早い。何せ世代最強の天才打者だ、いつ攻略されても可笑しくはない。
バックドアのスライダーもない。一度、綺麗に打ち返されている。
となると、最善手は外のツーシームだ。
最初の対決でも、内を見せた後の外角のツーシームはファールになっている。
もっと言うなら、二度目の対決でも、スプリットからのツーシームはファールになった。
いくら天才でも、内からの外は遠く感じるのだろう。
そして――スプリットという打てない球がある以上、思いきってバットを振り切る事ができない。
だから、初球の「打てる」と言った内角は見逃した。
二球目、枠から外れるツーシーム。
流石に三度も同じ手が通じるとは思えない。だから、今回は見逃される覚悟で枠外に放つ。
セットポジションから球を放ると、白球はベースの外に向かっていった。
その瞬間、木田もバットを出してきた。
よし、狙い通り――と思ったその時、俺は言葉を失った。
繊細かつ豪快な、流し方向へ掬い上げるバッティング。
ボール球だというのに、しっかりと芯に乗せてきた。
木田はバットを放り投げると、人差し指を天に向けて、ゆっくりと歩き出す。
そして――。
レフト方向へと上がった打球は、フェンス上部に直撃した。
「嘘だろ……」
抵抗の多い雨天、それもボール球を、流し方向でフェンスまで。
常識では考えられない、にわかには信じがたい打球だった。
「吉沢さん、ノースライ!」
悠々と二塁から生還した金子さんがそう叫んだ。
そして――クッション処理に手間を取った間に、一塁走者の吉沢さんまでもが生還した。
「っしゃあああああああああ!!」
「なんで歩いたんだあのバカ!」
「てめー、走れば二塁いけただろー!」
木田は一塁で留まった。
一塁側からは、歓喜混じりの野次が飛び交っている。
ふと、スコアボードを見上げた。
9回表に「2」の文字が輝いていた。
これで4対5。
未来の知恵にまで頼った逃げ切り作戦は、あえなく失敗となってしまった。
「やっちまったな……」
落ち込んだ気持ちを誤魔化すように、三塁側のスタンドを見上げてみた。
琴穂が不安げな表情で此方を見つめている。その横にいる恵は、まだ勝てると言わんばかりに、得意気な表情を見せていた。
俺はまだ知らなかった。
俺の知らない所で、もう一つの作戦が始まっていた事を――。
※
えー、天才の僕に伝令とかいります?
うっせ! もっと声のボリューム下げろ!
……お前、どこまで狙い球を絞れば打てる?
狙い球とか必要ないっすよ。だって天才は来た球を打つだけの生き物ですもん。
ま、スプリットは厄介かな? 軌道が気持ち悪いんすよね、アレ。
もし……スプリットを投げないタイミングが分かるとしたら?
はぁ、わかったら余裕ですよ。だって僕は天才ですよ?
そうか、なら話は早いな。
この投手、スプリットを投げるのは――。
ボールを交換した後だけだ。
都大三000 200 102=5
富士谷400 000 00=4
(三)宇治原、吉田―山城
(富)金城、柏原―近藤